ぶろぐ

専徳寺のぶろぐです。

お寺のこと、地域のことを綴ります。


 

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石泉文庫虫干し法座 1日目

7月13日(水)

今夜から石泉文庫の虫干し法座。

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昨年は連日大雨警報も出たりして、最終日まで虫干しできなかった。
土砂崩れが起きたところもあり、夜席を1席休みとさせていただいた。

今年は早々と梅雨明けし、雨の心配はなさそうだ。
それでも、この暑さ。
電力不足に、水不足も心配されるところ。
熱中症にはお互い注意しましょう。

午後から、仏教壮年会の皆さんにご協力いただいて、虫干しのための準備。

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本堂に仮設の柱を設け、そこに太い竹を一本渡す。そして、本堂の両側からロープをピンと張る。
このロープがピンと張れていないと、本を干す時に重さでだらりと垂れてしまう。
力のいる作業である。

準備も整い、夜から法座。
御講師は安登の浄念寺 安達高明御住職。

仏とは?
迷ったと気づいた時に、正しい道を知ることが出来るという話を聞かせていただいた。

明日の朝席が終わったら、石泉文庫から蔵書を本堂へ運び、2日間干す。

長浜小学校6年生が、明日は地域学習として本を運ぶのを手伝ってくれる。
実際に江戸時代の本を手にして何かを感じて欲しい。
江戸時代からずっと地域の方々によって守られてきているそのつながりを感じて欲しい。
そして、そのなかに自分がいることも。

明日も良いご縁となりますように。

呉東組聞名講 7月例会

7月11日(月)

今日は午後から呉東組聞名講の例会が阿賀の西光寺にて開かれる。

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いつものように正信偈の後、御消息の披露。

予定では法話担当が住蓮寺御住職であったが、昨年度担当を入れ替わったことがあって、今回は教法寺御住職がされることに。

引き続いて、御示談。

お仏壇の脇掛の親鸞聖人御絵像に「和朝親鸞聖人」とある。
この「和朝(わちょう)」とは何でしょうか?という質問。
その他、嫁いだ娘のお宅の宗教が違っている場合、どのようにしたら良いのでしょう?というような質問が出た。

まず、「和朝」とは、親鸞聖人は「和国の教主」と聖徳太子を仰がれた。
「和朝」とは日本のことを示していると簡単な話で終わったが、帰って調べてみると、この親鸞聖人の御絵像には、

慶哉愚禿仰惟
樹心弘誓彿地
流情難思法海
嘆所聞慶時獲
和朝親鸞聖人

と、画讃と呼ばれる書が記されている。
これは、親鸞聖人の書かれた『浄土文類聚鈔(じょうどもんるいじゅしょう)』の「念仏正信偈 」の少し前に出てくる

(よろこ)ばしきかな、愚禿(ぐとく)、仰(あお)いで惟(おもん)んみれば、心(しん)を弘誓(ぐぜい)の仏地(ぶつじ)に樹(た)て、情(こころ)を難思(なんじ)の法海(ほうかい)に流(なが)す。聞(き)くところを嘆(たん)じ、獲(う)るところを慶(よろこ)びて、真言(しんごん)を採集(さいしゅう)し、師釈(ししゃく)を鈔出(しょうしゅつ)して、もっぱら無上尊(むじょうそん)を念(ねん)じて、ことに広大(こうだい)の恩(おん)を報(ほう)ず。

という御文である。
そして、「和朝親鸞聖人」とあるのは、同じく親鸞聖人の書かれた『尊号真像銘文(そんごうしんぞうめいもん)』のなかに、

和朝愚禿釋親鸞「正信偈」文
「本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃・・・・」

と、自らを「和朝愚禿釋親鸞」と名のられた箇所が一箇所ある。
そこに由来するようだ。

それから、次の質問。
宗教が違っているという話では、「お葬式で故人の宗教が違っても門徒式章を付けて参っています」との話も出る。
門徒式章は、浄土真宗門徒という証。
相手がどのような宗教であろうと、自らの姿を。

黙祷もそう。
それぞれに違う宗教の方が集まるところでは、特に。

浄土真宗の門徒であれば、本来なら合掌してお念仏。
ただし、声に出すと他の宗教の方の妨げになってしまうこともあるかも。
そんなことを思うと、こころのなかでお念仏。

和国の教主聖徳太子は、『第十七条憲法』第一条に、

(やわ)らかなるをもつて貴しとなし、忤(さか)ふることなきを宗となす。

と示された。
相手を敬うこころ。これも大切なこと。
相手を敬うこころで接することから対話も生まれる。

今日の御示談からそんなことを学んだ。

次回例会は9月。
暑い夏となりそうだが、お互いからだに気をつけて。

2011年7月11日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

仏教壮年会 7月例会~弘願寺仏教壮年会交流会~

7月8日(金)

本日、中国地方から東海地方にかけて梅雨明け宣言。

平年よりも13日早いそう。
ちょっと気の早いツクツクボウシも螺山で鳴きだした。

今夜は仏教壮年会の7月例会。

と言っても、いつもの例会と違い、弘願寺仏教壮年会との初めての交流会が行われ、弘願寺から御住職・若院さんと一緒に15名ほどが来られた。

当初7時から開始予定が、こちらのみなさん、通常の例会と間違ったのか、7時30分に集まり、お待たせしてしまった。
ひょっとして、先日の呉東組仏教壮年会連盟の総会の開始が7時だったので、そちらと間違えたのか?・・・。

ともあれ、弘願寺のみなさんにはお待たせしてしまい、申し分けございませんでした。

7時30分、揃ったところではじまり、勤行に続いて、専徳寺と弘願寺住職の話。

弘願寺とのつながりは、何といっても石泉僧叡和上の弟子であった円識和上。
円識和上は、石泉社の名簿の一番最後に記されている。
弘願寺に入寺し、後に勧学となり、宇都宮黙霖も和上を訪ね、そこで「菊花を詠ず」の漢詩を作った。

海に面した蒲刈と長浜は昔からつながりの多いところである。

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そして、お互いの仏教壮年会の活動を紹介。

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こちらからは関会長。

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弘願寺仏教壮年会は日浦会長が紹介。

弘願寺では、仏教壮年会が中心となって、四華花(しかばな)を作るのだそう。
四華花とは、お葬式の時に荘厳する紙の花。

一般的にはお釈迦さまの亡くなられた時に因んで沙羅双樹が飾られるが、いろんな花を作るのだそう。
自分たちの手によって地域の方々の最後を見送る。
そんな活動をされていると聞く。

引き続いて、弘願寺若院さんによる降誕会の話をビデオを見ながら。

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花まつりと降誕会を一緒にして、盛大に毎年行っているそう。

いろんな話を聞きながら、良いご縁をいただいた。

長浜仏教壮年会前会長の上田氏とのご縁で弘願寺仏教壮年会がはじまり、7回忌を迎えた今年、こうして交流が。

短い時間であったが、これがはじまり。
これからどのように進んでいくか分からないが、お互いの良いご縁となればと思う。

2011年7月8日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

足跡

7月8日(金)

今朝は雨も上がり、日が差してきた。

昨日雨が降ったため、お墓参りが今日に順延。

専徳寺の墓地は山の上。
細い墓参道をバイクで登る。

雨でぬかるんだ土の上にいくつかの足跡が。
よく見ると・・・。

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これは蹄があるからイノシシかな?

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こちらは爪痕がしっかりと残っているからタヌキ?

昨年10月末に初めて専徳寺の境内でタヌキの夫婦を見かけた。
しばらく居着いていたのだろうけど、いつの間にか糞も消え・・・。

イノシシの害もあったりと、このあたりの農作物を作ってる方にとっては悩みの種。
それでも、彼らも懸命に生きている。

ぼくらはみんな生きている
生きているから歌うんだ。

ではじまる『手のひらを太陽に』。
この歌の作詞はアンパンマンの作者 やなせたかし氏。

みんな みんな 生きているんだ 友達なんだ。

とはいえ、なかなか友達にはなれない。
でも、お互いのいのちを感じるのは大切なこと。

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これは安芸教区・備後教区・山口教区・山陰教区で構成される中国ブロックが、750回大遠忌の記念事業のテーマに掲げたことば。

いのちのつながりを大切に

足跡ひとつから“いのち”を感じることができる。
これもまたご縁である。

細い参道をそろりそろりとバイクで降り、

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今夜は仏教壮年会。

2011年7月8日 | カテゴリー : 地域 | 投稿者 : sentoku

蘇鉄

7月5日(火)

蘇鉄」と書いて「ソテツ」と読む。

蓮の花が散り、今度は蘇鉄の新しい葉がニョキニョキと伸びてきた。

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蘇鉄は、鉄を与えると元気になるといい、幹に釘を打ったりするのだそう。
鉄によって蘇る。それが「蘇鉄」の名の由来。

専徳寺には古くから蘇鉄があり、広市民センター前にあるのも専徳寺の蘇鉄。

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明治42年(1909)、広村公会堂が現在の広小学校付近に建てられた記念に、専徳寺の雄株を移植したもの。
3度の移植で現在の広市民センターに至り、昭和47年には呉市の天然記念物に指定された。

現在、この広は呉市だが、昔は賀茂郡広村。
全国の模範村として、当時全国にその名を知らしめた。

宗教を以て人心薫化の中心となす

これが広村の村是にあったそうだ。
浄土真宗のご法義が村の中心にあった時代。
この蘇鉄はその名残である。

今は政教分離、信教の自由・・・など、当時とは状況が異なるので、昔のようにはいかないが、こんな時代もあったということを、蘇鉄とともに知って欲しい。

2011年7月5日 | カテゴリー : 地域 | 投稿者 : sentoku