一体感

11月22日(火)

報恩講、昨日は沼田地区の北側を。

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今日は沼田の南側。

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朝晩は冷え込んできたけれど、日の当たる場所はポカポカと穏やかな2日間。

 

お参り先で、落語の話をされる。

「初めて生で落語を見させていただきました。」

と、笑顔で。

 

本堂でたくさんの笑い声。

みんなで笑うと会場に一体感が生まれる。

一番後ろの席から、久しぶりにそんなことを感じさせていただいた。

 

蓮如上人は、みんなでおつとめできるようにと、親鸞聖人の書かれた『教行信証(顕浄土真実教行証文類)』の正信念仏偈と、三帖和讃を合わせられた。

以前、テレビの蓮如上人の特集で、一人で歌うのと大勢で歌うのに違いがあるかという実験をした。

すると、一人で歌うよりも大勢で歌う方がひとりひとりの声が大きくなるという結果が出た。

みんなで唱えると大きな声で唱えられる。
一体感がそこに生まれる。

 

お寺はそんな場所。

ひとりでないよ、みんな一緒。

モズの高鳴き

10月3日(月)

今日から3日間、白岳地区の報恩講。

今朝、窓の外で、今秋初めてモズの高鳴きを聞いた。

この声を聞くと、

ちいさい秋 みつけた

 

モズといえば、あんまりいい話が残っていない。

5月に当ブログで紹介した「忍音」

そこにホトトギスとモズの話が出てくるように。

 

そして、モズといえば、早贄(はやにえ)

捕獲した虫などをとがった枝の先に突き刺すことで知られる。

お釈迦さまがたとえ話でこのモズの話をされているそう。

モズは、冬に備えて虫やカエル・トカゲなどを捕まえては枝の先に突き刺している。
そのモズは、突き刺したエサの場所を忘れないようにと、空にある羊雲を目印にしようとした。
でも、その目印であるはずの羊雲は、どんどん動いている。
それで、モズは早贄にしたエサを食べれずに過ごしているのだと。

これは、何をよりどころとして生きるかのたとえ。 

 

モズは、漢字で「百舌」とか「百舌鳥」と書く。

これは、二枚舌ならぬ、百枚も舌があるというわけではない。
いろんな鳴き声をマネすることができるからだそう。

一度だけ、まるで小鳥のさえずりのような声を出しているのを聞いたことがある。

『阿弥陀経』のなかに、

白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命之鳥

と、浄土にいる六種の鳥の名前が出てくる。

そのなか、「舎利」。

この「舎利」を中国の経典の注釈書には、「鶖」とか「鶖鷺(しゅうろ)」、また「鸜(ははつちょう)」、「鴝鵒(はっかちょう)」などと書いてある。

「鶖」とか「鶖鷺(しゅうろ)」とは、水鳥のことであるので、少し意味が違うように思うが、「鸜」とは九官鳥、「鴝鵒」はハッカチョウといって、どちらも黒くて人間のことばを真似ることができる鳥のこと。

ただ、その後にこれらの鳥は「百舌鳥」のことであると書かれてある。

九官鳥とモズは姿も声もまったく違う鳥ではあるが・・・。

 

これは、当時の中国で、恐らく九官鳥やハッカチョウという鳥を見たことのないものにとって、ことばで何と説明しようと、その姿は分からない。

そこで、モノマネをする鳥といえば「モズ」のような鳥。ということだったのだろう。

 

まったく違った鳥ではあるが、中国では浄土の鳥「舎利」はモズのこととして訳された。

なかなか他の鳥と違って、浄土の鳥?という感じではあるが、そんな鳥がそのままの姿でいるのも浄土かな。

彼岸花 ~曼珠沙華~

9月22日(木)

暑さ寒さも彼岸まで

台風一過。
今日は久しぶりの青空の下、小坪地区報恩講。
つい先日までの暑さもなくなり、汗もそれほどかくことなくお参りさせていただいた。

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今日のお参り先で、白い彼岸花を仏華にお供えしているお宅があった。

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仏華には、基本的に毒のある花、悪臭を放つ花、とげのある花は使わないとされる。
でも、この彼岸花には毒があるそう。

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もともとは、稲と一緒に大陸より伝来し、田んぼのあぜ道などにモグラやネズミが穴を掘らないように植えられたといわれている。

また、お墓のまわりにも同じような理由で植えられた。
それで、お墓のまわりにお彼岸になると咲くことから、「死人花(しびとはな)」「地獄花(じごくばな)」「幽霊花(ゆうれいばな)」などと、あまり好まれない呼び名で呼ばれることも。

でも、この花の毒は、長時間水にさらせば無害になるそうで、戦時中などの非常時には食用にもなったのだそう。

この彼岸花。
これは江戸時代頃からの呼び名だそうで、別名を「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」という。

曼珠沙華とは、古代インドのことば「サンスクリット語」のmanjusaka(マンジュシャカ)の音写が由来だそうで、『法華経』というお経のなかに、釈尊が多くの菩薩のために教えを説かれたとき、天から

曼陀羅華・摩訶曼陀羅華・曼珠沙華・摩訶曼珠沙華

の四華をふらせて供養したと出てくる。

ここでいう曼珠沙華とは、天上に咲く花で、白くて柔らかく、これを見るものに悪を離れさせるはたらきをもっている花だそう。

どうやら、私たちの知っている曼珠沙華とは違うようだ。

曼陀羅華(まんだらけ)も、チョウセンアサガオの別名で、この花も有毒なのだそう。
でも、葉が薬に用いられるらしい。

曼陀羅華や曼珠沙華の名前が今の花につけられた意味は定かでないが、大切にされた花だからこそ、お経に出てくる名前がつけられたのであろう。

毒花ではあるが、天から降って仏さまを供養した曼珠沙華。

ちょうど彼岸の頃に咲く花。

彼岸。
自らの行く末をこころにいただく大切なご縁。

明日から『秋季彼岸会』。
お誘いあわせて、お参りを。

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蜻蛉 ~トンボ~

8月28日(日)

お盆も一段落し、再び暑さがぶり返してきた。

暑さは戻ったが、セミの声は少しだけ。
それでも、ミンミンゼミの声が聞こえてくる。
長浜には、昔からアブラゼミ・クマゼミ・ツクツクボウシ・ニイニイゼミが見られるが、ミンミンゼミは聞くことがなかったのに・・・。

池によく飛んできていたシオカラトンボも見かけなくなってきたが、今朝はカワトンボの仲間、ハグロトンボが飛んできて、長い間とまっていた。

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トンボ

トンボを漢字で表すと「蜻蛉」。
『蜻蛉日記(かげろうにっき)』で知られるように、「カゲロウ」も「蜻蛉」と表記される。

日本語のトンボの語源は定かではないが、稲穂が飛んでいるように見えるから、「飛ぶ穂(とぶほ)」が訛ってトンボとなったともいわれている。

日本では古来トンボを「秋津(あきつ)」とも呼んでいたそうで、日本のことを「秋津洲(あきつしま)」と表すこともあったとか。

これは、神武天皇が大和国(現在の奈良県)の丘に登り、その国土を一望して、

あきつのとなめのごときにあるかな (『日本書紀』)

といわれたことに由来するそう。

「あきつ」とはトンボ。「となめ(臀呫)」とはトンボが交尾をしているときに見せる、お互いのしっぽをくわえて飛んでいる姿を現しているのだと。

狭い国だがすばらしい国。まるで、トンボ(秋津)がとなめ(臀呫)しているようだと褒め称えたから「秋津洲(あきつしま)」と呼ばれるようになったとか。

それくらいトンボは昔から馴染みのある虫であったようだ。

西洋でトンボは不吉な虫と見られていたようだが、日本では勝ち虫と呼ばれ、武士の間で喜ばれたそう。

それは、トンボは前にしか飛ばず、後ろには進まない。それが「不退転(ふたいてん)」を表すからだと。

「不退転」

これはもともと仏教用語。

浄土真宗では、信心を得たものは不退転の位に住すといわれる。

真実信心うるひとは
 すなわち定聚のかずにいる
 不退のくらゐにいりぬれば
 かならず滅度にいたらしむ (浄土和讃)

それがいつの頃からか「不退転の決意で取り組んでいく」とか、いろんな使われ方をされるようになってしまった。
「他力本願」もそうだが、誤った用い方はいろんなところでされてしまっている。そのことばがそのように使われるようになった意味を問うてみることも大切かと。

盆の花

8月16日(火)

咲いた 咲いた 盆の花

花は花でも、色とりどりの盆灯籠。

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今年もたくさんの盆灯籠が立てられた。

安芸の国の風物詩となったこの盆灯籠。
コンビニをはじめ、いたるところに並んでいる。

そのはじまりは、江戸時代。
亡くなった娘のために石灯籠を立ててやりたいと思った父親が、そのお金がなかったため、竹をそいで紙を貼り、それを灯籠として供えたことにはじまるといわれる。
(『浄土真宗 仏事あれこれ小百科 ―本願寺派安芸教区―』より)

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初盆は白い灯籠。
これも本来決まりはないが、いつの頃かそんな風に。

日本全国、その地方によってお盆の迎え方にはいろいろあるが、なかなか普段手を合わせることがなくなってきたこの時代に、せめてお盆・お彼岸、ご縁にあって欲しい。

お盆も今日で一段落。
盂蘭盆会法座が18日の夜席から。

それで今夜はもう一つの花が咲いた。

花火。

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夏といえば花火。
今年は震災の影響で関東を中心に花火大会が中止されたとか、被災地で復興を願って花火大会が行われたとか、花火が注目された。

ただ、この花火業界もなかなか厳しいらしい。
線香花火も中国製におされ、三河・北九州・信州といった線香花火の産地から一度は姿を消したそう。
それでも、再び復活。

そんな日本の花火を少しでも応援しようと、今年は国産線香花火をお取り寄せ。

値段の安さでは到底輸入品にはかなわないが、そこは職人の技。

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でも、子どもたちには線香花火よりも派手な花火の方が好まれる・・・。

また今度ゆっくりと楽しみたい。

戦没者追悼法要

8月15日(月)

今日は終戦記念日。

毎年この終戦記念日には、夜7時30分より入江神社境内の忠魂碑の前に御本尊を荘厳して、お隣の住蓮寺さんと追悼法要をおつとめする。

長浜・津久茂の日露戦争以来の戦没者追悼法要。
神社の境内で正信偈をみなさんとおつとめ。
追悼法要が終わると、盆踊り。

盆踊りは明日までの2日間。

祭に追悼法要に盆踊り。
これが長浜のお盆である。

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戦争といえば、平成18年(2006)6月、呉東組団体参拝で鹿児島のかくれ念仏を訪ねに行った時、最後に知覧特攻平和会館を訪れたことを思い出す。

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そこで案内してくださった方が、一通の手紙を紹介。

石川県七尾 石倉三郎さんの母から息子への手紙。

ばくだんをかかえてゆくときは、かならずわすれまいぞ。
南無阿弥陀仏をとなえておくれ。これが母のたのみである。
これをわすれないでいてくれたら母はこの世に心配ごとはない。
わすれないでとなえておくれ。
こんど合うときはアミダさまの所で合うではないか。
これがなによりの母のたのしみである。
わすれてはならないぞ。
てきかんめがけて飛んでいく時は、後生の一大事を心にかけて、「南無阿弥陀仏」とお念仏をもうしていけよ。

特攻機でお国のためにと尊いいのちを投げ出す決意の息子に対し、「無事、帰って来いよ」と口にすることの出来ない時代。
これが親として、精一杯のことばだったに違いない。

でも、この親子には「南無阿弥陀仏」があった。

今日は政府主催の全国戦没者追悼式があり、

戦争の犠牲となった約310万人の冥福を祈るとともに、東日本大震災からの復興を願った。

と新聞に紹介されている。
66回目の終戦記念日を迎えても、いまだに冥福を祈る・・・。

66回目の終戦記念日にふと思う。

慰霊と追悼

8月12日(金)

今日は朝から広のとある企業の慰霊式典に招かれて。
以前は工場の事故で亡くなられる方があり、工場前に慰霊碑がある。その前で読経。

「慰霊」ということばは、浄土真宗では本来用いない。
ただ、今日は日航機墜落事故から26年。慰霊登山が行われたと聞く。

戦争で亡くなられた方の慰霊祭等、この時期、この「慰霊」ということばをよく耳にする。

浄土真宗では、「追悼」ということばを用いる。

この「慰霊」と「追悼」はどのような違いがあるのだろう。

「慰霊」とは、「死んだ人や動物の霊を慰めること」。
「追悼」とは、「死者の生前をしのんで、悲しみにひたること」「とむらう」とある。

この二つのことは一般的に同じことのように理解されているが、慰霊と追悼の違いについて、追悼は死に対しての広い意味で使われることが多いが、慰霊は事故や災害、戦争などで亡くなられた方に対して使われることが多いと指摘される方もいる。

特にこの場合の慰霊とは、無念であっただろう。その思いをここに留めないで安らかに眠って欲しい・・・。という思いがそこにあるのだろう。

いろいろな宗教をもたれた方がおられるので、一概にこのことばを改めることを強要することはできないだろうが、浄土真宗の立場では「追悼」。

故人を偲ぶ大切なご縁である。

初盆

8月5日(金)

今日は特別養護老人ホーム『成寿園』で、この一年に亡くなられた方の追悼法要。

お盆が近づき、亡くなられた方を偲ぶご縁が増えてくる。
また、盆に関する問い合わせも。

この月末に満中陰法要(四十九日法要)を迎える方が初盆の依頼もされていたが、「他の方から四十九日も迎えていないのに初盆を迎えるのはおかしいといわれたのだけれど・・・」と、問い合わせ。

浄土真宗では、亡くなったらただちにお浄土へ参らせていただく。だから、四十九日を迎えるまでのあいだ、魂がさまよっているとか、巷でいろいろいわれているようなことはありませんよ。亡くなられた方との別れを迎え、そして初めて迎えるお盆ということでおつとめさせていただきますと答える。

お盆とは、『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』にもとづく仏教の行事。
専徳寺でも「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という法座を毎年勤めているが、「歓喜会(かんぎえ)」と呼ぶお寺もある。
特別なお荘厳をするわけではないが、本願寺では切子灯籠と呼ばれる灯籠が御内陣に荘厳されるそう。

専徳寺は各御門徒のお宅をまわるお盆参りを昔からしていない。
初めてのお盆(初盆)を迎えるお宅で、依頼のあったところだけをお参りさせていただく。

その代わり、最近増えてきたのがお盆期間中の法事。

「お盆に家族が揃うので」。それが一番の理由のよう。
遠方にお住まいのご家族が揃うことは、今のご時世なかなか難しくなっている。
ただ、お盆のときにふるさとへと帰ってくる。
それでこの時期に法事をされるお宅が増えてきた。

ふるさとへ帰る。それを表す「帰省」ということばをよく耳にする。
今ではただふるさとへ帰るという意味で「帰省」ということばが使われているようだが、この「省」という字には「親の安否を気づかう」という意味があるのだそう。

ただ、お盆の法話でよくするのだが、親の安否を気づかってふるさとへ帰るといいながらも、そこには親が子どもの安否を気づかって呼び戻しているケースの方が多いことに気づかされるのではないですか?と。

お盆の由来はどうであれ、今では一つのご縁。
先にお浄土へ参られた方が、私たちの安否を気づかって、お仏壇やお墓の前に導いてくださっている一つのご縁である。

大賀ハス (2)

7月29日(金)

昨日、開いた大賀ハス。

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今日は全開。

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そして、昼過ぎには、

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再びつぼみ。

ホントに不思議な光景。
私たちの知らない自然の力。

新潟では記録的な豪雨で、大変な被害が出ているようだ。
はかりしれない自然の力。

その前になすすべがない。

その昔、人は自然を畏れ、敬うこころを持っていた。

大賀ハス

7月28日(木)

黄陽が昨日みごとに散った。

そして、今日大賀ハスの花が開いた。

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大賀(おおが)ハス

今から2000年以上昔のハスの実から発芽・開花したため、古代ハスとも呼ばれる。
大賀一郎博士にちなんで「大賀ハス」と名づけられた。

戦時中、東京都が燃料不足を補うため、千葉県花見川下流の湿地帯に豊富な草炭が埋蔵されていることに目をつけた。
戦後も継続して採掘が行われているうちに、たまたま丸木舟とハスの花托を発見。

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それを知ったハスの権威 大賀一郎博士が、地元の小中学生や一般市民などのボランティアの協力を得て発掘調査を行った。
その結果、3粒のハスの実を発掘したが、2粒が栽培に失敗。残りの1粒が昭和27(1952)年7月18日にピンク色の大輪の花を咲かせた。

そのニュースは、「世界最古の花、生命の復活」と、アメリカの『LIFE』誌にも紹介されたとか。

このハスの再生は、もともと燃料不足を補うところから始まった。

今、日本は『脱原発』ということばを毎日のように聞く。
ただ、それを補うためのエネルギーを模索しなければ。
そのエネルギーの模索から新しい発見があるかも。

何がきっかけ、何がご縁となるか分からない。
明日の朝には大きな花を咲かせるでしょう。