閻魔蟋蟀

9月10日(金)

朝、「廊下に虫が!」

との声を聞いて、廊下に出てみると、

すぐにコオロギとは分かったけれど、何コオロギ?
と、とりあえず写真に撮って、そっと手のひらに入れて庭に離す。

調べてみたら、エンマコオロギ?

エンマコオロギ

漢字で書くと、〈閻魔蟋蟀えんまこおろぎ〉。

何と、学名も〈Teleogryllus emma〉、英名も〈emma field cricket〉、「閻魔」が付くそう。

こんな小さな虫がなぜ閻魔?と思ったら、

眉のように見える帯が、閻魔大王の忿怒の顔を思い浮かべるから、そう名づけられたとか。

 

閻魔

お聖教の中で「閻魔」はあまり聞いたことないなぁと思って調べてみたら、源信僧都の『往生要集』には出てくるけれど、七高僧の他の六祖には見られない。

親鸞聖人は、息子善鸞義絶のことを性信坊へ知らせたお手紙の中に、

もしこのこと、慈信(善鸞)に申しながら そらごとをも申しかくして、人にもしらせずしてをしへたること候はゞ、三宝を本として三界の諸天善神・四海の竜神八部・閻魔王界の神祇冥道の罰を、親鸞が身にことごとくかぶり候ふべし。
自今じこん以後は、慈信におきては、子の儀おもひきりて候ふなり。(『親鸞聖人御消息』註釈版聖典753~754頁)

と、一箇所だけ〈閻魔〉の言葉を使用。

 

広島県では、9月12日までの緊急事態宣言が、9月30日まで延長決定。

それを受けて、9月27日から予定していた石泉文庫虫干し法座は中止

ただし、虫干しだけはしておきたいので、10月末に虫干し作業だけ行うことでただいま調整中。

 

秋季彼岸会は、当初の予定どおり9月23日(木)朝9時よりおつとめだけして、法話はなく、法話の代わりに『念佛日和』特別号を配布予定。

昨年のお彼岸は1週間、和傘を使ってライトアップをしたけれど、今年はなし。

先日お参り先で、昨年のライトアップを見に来てくださった方が、「虫の声がすごかった」との感想を。

 

こちらは毎晩聞いてるので、それほどにも思わなかったけれど、秋の虫の声、大合唱。

360度サラウンド。

360度閻魔さま。。。

 

 

正信偈 2

9月8日(水)

昨日、1冊の絵本を贈っていただいた。

先月、出版されると知って、すぐにAmazonで予約。

お届けは9月末。

ただ、出版元では販売が始まってると後から知ったけど、しばらく楽しみに待とうと思っていた矢先のこと。

『絵ものがたり 正信偈 2』。

 

前作『絵ものがたり 正信偈』。

 

この絵本を読んだことをご縁に浅野執持師に御講師として来ていただき、そこでこの続編の話をお聞きして、ずっと楽しみにしていた。

それがこのたび。

 

前作と違い、今作はALL僧侶の作品。

絵を3名の浄土真宗本願寺派の僧侶が描く。

切り絵、水彩画、消しゴムハンコ。

それぞれ素敵な絵に、正信偈の御文をやさしく。

 

今作は、七高僧のうち、龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師についての絵本。

と言うことは、また続編もあるのかなと期待しながら。

 

 

 

 

秋明菊

9月7日(火)

春に女郎花おみなえしの側に鉢植えから地植えした秋明菊しゅうめいぎくが咲き始めた。

切り戻しした桔梗がまた少し咲き出したけど、ずっと咲いていた女郎花は少し色がくすんできた。

そこへ白い秋明菊。

菊と名前は付いていても、菊の仲間ではなく、キンポウゲ科、アネモネの仲間。

中国原産の植物で、古い時代に持ち込まれた帰化植物だそう。

 

中国では「秋冥菊しゅうめいぎく」。

日本の「明」とは反対の「冥」。

日本では、「冥途(冥土)」と結びつき、良い意味ではないからと、「秋明菊」と名づけられたそうだけど、「冥」には、〈暗い〉という意味の他に〈奥深い〉という意味があるそう。

本来は、秋に咲く奥深く幻想的な菊、そんな意味だったのかなぁ。

 

〈冥途〉とは、地獄・餓鬼・畜生の三悪道の世界。

設我得仏 国有地獄餓鬼畜生者 不取正覚

阿弥陀さまの四十八の願いの一番最初に出てくるのが、お浄土に地獄・餓鬼・畜生の三悪道のない世界を。

設我得仏 国中人天 寿終之後 復更三悪道者 不取正覚

そして、その次に、お浄土に生まれたものは、その後三悪道に生まれることはないことを誓われた。

 

〈冥〉でなく、〈明〉の世界に。

お彼岸が近づいてきた頃に咲く花に、そんな勝手な思いを。

 

このコロナがなければ、例年9月8日に仏教壮年会・仏教婦人会共催で、『ビデオと講演の夕べ』を開いていたけれど、今年も昨年に続いて中止。

そこで、このたびは『お彼岸 秋』(本願寺出版社)をお届けするよう、袋詰めが完了したので、近々会員の皆さまのお手元に。

 

台風一過

8月10日(火)

台風9号も過ぎ、今日は青空。

今朝、今年2つ目の大名蓮が咲いた。
風で少し傾いたけど。

咲いたと言っても半開き。

全開となるのは、明朝かな。

 

恐らく今夏最後の蓮の花。

明後日の天気は大雨の予想なので、明日が見納めかも。

 

きれいに咲いてくれれば、これで今年株分けした蓮、4鉢ともすべて花をつけることに。

 

おのづから月やどるべきひまもなく池に蓮の花咲きにけり  西行

 

ちゃんと願いが届いて、南無阿弥陀仏の花開く。

うてな

7月30日(金)

今朝、同時に2輪の案頭春が。

写真で見ると大きく見えるけど、実際には

直径10センチほどの小振りな蓮。

緑の葉っぱに赤い蓮、そして鮮やかな黄色の花托。

蝉時雨の中、清涼と。

 

露の身は ここかしこにて 消えぬとも
 こころは同じ 花のうてなぞ (法然聖人)

流罪で四国へ赴く法然聖人が、九条兼実公への返歌として詠まれたそう。

《参考》浄土宗 大本山 増上寺ホームページ

 

うてな」とは、漢字で「台(臺)」とか「蕚」と書き、『源氏物語』にも、

はちす葉をおなじうてなと契おきて露のわかるるけふぞかなしき

と、古来よりお浄土を蓮台で表現。

 

そして、親鸞聖人はお名号に蓮台。

蓮はお浄土を想う花。

夏たけて堀のはちすの花みつつ仏のをしへおもふ朝かな

昭和天皇もお詠みに。

 

明日もきれいに咲きますように。

案頭春 2021

7月28日(水)

今朝、赤い蓮《案頭春あんとうしゅん》が開花。

先日咲いた大名蓮は大輪。
こちらは少し小さめ。

「案頭」とは、机上を意味するそう。

と言うことは、《案頭春》とは、机上の春。

机の上に飾れるくらい小さい花ということかな?
でも、春???

9時前には萎んでしまったので、明日の早朝全開でしょう。

 

池中蓮華ちちゅうれんげ 大如車輪だいにょしゃりん 青色青光しょうしきしょうこう 黄色黄光おうしきおうこう 赤色赤光しゃくしきしゃっこう 白色白光びゃくしきびゃっこう 微妙香潔みみょうこうけつ

お浄土の蓮は、車輪のように大きいらしい。

《案頭春》、スケードボードの車輪よりは大きいかな。

 
明朝を楽しみに。

願い

7月7日(水)

今日は七夕。

願いごとを記した短冊をあちらこちらで。

これは乞巧奠きこうでんと言う中国の風習に由来するそう。
技巧を乞う。
織り姫様にあやかって裁縫の上達などを願う儀式だったとか。

「願いが届く」
「願いが叶う」

願いが成就した時は、何とも言えない喜びがある。

 

今朝、2つの願いに望みが。

1つは、蓮の蕾が1つ。

昨年の蓮を、今年は蓮根から育て、毎日毎日声をかけながらじっとこの時を待っていた。
でも、他所の蓮が開花したと言うニュース等を見ると、ダメだったのかなぁ。。。と心配に。

それが、昨日はなかったはずなのに、朝蕾が1つ。

これは嬉しい。

 

そして、もう1つ。
ヒマラヤスギにキジバトが戻ってきて、また抱卵を。

先日から姿を見かけるようになったので、ひょっとしたらと期待していたら、今朝前回の巣に。

でも、喜ぶのも束の間。。。
昼から庭木の剪定で職人さんが機械を使っていたから、ちょっと心配。
夕方、巣を覗くとキジバトの姿が見えず、白い卵だけが。。。

求不得苦。

 

願いが叶うのには時間もかかる。
早く早くと焦らずに。

五劫思惟之摂受

阿弥陀さまは五劫と言う長い時間を。

早く早くと焦らずに。

学問とは

7月1日(木)

今日から7月。
そして、今日は呉空襲の日。
いろいろと思いを馳せながら。。。

国立国会図書館デジタルコレクションの『現代名流自伝』第1編に、前田慧雲勧学が「子の受けたる境遇と感化」と題して書かれた中に、石泉僧叡和上のことを挙げられていたので紹介。

 

石泉僧叡せきせんそうえい事蹟じせきに感ず

それから二三年の後、父から仏学のはなしを聞くについて、時々真宗の先哲せんてつはなしをしてれた事があります。其のうちついて最も感じたのが、芸州げいしゅう石泉僧叡せきせんそうえいといふ人のことで、父がそれをはなすについて、学問とふものは、この人のような学問でないと真実な学問でない。この石泉師せきせんしのは自身の心の底からして出た学問で、真の学問である。書物に書いてあるのを読んで覚えたり、口の上から聞き込んだけのものでは、学問とはへない。今日こんにちの学者はみな書物の上の事を受売うけうりしたり、師匠のふた事をり返すに過ぎないので、真実の学者でない。真実の学者は、自分で一けんしきを立てて、自分の心から出したものでなけらねばならぬ。ところこの僧叡そうえいふ人は、自分の説が当時の学者にれられず、本願寺からして糺問きゅうもんを受けたけれどもそれにもくっせず、安芸国あきのくにの一田舎の長浜といふところ隠居いんきょして、みずから学生をやしなうて、一生の間本山へはもちゐられずしておわった。その僧叡そうえいの目から見ると、本山にもちゐられてゐる学者共がくしゃどもは子供同様であって、初めから相手にしなかったくらいであると話されて、おおいに感動しました。成程なるほど、学問は書物に書いてある通りを其儘そのままふてゐるようではつまらぬ。どうしても一個の説を立てねばならぬといふかんがえおこりました。其後そののちふものは書物を見るたびに、無理矢理にでも自説をこしらへて見やうとつとめて、論語を読んだ時には『論語考』といふものを書いて、その草稿そうこう何処どこやらに有りましたが、今見るといふと可笑おかしい事ばかりではあるが、ふ事が多少の見識をつけました。

 

学問とは、そのまま受け売りするのでなく、自身の心の底から出てくるもの。

いつの時代も、先人の言葉に学ぶべきことが。

 

ちなみに、前田慧雲勧学は、専徳寺に建つ大洲順道の頌徳碑を書いてくださっている。

 

アインシュタイン記念日

6月30日(水)

現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは仏教です。

そう語ったのは、アインシュタイン。

今日6月30日は、1905年(明治38年)、アルベルト・アインシュタインが相対性理論に関する最初の論文「運動する物体の電気力学について」をドイツの物理雑誌『アナーレン・デル・フィジーク』に提出したことから「アインシュタイン記念日」と言うらしい。

 

アインシュタインと言えば、先日次男がこの本を読みたいと言うので取り寄せた。

トーベン・クールマンの新作、『アインシュタイン ―時をかけるネズミの大冒険-』。

リンドバーグ、アームストロング、エジソンに続く第4弾の絵本。

長男が6年生の時、6年生に読み聞かせで第1作目の『リンドバーグ』を読んだ。
その時1年生だった次男にも、家で練習を兼ねて読んだ。

このシリーズを読み聞かせで読んだのはその一度きり。
読み聞かせで読むにはあまりにも長かったので。。。

でも、それをきっかけに、新作が出るたびに揃えていった。
そして、中学に入っても、この本を読みたい、リンドバーグを読んでもらったの覚えてる、このシリーズが一番好きだと。

何がきっかけになるか分からないなぁと思いながら、今日この本を読む。

絵もリアルだけど、物語もひょっとしたらホントにネズミが?と思ってしまうくらい面白い。

 

コロナ禍で寺内の人流は相変わらず少ないけれど、いろんな珍客往来。

胡麻斑髪切(ゴマダラカミキリ)

「胡麻斑」 〈ごま まだら〉と書いて「ゴマダラ」
ゴマちゃんで知られるゴマフアザラシは「胡麻斑海豹」と書いて〈ごまふ あざらし〉と読む。
〈ごまだら〉と〈ごまふ〉、その線引はどこだろう。。。

赤手蟹 (アカテガニ)

まるで真っ赤っかのボクシンググローブを着けてるみたい。
カニは何故横に歩くのだろう。。。

 

木瓜 (ボケ)

木瓜の実が黄色く色づいた。
先日、『いのちの荘厳 仏華』(本願寺出版社)を読んでいると、ボケはトゲがあるので仏華には向かない「禁花」であると。

そこで初めて、ボケってトゲのある花だったのか。。。と。
専徳寺のボケはすべてトゲなし。
特に手水鉢の側のボケは、トゲがないので水浴びに来たメジロの止まり木。

女郎花 (おみなえし)

桜の側に植えた女郎花の背丈が急に伸びて、その先につぼみが。
どんな花が咲くかなぁ。
その隣の藤袴はバッタに葉っぱをかなり食べられたので、花をつけるかちょっと心配。

 

 

想像力は知識より大切だ。
なぜなら、知識には限界があるからだ。
  -アルベルト・アインシュタイン-

知識には限界があるけれど、ご縁に限界はない。
いろんな人やいろんなことに出会い、いろんなものに触れていくだけで、想像する力が生まれる。
もちろん、触れたくない縁もあるかも知れないけれど。。。

それもまたご縁なのかな。

蚇蠖

6月28日(月)

境内の植木鉢のふちに一本の細い枝がピンと。

??じっと見てると、何と!動き出した。

 
 
 
 
 
この投稿をInstagramで見る
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

浄土真宗本願寺派 嶺宿山 専徳寺(@sentokunet)がシェアした投稿

尺取り虫。

シャクガと言う蛾の幼虫。

中国の曇鸞大師は『往生論註』に「蚇蠖しゃっかく ・蚕繭さんけん 」の譬えを。
《参考》浄土真宗本願寺派総合研究所

仏本ぶつもとこの荘厳しょうごん清浄しょうじょう功徳くどくおこしたまへる所以ゆえんは、三界さんがいそなはすに、これ虚偽こぎそう、これ輪転りんでんそう、これ無窮むぐうそうにして、蚇蠖しゃっかく 〈 かがまりぶるむしなり 〉の循環じゅんかんするがごとく、蚕繭さんけん 〈蚕衣さんえなり〉 の自縛じばくするがごとし。あはれなるかな衆生しゅじょう、この三界さんがいしばむすびてけず 〉られて、顛倒てんどう不浄ふじょうなり。(『往生論註』七祖註釈版57頁)

「蚇蠖」と言うのが尺取り虫。
植木鉢の縁をぐるぐるぐるぐると回っている姿がまさに循環するがごとく。

かいこは糸を出してまゆを作り、自分を閉じ込めてしまう。

そんな虫の姿を譬えて、私たちの世界は迷いの境界だとお示しくださった。

 

また、曇鸞大師は他にも有名な譬えで、

蟪蛄けいこ春秋しゅんじゅうらず」といふがごとし。この虫あに朱陽しゅようせつらんや。るものこれをいふのみ。(『往生論註』七祖註釈版98頁)

と。
『荘子』の「朝菌ちょうきん晦朔かいさくを知らず。蟪蛄けいこは春秋を知らず」を引用した譬え。
蟪蛄」とはセミのこと。「朱陽」とは夏のこと。

 

虫、鳥、花、取り巻く世界すべてがお念仏のご縁に。