呉東組法中会

10月1日(火)

今日から10月。

“衣替え”をしようにも、汗がだらだらと。しばらくは夏用の衣かな。

 

毎年10月初旬は広白岳地区の報恩講。

白岳地区はあっちこっちとバイクで移動しながらのお参り。
父との思い出話を時折聞かせていただきながら。

 

今夜はお通夜があり、そのまま衣姿で善通寺へ。

呉東組定例の法中会。

 

いろいろ報告と確認。

そのなかで、広島の本願寺派寺院出身のドキュメンタリー映画監督 青原さとし氏が、現在『土徳流離』という映画を製作している話を聞かせていただいた。

帰って調べてみると、Yahoo!ニュースに記事が。

 

福島県の相馬町には、浄土真宗門徒の移民の歴史が。
そして、このたびの震災による原発事故で再び・・・。

是非とも応援し、観てみたい。

 

そして、帰り際、絵本を頂戴した。

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善通寺さんがこのたび制作した絵本。

以前、漫画を描いておられ、コミック雑誌に掲載された『龍樹』はなかなか面白かった。

 

いろいろと才能をもっておられる方が近くにおられるのだなぁと。

 

明日も朝から報恩講参り。 

 

2013年10月1日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組聞名講 9月例会

9月10日(火)

今日は戸田説教所にて呉東組聞名講の9月例会。

戸田という地名より、「小須磨」と呼ぶ方がピンとくる。

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先日の台風による大雨の影響で、戸田から仁方までの間が崖崩れで通行止めとなっている。

そのため、長浜・小坪からの海岸線を、マイカーかバイクでしか行くことができない状況。

 

今日のお参りは少ないかなと思っていたが、地元の会員の方を中心にたくさんのお参りをいただいた。

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バイクで説教所に向かう途中、この説教所を少し下りたところに、呉市教育委員会の看板を見つける。

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何と、ここには適塾(緒方洪庵塾)で西洋医学を学んだ三刀寛一郎の収集した資料がたくさん残っているのだそう。

同時代、宇都宮黙霖が大病にかかった際、仁方の名医 碓井玄硯が治療したと記録にあるので、仁方には名医が多かったのだろうか?と。

何はともあれ、新しい発見。

 

今日の例会は、浄徳寺住職による御消息の拝読と、法謙寺住職の法話。

そして、御示談。

「到彼岸と聞かせていただくが、到るとあるのを浄土真宗ではどのように味わうのでしょう?」との質問。

組内法中から、彼岸に到るというはたらきの中にいるのだと。

 

説教所の窓の外を見ると、海が広がり、その対岸には蒲刈が。

穏やかそうな海に見えても、ここから蒲刈へ泳いで渡ろうとしても、まず私は無理だろうなぁ。
でも、絶対大丈夫という船(願船)に乗せて渡らせてもらうと・・・。

その船に今乗せてもらっているということが、到彼岸の味わいなのかな。

 

ただ、船に乗せてもらって、絶対に大丈夫だからといわれても、ああだこうだと理屈を付け、不安や迷いを持っている自分がいる。

不断煩悩得涅槃

船の上でよかった。 

2013年9月10日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組法中会

9月4日(水)

台風17号が早朝鹿児島に上陸し、朝からこのあたりも暴風雨。

早々と小学校から休校の連絡。

 

台風の進路をニュースで見ながら、今晩の法中会は・・・。

と思っていたが、午前中に温帯低気圧と変わり、そこからがらりと様子が変わった。

 

夕方には青空がひろがり、今宵は星空のもと、大広の真光寺にて法中会。

今日はそれほど大きな議題もなく、確認事項のみで終了。

 

帰宅して、第5回ご縁の会のポスター兼チラシを作成。

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作成といっても、日にち等を少しつついた程度で、あとの作業は担当部長におまかせ。

10月はいろいろと組内行事も重なり、報恩講と合わせて忙しい1ヶ月となりそう。
そんななかで、良いご縁があれば。

お問い合わせは、呉東組各寺院まで。

2013年9月4日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

我聞会 納涼会

9月3日(火)

台風、秋雨前線の雨のなか、福島のひまわり、里子のひまわりの花が咲いた。

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7月に植えたからか、少し小ぶりなサイズで。

 

今夜は呉東組我聞会の納涼会。

みなさん、先日のお葬式があったから、欠席すると思ってみたいだが、せっかくの案内をいただいたので出席。

先日、父の葬式のことでいろいろと知るなかで、父が継職して4,5年くらいしてから副組長として組内の仕事をずっとしていたからと知って、なおさら組内のことを大切にと・・・。

いろいろなことがそれぞれにいろんなことがあるようだが、そのまんまの姿がそれぞれで良いのが大切なことかなと。

2013年9月3日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組法中会

7月31日(水)

連日、暑い暑い日が続く。

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それでも、鐘楼前の木でクマゼミがけたたましい声で鳴いている。

大きな大きな響く声。

それでも、こんな声でのお経は・・・。

何事も、ほどほどがよろしいかな。

 

今夜は阿賀の称名寺にて、住職方が集まっての呉東組法中会。

いろいろと教区、組の確認。

そして、昨日行われた「ご縁の会」の報告。

 

昨日は春と秋に開かれているご縁の会とは、少しおもむきの違う初めての試み。

お仕事帰りに参加できるようにと、20時から1時間ほど開かれた。

 

その報告書等を作っていたため、昨日はブログをおやすみ。

 

何ごとも、何がご縁となるか分からない。

 

昨日は朝から息子たちと五日市の造幣局の見学。

これもひょんなことから5月の末に地方自治法60周年記念の1,000円銀貨(広島県)が抽選で入手出来ることを知る。

それも、締め切り日当日に。

 

これも何かの縁と、はがきを出したら、何と当たって、額面1,000円の銀貨を6,000円で!?

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そんなこともあって造幣局のホームページを見ていたら、たまたま夏休みに3日間、申込なしで見学できる、「夏休み!特別工場見学」というのがあるのを知る。

 

造幣局の見学なんて、小学校の時以来かな・・・と思い起こすが、何も憶えていない。

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熱く熱く熱せられた金属が延ばされて、そして、だんだんと硬貨になっていく様子を、汗だくになりながら見学。

お金を作るのも大変な作業だな。

 

この見学も、ホントにいろんなことが重なって生まれた大切なご縁。

親も子も、夏休みのはじめに良い社会勉強となった。

 

何ごとも何ごとも、大切なご縁。

なもあみだぶつ

2013年7月31日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

我聞会 7月例会

7月23日(火)

久しぶりに朝から一人で映画館へ。

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福屋本店にある八丁座で『じんじん』を鑑賞。

先日、たまたま『徹子の部屋』に大地康雄さんが出ていたのを見て。

 

北海道の剣淵という町での話。

この剣淵には絵本の館というのがあって、絵本の読み聞かせを通して親と子、人と人とのつながりを大切にしているのだそう。

みんな、“My 絵本”を持っているとか。

そこで繰り広げられる心温まるストーリー。

 

冒頭のシーンで、

「パンダはパンダってだけで人が集まるんだよなぁ。」

と、主人公の銀三郎がつぶやく。

 

この映画の隣では、スタジオジブリの『風立ちぬ』を上映。
そちらには人が入り、グッズ類もたくさん。

ただ、パンダがいなくったって、旭山動物園にはたくさん人が集まってる。

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この絵本の絵を担当しているあべ弘士さんは、その旭山動物園で飼育係をされていた方。

先日、『どうぶつさいばん』を読み聞かせで読ませていただいた。 

 

私もこの年になって絵本の読み聞かせを通して、いろんなことを学ばせていただく。

この映画を通して、剣淵の絵本の話、いろんなところに伝わると良いな。

 

今夜は、住蓮寺にて我聞会。

輪読は『蓮如上人御一代記聞書』(148)(149)。

蓮如上人の御苦労を偲びながら、贅沢に走ること、今の裕福な姿が当たり前と思うことを誡めた御文。

 

法話は、「迷い」をテーマに聞かせていただいた。

そのあと、いろいろとお参り先での失敗談を聞かせていただく。

みんな、理想と現実の中で、いろいろと。

2013年7月23日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組仏教壮年会連盟 総会・研修会

7月12日(金)

今夜は呉東組仏教壮年会連盟の平成25年度総会と第1回研修会が仁方の浄徳寺にて。

Img063今日は総会と研修会。
毎年7月に総会と研修会。そして、10月に第2回目の研修会。年に2回、仏教壮年会のこうした集まりが。

壮年会会員と法中、合わせて100名ほどが本堂に。
しかも、男性ばかり。

お寺でこれだけの数の男性ばかりというのも、何とも迫力を感じる。

 

前半の総会は、昨年度の事業報告と決算報告、今年度の行事予定と予算を審議。

後半の研修会、御講師は浄徳寺の前住職 新田教淳師。

 

講題は『なぜ今、浄土真宗なのか?』。

 

もう御年80歳になられるそうで、自らの人生をふり返りながら、何が大切かということを聞かせていただいた。

 

子どもの頃に戦争を体験し、精神主義から物質主義へと移り変わっていった。

ただ、世間ごとはコロコロと変わっていく。

変わらない真実に出遇うことの大切さ。

それが「聴聞」であると。

 

9時をまわり、車に乗って家路につくと、王子製紙の前で赤色灯の物々しいランプ。

ずらっと並んだ制服姿の警察官に誘導されて止められる。

 

飲酒運転の検問中。

お酒は飲んではいないが、2時間正座してお聴聞すると、何とも心地よいほろ酔い気分。

ドキッとしてしまう・・・。

 

明日は呉東組日曜学校連盟の40周年記念行事。

50数名が朝からバスで広島別院参拝と平和公園に行っての平和学習。

明日は法務のため参加できないが、長男が参加。
担当の方、ご苦労さまです。

2013年7月12日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組聞名講 7月例会

7月10日(水)

午後、青空のひろがるなか、緩やかな階段を昇って、阿賀の称名寺で呉東組聞名講の例会。

正信偈をおつとめし、称名寺御住職による御消息拝読と、住蓮寺御住職による法話。

 

その後、呉東組法中が出席しての御示談に。

今日は2つの質問が。

一つは往相回向と還相回向。
特に還相回向をどのように味わったらよいのか?

もう一つは、「本願名号正定業」とある、この正定業とは?

 

どちらも大切な浄土真宗の御法義であるが、限られた時間で、出来るだけやさしくと思うのだが、なかなか・・・。

 

そんなとき、以前読んだ足利義山和上と前田慧雲和上の会話を思い出す。

学問も議論も結局何のやくにもたちませんのうや。往生の一大事に至っては、あんたもわしもいろはも知らぬただのじいにならねばいけません。

弥陀の願いをそのまんま。

そこに往相も還相も正定業も、何でもかんでもそのなかに包まれて。

 

帰ってみると、荷物が届いていた。

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あまりにも暑くなってきたので、玄関先にビオトープのセット。

益子焼の鉢に、シラサギカヤツリ、ホテイアオイ、そして姫スイレン。

 

水と緑、私にとっては理屈抜きできれいだな。

どこが、どうしてって、いらない。

そのまんまをいただくだけ。

 

今日の御示談をふと思い出しながら。


2013年7月10日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組法中会

6月30日(日)

朝、境内のニューフェイス、“姫白蓮”が咲いた。

小ぶりな白い蓮。

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大賀ハスの蕾もかなり大きく膨らんできた。
明日あたり、開花かな。

 

今日、お参り先で・・・

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パピリオソースをいただいた。

先日の『元就。』放送以来、いろんなところで聞かれる。

長浜で生まれたこのソース。
今はその流れを汲む千葉の高島醸造が製造販売。

長浜で製造されてた頃は、ずっと愛用。
学生時代、京都にもこのソースを持ち込んで。

 

今日は、その『元就。』にいつもの姿で映っておられた方の葬式が自宅にて。

会館葬がほとんどの昨今。

会館葬と自宅葬。どちらが良いとは一概に言えないところもあるが、大変とか面倒とか、家の前の海に放り込んでしまったような、良いご縁であった。

 

そして、今夜は阿賀の西光寺で呉東組法中会。

法中会のなかで、6月初旬に安芸教区の教区会議員が福島の被災寺院を訪れたそうで、その話を聞かせていただく。

岩手や宮城とは違った状況は、何ともことばにならない・・・。

 

法中会の後、ご縁の会のミーティング。

お疲れさまでした。

2013年6月30日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

我聞会 6月例会

6月23日(日)

今夜はスーパームーン。

1年で一番月が大きく見える夜だそうだが、曇って見ることは叶わない・・・。

 

今夜は広の浄円寺にて、我聞会6月例会。

『蓮如上人御一代記聞書』輪読は(146)(147)。

 

蓮如上人が子どものオムツを自分で洗ったという苦労話。

今のように紙オムツでなく、しかも蓮如上人は子だくさん。

たくさんのオムツが干されてたのであろう・・・。

 

また、本願寺が当時青蓮院の末寺であったと話が出て、「末寺」とはどのような形の末寺だったのだろうと、いろいろ話が。

 

法話では、「懺悔」ということばについて。

浄土真宗では、あまり使われることのないことばであっても、その正しい意味を知り、どうして使われないかを知っておかなければという話を聞かせていただいた。

 

「懺悔」は、「ざんげ」と一般的に読まれているが、仏教では「さんげ」。
キリスト教は、「ざんげ」。

自らの罪を告白し、悔い改める。また、許しを請うとの意味で使われる。

 

これと合わせて使われることばに、「慚愧(ざんぎ/ざんき)」。

「慚愧懺悔(ざんぎさんげ)」と合わせて使われることが多かったため、江戸時代に「ざんげ」と濁音で呼ばれるようになったともいわれるのだとか。

 

「慚愧(ざんぎ)」は、「慚」と「愧」と分けて解釈されるようだが、一般的には罪を恥じることを意味したことば。

親鸞聖人は、『正像末和讃』悲嘆述懐讃で、

無慚無愧のこの身にて
 まことのこころはなけれども
 弥陀の回向の御名なれば
 功徳は十方にみちたまふ

蛇蝎奸詐のこころにて
 自力修善はかなふまじ
 如来の回向をたのまでは
 無慚無愧にてはてぞせん

と、罪を恥じることも出来ない私であることを嘆き、そんな私だからこそ弥陀如来の願いをいただいていることを讃えている。

 

浄土真宗は懺悔しなくてもよい教えではなく、恥じることも悔い改めることも出来ない私を知らされ、その私に願いが届いてるって知らされる教え。

そんなふうにいただくのかな。

 

明日は読み聞かせ。

2013年6月23日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku