専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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8月12日(金)
今日は朝から広のとある企業の慰霊式典に招かれて。
以前は工場の事故で亡くなられる方があり、工場前に慰霊碑がある。その前で読経。
「慰霊」ということばは、浄土真宗では本来用いない。
ただ、今日は日航機墜落事故から26年。慰霊登山が行われたと聞く。
戦争で亡くなられた方の慰霊祭等、この時期、この「慰霊」ということばをよく耳にする。
浄土真宗では、「追悼」ということばを用いる。
この「慰霊」と「追悼」はどのような違いがあるのだろう。
「慰霊」とは、「死んだ人や動物の霊を慰めること」。
「追悼」とは、「死者の生前をしのんで、悲しみにひたること」「とむらう」とある。
この二つのことは一般的に同じことのように理解されているが、慰霊と追悼の違いについて、追悼は死に対しての広い意味で使われることが多いが、慰霊は事故や災害、戦争などで亡くなられた方に対して使われることが多いと指摘される方もいる。
特にこの場合の慰霊とは、無念であっただろう。その思いをここに留めないで安らかに眠って欲しい・・・。という思いがそこにあるのだろう。
いろいろな宗教をもたれた方がおられるので、一概にこのことばを改めることを強要することはできないだろうが、浄土真宗の立場では「追悼」。
故人を偲ぶ大切なご縁である。
8月8日(月)
今夜は6時30分から専徳寺集会所にて仏教壮年会の納涼会。
納涼会に先立って、本堂で勤行。そして法話。
ただ、今夜は6時と7時、2件のお通夜。
6時のお通夜を済ませ、一度寺に戻って法話をして、再びお通夜。
お通夜から帰ってきて納涼会に参加。
今日は会員のSさんが春の叙勲で瑞宝単光章を叙勲されたお祝いも兼ねていたので、いつもよりも和やかに賑やかに。
皇居での話をいろいろと聞かせていただいた。
叙勲、おめでとうございました。
サルスベリ、漢字で書くと「百日紅」。
この漢字の表記は中国名。
この暑い夏の時期、3ヶ月(約100日)ほど紅い花を咲かせるということで「百日紅」と名づけられたそう。
日本では、幹がツルツルでサルも木に登れないのでは?ということで「サルスベリ」と名づけられたとか。
それぞれ名前の由来を聞くのも興味深い。
ただ、100日も咲き続けるのではなく、花が次々と咲くために咲き続けているように見えるらしい。
散れば咲き 散れば咲きして 百日紅
加賀千代女(かがのちよじょ)の俳句にそれがある。
また、高浜虚子は、
炎天の 地上花あり 百日紅
と、こんなに暑い夏でも、花を咲かせるサルスベリを讃えている。
暑い暑いと少々バテ気味になっているが、こんな暑い夏だからこそ咲く花もある。
手水鉢にはイソヒヨドリが水浴びに。
写真には真っ黒に写っているが、この後、鐘楼の手すりにとまって一休み。
暦の上では今日が「立秋」。
それでも、暑い夏はまだまだしばらく続きそう。
それぞれに、体調に気をつけながら、この暑さを楽しませていただこう。
8月6日(土)
8月6日午前8時15分。
昭和20年、広島に原爆が落とされ、たくさんの方が亡くなり、たくさんの方がその後大きな苦しみとともに生きた。
毎年この時間に合わせ、専徳寺では梵鐘を鳴らす。
梵鐘を鳴らし、そのあと本堂でおつとめ。
私は戦争を知らない世代だが、毎年この時間、この鐘の音を聞き、おつとめしているので、8月6日が染みついている。
今年は専徳寺門徒Hさんが施主となり、煎茶会が開かれた。

原爆で当時7歳の兄を亡くしているが、戦後生まれのHさんに御両親はそのときのことを話すことがなかったそう。それだけ大きな悲しみ、大きな苦しみを抱えたまま、お浄土までもっていかれたのでしょう。
ただ、そのまま消してしまってはならないという思いが、このたびの献茶という形に。
朝9時、蝉時雨のなか追悼法要をおこない、煎茶道三癸亭賣茶流のお手前で献香・献供・献茶をご仏前に。
そのあと、煎茶会に招かれた有縁の方、地域の方に煎茶が施される。

専徳寺では初めての試み。
今年はいろんなカタチのご縁をいただく。
今夜は広島で53年ぶりのプロ野球公式戦も行われる。
これには賛否両論あるようだが、試合前にセレモニーが行われ、鳴り物を使った応援をやめるとのこと。
時代とともに伝え方、伝わり方も変わっていく。
かたちは変わっても、そこに流れるこころはひとつ。
そのこころをたいせつに。
8月5日(金)
今日は特別養護老人ホーム『成寿園』で、この一年に亡くなられた方の追悼法要。
お盆が近づき、亡くなられた方を偲ぶご縁が増えてくる。
また、盆に関する問い合わせも。
この月末に満中陰法要(四十九日法要)を迎える方が初盆の依頼もされていたが、「他の方から四十九日も迎えていないのに初盆を迎えるのはおかしいといわれたのだけれど・・・」と、問い合わせ。
浄土真宗では、亡くなったらただちにお浄土へ参らせていただく。だから、四十九日を迎えるまでのあいだ、魂がさまよっているとか、巷でいろいろいわれているようなことはありませんよ。亡くなられた方との別れを迎え、そして初めて迎えるお盆ということでおつとめさせていただきますと答える。
お盆とは、『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』にもとづく仏教の行事。
専徳寺でも「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という法座を毎年勤めているが、「歓喜会(かんぎえ)」と呼ぶお寺もある。
特別なお荘厳をするわけではないが、本願寺では切子灯籠と呼ばれる灯籠が御内陣に荘厳されるそう。
専徳寺は各御門徒のお宅をまわるお盆参りを昔からしていない。
初めてのお盆(初盆)を迎えるお宅で、依頼のあったところだけをお参りさせていただく。
その代わり、最近増えてきたのがお盆期間中の法事。
「お盆に家族が揃うので」。それが一番の理由のよう。
遠方にお住まいのご家族が揃うことは、今のご時世なかなか難しくなっている。
ただ、お盆のときにふるさとへと帰ってくる。
それでこの時期に法事をされるお宅が増えてきた。
ふるさとへ帰る。それを表す「帰省」ということばをよく耳にする。
今ではただふるさとへ帰るという意味で「帰省」ということばが使われているようだが、この「省」という字には「親の安否を気づかう」という意味があるのだそう。
ただ、お盆の法話でよくするのだが、親の安否を気づかってふるさとへ帰るといいながらも、そこには親が子どもの安否を気づかって呼び戻しているケースの方が多いことに気づかされるのではないですか?と。
お盆の由来はどうであれ、今では一つのご縁。
先にお浄土へ参られた方が、私たちの安否を気づかって、お仏壇やお墓の前に導いてくださっている一つのご縁である。