『広島の食事』

3月21日(木)

書店でふと目についた本。

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『聞き書 広島の食事』

手にとってパラパラめくると、目次の「安芸門徒の行事と食べもの」に目がとまり、早速購入。

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安芸門徒のおたんや(お逮夜)の“煮ごめ”の話はよく聞くが、修正会(元旦)・おたんや・彼岸会・花祭り・お春座(春の永代経法要)・降誕会・安居会(泥落とし)・盂蘭盆会(歓喜会)・報恩講法座(秋の永代経法要)・総の報恩講・除夜法要(大晦日)と、年間の諸行事とそのときに用意される食べものが紹介されている。

また、一昔前の安芸門徒の婚礼、葬式の様子も紹介されていて、なかなか興味深い。

 

その他にも、沿岸部や山間部、各地方のいろんな風習や料理が。

思わず笑ってしまったのが、涅槃会(お釈迦さまのご命日)に用意される「お釈迦さんのはなくそ」。

旧暦2月15日は、お釈迦さまの命日「涅槃会」である。この日は「お釈迦さんのはなくそ」または「おいりはなくそ」と呼ぶ菓子をつくって仏前に供え、子どもたちに配る風習がある。名前を聞いただけでは何か見当もつかないが、米や豆を炒ってあめをからませたお菓子で、子どもたちは楽しみに待っている。まことにひょうきんで、安芸門徒の人たちの仏さまへの親しみが感じられる呼び名である。

とあるのを読んで、なるほどと。

また、今ちょうど彼岸中であるが、府中地方では、「親が養う春のお彼岸」「親を養う秋のお彼岸」といって、春の彼岸には実家から嫁ぎ先へおはぎが届けられ、秋の彼岸には反対に実家へおはぎを贈る慣わしがあると紹介。

 

毎日の生活にかかすことのできない食事。
そのなかに浄土真宗の教えが。

親鸞聖人の師匠法然聖人のことば、

衣食住の三は、念仏の助業也。(和語灯録)

生活の中心にお念仏。

家庭の中で受け継がれることを願う。

獏 ~バク~

10月11日(木)

先日9日のおみがきが終わった後、運動会の代休で幼稚園が休みだった次男 蓮を連れて、広島市安佐動物公園へ。

連休明けということもあってか、動物たちはお疲れモード。
みんなのんびりと昼寝中。

そんななか、目を惹いたのが、

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マレーバク。

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動物園の掲示板に、マレーバクはお釈迦さまの乗り物として崇められ、白い部分はお釈迦さまの袈裟がかけられていたからとの説明書きが。

 

帰って調べてみると、仏教国タイではそうなんだそう。

 

ちなみに、夢を食べるといわれる獏(ばく)
この獏は中国の伝説上の霊獣であって、キリンと麒麟が違うように、このバクと獏も本来は違うよう。

お寺でも、この獏の彫刻があるのをよく見かける。
専徳寺の向拝(ごはい)には、獅子の彫刻が施されてあるが、

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ちょうどこの部分に一見ゾウと見間違うような横顔が存在する。

 

専徳寺の本堂に龍や獅子の姿はあるのだが、これまで獏の姿は見たこともないし・・・。

 

と、思っていたら、今日おつとめしていて、ふと目に止まった。

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御本尊、阿弥陀さまの御厨子に!

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牙のあるゾウのような横顔。
これが、獏なのだそう。

 

かの豊臣秀吉も、寝る際には獏の枕を愛用していたとか。
【参考】豊国神社宝物館

ただ、あんな怖い顔した獏の枕。
余計悪い夢を見そうだが・・・。

 

本堂のなかにはいろんな動物の姿が隠れている。

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そんな発見にホッと一息。

夏の疲れ

9月4日(火)

新学期も昨日から始まった。

先週、お通夜で読経しようと思ったら、声に違和感。
どんどんかすれたような声となり、翌日の葬式ではひどい声に。

どうやら、夏の疲れが声に来た。
そんなときは声を休めるよう心がけるしかない。

 
そんななか、夏休み最後の週、家族で沖縄に出かけた。

いろいろと事前に調べていて、ふと目に止まったのが美ら海水族館にほど近いもとぶ元気村

そこでイルカとふれあいながらイルカについて学ぶドルフィンスクールというのがあった。
0歳から体験可能とあったので、次男も一緒に体験することに。

 

午前中、美ら海水族館を訪れ、そこでイルカショーを見る。
子どもたちにはその光景が目に焼き付いている。

そんな状況で、午後からイルカのもとに。

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思ったよりも大きなイルカにびっくりしたようだが、インストラクターの指導を受けながら、いろんなことを楽しませてもらう。

 

ここはそうした遊びだけではなく、ドルフィンセラピー(ドルフィン・アシステッド・セラピー)を行っている。

十数年前にアニマルセラピー(アニマル・アシステッド・セラピー)やペット・ロスという問題に興味を持ち、そこに浄土真宗がどのように関わっていけるのかということを論文に書いたことがある。

その時に、このドルフィン・セラピーのことを知ったが、それが国内に。 

 

長男が近所の大型犬に襲われ、それ以来トラウマとなってしまっている。

ドルフィン・セラピーを受けるまではいかないが、こうした大きな動物とふれあうことで、少しそれが和らげばと、そんなことも思いながら。

何はともあれ、大変良い思い出となったようだ。

 

そして、昨夜は我聞会の納涼会。
OBを交え、お盆の慰労とこれからの報恩講に向けて・・・。

 

彼岸会が終われば、報恩講参り。
それに加えて10月は組内行事が目白押し。

 

今週末の8日には、仏教壮年会と仏教婦人会共催で「講演とビデオの夕べ」を開催。
お誘いあわせてお参りを。

 

金子みすゞ展 ~福屋八丁堀本店

8月26日(日)

夏休みも残すところあとわずか。

昨日、今日の2日間、父と子、母と子で広島アンデルセンの「夏休み 親子でアンデルセンに行こう!」イベントに参加。

昨日は長男と一緒に「夏休みのモビール作り」に挑戦。
そして、今日はこどもお菓子教室「夏野菜のカップケーキ&クリームディップ」。

いろいろと夏休みの良い思い出となったよう。

 

その間、ずっと留守番の次男は、アンデルセン3階に新しく出来た子ども用のパン工場がとても気に入ったようで、パン屋さんになりきり。

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こちらも良い夏休みの思い出がひとつ。

 

昨日はそのイベントの後、福屋八丁堀本店で開催中の「金子みすゞ展 ~みんなちがってみんないい」に。

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たくさんの来場者で、ゆっくりと見ることが出来なかったが、図録を買って帰って家でじっくりと。

没後80年。
それでも、たくさんの方に影響を与えている。

 

金子みすゞの育った山口県長門市の仙崎。

その近くに、世界で初めて作られた日曜学校があったのだそう。

小児念仏会

200年以上も前、浄土宗の西円寺で、近所の子を集め、仏法に触れる機会を設け、お供えのお菓子を振る舞ったりしたのが始まり。

【参考】築地本願新報

金子みすゞも、小さい頃日曜学校に通っていたことが、詩の背景にあると聞く。

 

小さい頃から、こうしたご縁を通して育てられるこころ。

子どもたちにも、いろんなことを学んでこころを育てて欲しい。

親をよぶ声

7月5日(木)

一昨日まで、今日の予定が入ってなかったので、10時から次男 蓮の幼稚園へ参観日に行くことにしていた。

それが、一昨日の7月3日、呉東組浄徳寺の前々坊守さんがお亡くなりになられ、昨夜が通夜、そして今日の11時に葬式が。

10時30分に集合とのこと。それで、10時から20分ほど参観することに。

これまで2回の参観日では、ずっと大泣きだったのに、今日はみんなのなかに座り、七夕飾りを作っている。

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帰る前に「おとうさん、お参りに行ってくるからね」というと、素直に受け入れて。

我が子が成長してきていることを感じながら見ていると、後ろから

おとうさん、おとうさん、おとうさん・・・。

と、何度も連呼する声。

何かと思い、ふり返ると、後ろに座っていた女の子が、私に向かって「おとうさん」と呼んでいる。

??と思いながら返事をすると、ニコッとしてくれる。

我が子から「おとうさん」と呼ばれるのなら、すぐにでもふり返ったのだろうが、よそのお子さんから「おとうさん」と呼ばれると、まったくピンと来ず、気づかなかった。
「蓮くんのおとうさん」と呼ばれたらすぐにふり返ったかな?

 

私たちは、阿弥陀如来を「ほとけさま」と呼ぶ。

でも、『阿弥陀経』に「恒河沙数諸仏」とあるように、仏にはガンジス河の砂の数ほどたくさんの仏がおられると説く。

でも、たくさんのほとけさまがいようが、私たちのほとけさまは「阿弥陀如来」。

たくさんほとけさまがいるなか、どのほとけさまと言わずとも、「ほとけさま」とのよびごえに、阿弥陀如来は応えてくれる。

 

今日の浄徳寺での葬式で、御住職のあいさつのなかに、親の願い、子のよびごえを聞かせていただいた。

節分

2月3日(金)

今日は節分。

朝、昨夜降った雪がうっすらと残る。

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まだまだ寒さは厳しいようだが、暦の上では明日が立春。

そして、今日は「鬼は~外、福は~内」。

人間は弱いもので、何かいやなこと、悪いこと、苦しいが重なると、何とかしてそれを追い払おうと考える。

鰯の頭も信心から

学生時代に京都で節分に柊に刺した鰯の頭が玄関先にあるのを見て驚いた。

また、恵方巻にも驚いたが、今では全国どこでも見られるように。

 

来たる2月7日は如月忌。

仏教婦人会を設立されたり、関東大震災の復興事業に奔走された九条武子夫人の御命日。

おほいなるものの ちからにひかれゆく わがあしあとの おぼつかなしや

どんなにお念仏をよろこぶ身とさせていただいても、私が歩んでいる道は、何ともおぼつかない。

ふらふらっとしてしまう人間の弱さ、自分のこころに気づかせていただくのも、この節分。

葬式 ~読経の意義~

2月2日(木)

今日は大変寒い一日だった。

叔父(前住職の弟)が一昨日亡くなり、昨夜お通夜、今日お葬式が専徳寺本堂にて営まれ、導師を勤めさせていただいた。

晩年は専徳寺総代、仏教壮年会でもいろいろと専徳寺の活動にご尽力いただき、その最後を見送らせていただく。

ただ、僧侶として、何が出来るというわけでもない。
僧侶として出来ることは、ただお経を読み、お念仏をとなえるのみ。

しかも、それは亡くなった叔父のために読経したり、念仏をとなえるのではない。
叔父にいただいたご縁を通し、御本尊の前でほめたたえる。

『吉本隆明が語る親鸞』のなかに、

『三帖和讃』は「和語の教行信証」とも呼ばれ、親鸞が称えた教義をより多くの人が体得していく大きな手助けとなってきたことだろう。その一方で、和讃を「労働歌」として授かった民衆は、日々の暮らしのなかで我知らず口ずさみ続け、いつしか、自然と教義を身に沁み込ませていったはずだ。その意味において和讃は、日本の賛美歌であると同時に、ブルースであるといっても過言ではないかもしれない。

と述べているが、私も読経とは、ある意味ソウルミュージックに通じると以前から思っている。
ソウルミュージックとは、感情(魂)のこもった音楽。
如来よりいただいた願いに対し、こころからそのよろこびを声に表すわけであるから、自分の持っている最大限の力を出さなければ。

昨夜も今日も非常に空気が冷たく、内陣から吹き込んでくる冷気は、まるで冷蔵庫の扉を開けて、その前でお経を読んでいるかのよう。
喉は乾燥し、声が出しづらい状況ではあったが、自分なりに精一杯の読経はさせていただいた。

読経は、意味の分からない呪文のようなものだという声も聞く。
だからといって、それを現代語訳にしたものをただ読めば良いかといえば、そうではない。
それは相手に読み聞かせるためのものではなく、私のこころのあらわれであるから。

丁寧にこころをこめて仏徳讃嘆。

 

親鸞聖人が流罪に処せられるきっかけとなったのも、後鳥羽上皇の女官 鈴虫・松虫の出家。

住蓮房・安楽房の『礼讃』の声に惹かれたためともいわれる。

 

読経をどのように受けとめてくださっているかは分からないが、お念仏をとなえる助け、ご縁となれば幸いである。

 

お寒いなか、ようこそお参りくださいました。

よびごえ

1月22日(日)

今日は呉市文化ホールにて、呉市PTA連合会のコーラス発表会が開かれ、長浜小学校は1番目に登場。

“Sing”と、“遠い日の歌”。

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息子2人を連れて会場に。

初めて衣装を着て、遠い舞台の上で歌う母の姿に、次男 蓮(3歳)は戸惑い、「おかあさん、おかあさん」と。

歌っているあいだは、我慢して小さな声で呼んでいたが、合唱が終わり、何も言わずに退場していく後ろ姿に、抑えきれずに大きな声で泣き叫ぶ。

名前を呼んでも返事が返ってこない寂しさ。

 

甲斐和里子さんの詠まれた、

御仏(みほとけ)をよぶわがこゑは 御仏のわれをよびます御声(みこえ)なりけり

御仏の御名(みな)をとなふるわが声は わが声ながらたふとかりけり

この歌を思い出す。

 

よびごえに応える。その応える声は尊い。

 

11時から法務のため、長浜の出番が終わったら、泣き叫ぶ我が子を抱いてさっさと退出。

練習の甲斐あって、大変良い出来だったよう。
長浜小学校PTA最後のコーラス、ご苦労さまでした。

親鸞 激動編

1月18日(水)

今日、中国新聞より五木寛之氏連載の『親鸞 劇場編』(上)(下)2巻が届いた。

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講談社からも出版されているが、中国新聞版は書店には並ばず、注文販売のみ。

 

御正当を終え、また新たに。

松の内

1月4日(水)

正月3ヶ日も終わり、今日から仕事始めの方も多いようだ。

寺はどうかというと、昨日3日には法事が3件。
そして、夕方には正月の荘厳の片付け。

 

江戸時代に書かれた『考信録』(玄智)によると、

本山には正月十五日まで法談及御消息拝読これなし。末寺もこれに準じて或は七日、或は三日までを限りとす。その権輿を詳にせざれども、所詮は歳首は祝慶を本とする節ゆへに世儀に随ひて生死無常の教導をば且く閣かるゝならん。歳初三日は僧の門を出ざると同じ。(京には正月上日の朝、白骨の章をよむ輩もまゝこれあり。俗を醒し弊を矯るの謂なり。)

と、昔は1月15日まで、本願寺では法談・御消息の拝読はされず、それにならって末寺でも3日もしくは7日までしなかったと伝える。

そのわけは、世間の正月の慶び事にしたがって、生死無常の教えをしばらく差しひかえたからだと。

なぜ、15日までか。
それは、「松の内」といって、正月の松飾りを小正月の15日まで飾っていた期間であったため。

 

今はその頃と事情も違う。
世間の有り様も変わってきたため、お寺も同様に変わっていく。

1月1日から開いてる店もあり、一昔前の正月と随分変わってきた。 

門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

トンチの一休さんで知られる一休宗純のことば。

ただ、正月が単なる通過点ではなく、今生かされているいのちを感じるご縁でありたい。