11月29日(金)
長浜の報恩講参りも、沼田地区が昨日で終わり、明神・胡子地区へと。
そして、今夜は郷原の浄光寺にて呉東組法中会。
冷え込んできて、東広島呉自動車道に表示された気温は、行きが4℃で帰りは2℃。
今年の冬はどうなることやら・・・。
法中会で、来年の本願寺手帳をいただく。
来年を迎える前に、今やることをコツコツと。
TEL.0823-71-7926
〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
11月25日(月)
今朝、広南小学校の読み聞かせから帰ると、さっさと着替えて長浜東地区の報恩講参りに。
寺を出るときには土砂降り。
今日は12時と13時、2件のお葬式が出来たため、それまでに9件報恩講参り。
最後にお参りしたお宅へは、それまでにお参りさせていただいたお宅のみなさんが集まっており、みんなでそろって最後におつとめし、法話を。
以前は、地区地区で最後にみんなが集まっておつとめし、法話をした後、お斎をいただく風習があったが、いろいろ事情も変わって、なくなってしまった。
祖父の代は、毎日毎日報恩講で精進料理のお斎についていたから、だんだん栄養が偏って、目の前を星がチラチラするからと、夜は七輪で肉だけ焼いて食べていたとか。
そんな時代も、今は昔。
自分のお宅の報恩講を済ませ、そして世話をされるお宅へ集まって、みんなで報恩講。
大きな声でおつとめしてくださるので、こちらもつられて・・・。
さすがに、葬式では息も絶え絶え。
それでも、雨が降ろうと、喉が痛かろうと、こうしたご縁をいただくと心地よくお念仏。
帰ったら雨も上がり・・・
11月25日(月)
朝から雨。
11月最後の読み聞かせに。
今日の担当は4年生。
今日読んだのは、
1973年初版のこの絵本。何と、今年の5月で91刷!
ずいぶん、読み継がれてきている絵本。
でも、みんな初めての本だと。
お父さんとお母さん、そして4人の兄がいるネリノ。
いろんな色をした兄さんたちは、まっくろくろのネリノを仲間はずれに。
いつもひとりぼっちだったネリノ。
ところがある日、兄さんたちがいなくなってしまって、そのまっくろなからだが大活躍。
4年生には少しやさしすぎる絵本かも知れないけれど、4年生だからこそ、この物語に込められた願いを感じてくれたかな?
『みんなちがって みんないい』のこころ。
11月24日(日)
午前中、法務をすませ、午後から子どもたちを連れて広市民センターへ。
第2回広地区合唱祭が開かれ、広南学園PTAコーラスの皆さんが出演。
次男はホールに入るや、お母さんの晴れ舞台を見ようと最前列にさっさと座ってしまって・・・。
毎週の練習の甲斐あって、先日の発表会よりも声が届いて。
次は呉市文化ホールで1月18日。
夜は阿賀の西光寺にて我聞会。
輪読は『蓮如上人御一代記聞書』(154)(155)。
(154)では、信心をいただいたら、一人でいるときも御法義をよろこぶ心がわき起こってくるのだということば。
この例会の前にお通夜へお参り。
お通夜では正信偈をおつとめするのだが、一人でおつとめするよりも、後ろに参拝されている方が一緒におつとめしてくださると、ついつい声を出してしまう。
今日は喉の疲れが出かかっているので控えめにと思っていたのに、ついつい・・・。
一人より、他の方と一緒のときの方がよろこんでしまうなぁと、何となく、そんなことを思い出しながら。
(155)は、「仏法は世間の用事を差しおいて聞きなさい」との話から、
ひまがないとは気がないことよ 参る気がありゃ ひまもある
紹介していただいた早島キクさんの言葉がこころに残る。
そして、ご法話は、「赤いロウソク」と題して聞かせていただいた。
以前、仏教壮年会の例会で、荘厳の話をするのに調べたことはあったので知っていたことだが、七回忌以降の仏事に赤いロウソク(朱蝋)を使うことは案外知られていないようだ。
赤いロウソクは、入仏・報恩講・元旦など慶びの法事で使うことが多いので、お寺によっては報恩講に赤いロウソクを配ったり、除夜会の時に配ったりしているところもあると、いろいろ聞かせていただく。
一つのことをきっかけにいろんなことを。
11月21日(木)
午前中は長浜東地区報恩講参り。
夕方から川尻真光寺で呉東組の役員会。
組長・副組長2名と事務2名の5名が集まって開催。
久しぶりに電車で行こうと、呉線で向かうことに。
最近は車での移動ばかりで、電車を利用することもなく、広駅から乗り込んだ黄色い電車。
ドアの横には見たことのない「開く」「閉じる」のボタンが付いて、何やら説明書きが。
???
アナウンスを聞いていると、前寄りのドアしか開かないとか何とか言っている・・・。
2両目に乗っていて、川尻駅に着く間際、2両目の一番前寄りのドアのそばに立つと、隣に座っていた方から、「そこは開かないよ!前の車両に行かないと・・・。」と言われて、???
恥ずかしながら、1両目の1番前のドアしか開かないのだとそこで初めて知る。
久しぶりに焦るやら恥ずかしいやら・・・。
それでも少し早く着いたので、お寺の境内をじっくりと。
真光寺は海抜14.8メートル。
本堂の木鼻と呼ばれる部分に、獏の彫り物があった。
一つ一つ見てみると、これまで知らなかった素敵なものがいっぱい。
役員会では、これから行われる研修会等についての打ち合わせ。
そんな中、ちょっとした出会いがあると何だか心地よく。
11月20日(水)
朝席で今年最後の法座が御満座。
この時期はちょうどおつとめしている最中に、ご本尊の正面から朝陽が差し込んで、お内陣がかがやく。
寒いけれども、この光はこの時期しか味わえないかな。
朝席では、光のはたらきとして【破闇】【調熟】【摂取】の話を聞かせていただく。
法座が終わり、午前中は報恩講参り。
そして、午後から特別養護老人ホーム成寿園へ。
呉東組仏教婦人会連盟20単位が順番に、奇数月は成寿園、偶数月は延寿荘で法話会を開催。
今月は専徳寺仏教婦人会が担当で、婦人会の方々と一緒に成寿園へ。
正信偈をおつとめし、法話。
昨日の法座で「恩」の話を聞かせていただいた。
「恩」とは“なされたことを知る”と。
“なされたことを知る”ってことは、因(原因)を心(知る)ってこと?と思って調べてみると、まったく違っていた。
「因」とは、「□」は布団(敷物)、「大」は人。
つまり、布団(敷物)の上で寝ている人を表しているのだと。
布団の上で毎日当たり前のように大の字になってぐっすり寝ているけれど、よくよく考えてみると、布団がなかったら、次の日身体が痛くって仕方がないし、ぐっすり寝ることさえ出来ない。
当たり前のように布団で寝れるって何とありがたいことか。
それで感謝の「心」がそこに。
また、『日本書紀』等では、「恩」を「めぐみ」と読んでいたそう。
「めぐみ」の語源は芽ぐみ。
冬に眠っていた草木が、春の陽気に育まれ目覚めることに由来するのだと。
そんなことから話を・・・。
法話の後は、婦人会の方が着物姿で踊りを披露され、拍手喝采。
ようこそのお参りでした。
11月19日(火)
昨日に引き続いて仏教壮年会法座。
朝席が終わると、呉市中通の専徳寺の報恩講へ。
今年も導師としておつとめさせていただき、
ご門徒さんがご用意してくださったお斎をお持ち帰り。
法座の昼席では、カルネアデスの舟板という話を聞かせていただいた。
私たちの生きている世界の正義(せいぎ)とは?
対立は、どちらもが「正義」だと主張するところから始まる。
いつの時代においても、どこから見ても正しいことって、何て難しいことなんだろう。
先月亡くなられたやなせたかしさんは、本当の「正義」とは悪いやつをやっつけることではなく、お腹のすいた子どもにパンをわけ与えることだと言われていたけれど・・・。
夜席では、このたびのご讃題『讃仏偈』のお話から、「恩」の話を。
「恩」とは、パーリ語の“カタンニュー”。
カタンニューとは、“なされたことを知る”という意味だそう。
一つ一つのことを考えてみると、どれもこれも、どれだけのご縁が整って今目の前にあるのかと・・・。
そんなことを知るから、感謝の気持ちを。
明日の朝席で御満座。
暖かくしてお参りを。
ようこそのお参りでした。
11月18日(月)
今夜から今年最後の法座、仏教壮年会法座。
寒くなってきたので、今シーズン初めてストーブを。
このタイプのストーブ4台と4つの天井扇風機を緩やかに回して暖を取る。
このたびの御講師は呉東組副組長でもあり、いろいろお世話になっている阿賀の寶徳寺 平原弘史師。
それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり。
と、親鸞聖人は『大無量寿経』が“真実”だと顕された。
ただ、さとりの世界の“真実”はひとつであっても、迷いの世界の“真実”はというと・・・。
そんな話を聞かせていただきながら、最近流行の(?)「誤表示」ということばを思い浮かべる。
それが「誤」なのか「偽」なのか、それは別として、果たしてホンモノ(真実)って?
一流ホテルのレストランで「○○産○○エビの○○」だといって、きれいな器に盛られて出て来ると、よほどのことがない限り、「プリプリしてて、さすが・・・」なんて何の疑いもなく食べてしまう。
「世間虚仮、唯仏是真」
改めてこのことばを。
明日は冷え込むそう。暖かくしてお参りを。
ようこそのお参りでした。
11月18日(月)
今朝は広南小学校の読み聞かせ。
3年生を担当。
今日読んだ本は、宮沢賢治の『竜のはなし』。
短い文章で、決して内容は楽しいものではないのだが、とても深い物語。
ゆっくりと低い声で読むことに。
みんな、じっと静かに聞いていた。
浄土真宗本願寺派僧侶でもあった童話作家花岡大学氏を調べていて見つけた絵本。
あとがきに『「賢治童話」の「やさしい心」』と題して、花岡氏が記している。
どちらかといえば相手が幼児だからといって絵本がなにかファンタジーの世界だけによりかかろうとするような傾向のつよいことに、いささか不満を持っていたわたしは、もちろん教育が喪失している「あるべき精神」をちゃんとふまえて、今深く考えなければならない問題をいっぱいにみなぎらせながらしかも絵本のこれからのあるべき方向を示しているこの作品をみて、久しぶりに昂奮し感激した。
と。その「あるべき精神」とは、「やさしさ」。
だがその「やさしさ」とは、日常的な語感による「なよなよした優美なやさしさ」ではなく、「強靱なやさしさ」といってよく、つまり「自」を「他」に投入していさぎよく「死」に、いささかも、「はね返ってくるもの」を求めないといった、すさまじい精神のことである。
と。
表紙を開くと、
このはなしはおとぎばなしではありません。賢治
と、はじまる。
もう悪いことはしない、すべてのものを悩まさないと誓った竜。
人に皮をはがされても、虫にからだを食べられても、まことの道を求めてじっとなすがまま。
そして死んでしまい、後にお釈迦さまとして生まれ、みんなにいちばんの幸せを与えたという竜の話。
読み終わって「どうでしたか?」と尋ねたら、「・・・」。
「こんな生き方出来る?」と尋ねたら、「無理に決まってる!そんなことしたら死んでしまうし。」
「他者のために」という生き方は、自分中心の生き方をする人間にとって、とっても難しい。
他の命をいただきながら、自分は今を生きているのだから。
この竜のような生き方は出来なくても、この竜から今の自分を知ることは少しくらい出来たかな。
11月17日(日)
朝から福山法真寺へ。
法真寺の第19世住職 密蔵法師が、祖母 大洲ノブの弟に当たる。
このたびは、その孫に当たる第21世住職の継職奉告法要と本堂修復慶讃法要。
稚児行列が先に行われ、お寺のまわりをぐるっとまわって本堂に。
朝早くから支度して集まったたくさんのご門徒さん。
沿道には我が子の稚児衣装姿をビデオに収める親御さん。
法要では組内法中、親戚・友人法中により、賑々しく。
記念法話は前住職の弟、浄光寺住職 小林章三師。
ジョン・ミューアのことば、
一輪のスミレのために、地球がまわり、太陽が照り、雨が降り、風が吹く。
より、ご和讃の、
十劫微塵世界の
念仏の衆生をみそなはし
摂取して捨てざれば
阿弥陀となづけたてまつる
のこころを聞かせていただく。
先日15日、NHKでもうすぐ公開のスタジオジブリ作品『かぐや姫の物語』主題歌、「いのちの記憶」を歌う大竹市の本願寺派僧侶でもある二階堂和美さんの特集が放送された。
その「命の記憶」の歌詞に、
今のすべてが
過去のすべて
必ず会える
懐かしい場所で
と。
今日遇えたご縁も、また過去のすべて。
過去のご縁がなかったら、今日のご縁はいただいていない。
そして、また会える世界がきっと・・・。
たくさんの方々の姿を見ながら、そんなことを。
法要が終わり、午後から少しパラパラと。
準備をされてきた方々の御苦労を思うと、午前中青空がひろがって良かった。
明日の夜席より今年最後の法座“仏教壮年会法座”。
お誘いあわせてお参りを。