6月6日(木)
今朝、境内に水を撒き、清掃をしていると、エナガが10羽ほど飛んできた。
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昨年、ここから巣立つことが出来なかったけれど、今年はどこかでこんなにたくさん巣立って、その姿をわざわざ見せてに来てくれたのかな。(と、都合よく勝手に。)
来年待ってるよと。
11時の法事を終えて、急いで午後からの安芸教区総講習会に出席するため広島別院に。
『仏教の根本教説としての縁起説』と題して、御講師は 武田宏道勧学(深川組正現寺住職)。
13:00から16:30まで、3時間半。
縁起の話から、六因・四縁・五果と、真宗では聞き慣れない言葉とその言葉の説明のオンパレード。。。
久しぶりにこういう講義をいただいた。
難しいけれど、言葉に慣れてくると、なるほどと思うことも。
一時期「信心の社会性」という言葉をよく耳にした。
それについて最後に質問が出て、それに対してアビダルマ仏教から見ると、浄土真宗の信心は《無為法》で、社会性というのは《有為法》であるので、それを理解するのは難しい。
浄土真宗の教学では《安心》と《起行》という見方があるけれども、とのお答えを。
安心と起行、まさに石泉僧叡和上の助正論。
講演の中で、「一水四見」を紹介された。
唯識の物の見方で、同じ水を見ながらも、天人は宝石で飾られた池と見、人間は水、餓鬼は血膿、魚は自分のすみかと見るように。見る心の違いによって同じ対象物が異なって認識されることを「一水四見」と言うそう。
浄土真宗を中心とした見方と、僧叡和上のように仏教の中の浄土真宗という見方を貫いたのは、まさに一水四見。
いろんな見方を模索しないと答えは出ないのかも。