12月21日(水)
今日は曇りのち雨。
朝から明日の仏教壮年会・仏教婦人会法座の準備。
そして、午後からは呉東組同朋研修会へ。
同朋委員の法幢寺ご住職より、これまでの歴史的な背景など、いろいろと分かりやすく聞かせていただいた。
教区の研修会資料をもとに、ここまでまとまったことを学ぶ機会はなかったので、大変貴重なご縁に。
明日はいよいよ今年最後の法座。
今を一歩ずつ。
TEL.0823-71-7926
〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
11月20日(日)
今日は午後から呉東組内、阿賀法幢寺住職継職奉告法要。
呉東組16ヶ寺、組内の法要は全ヶ寺揃って執り行われる。
つい先日まで予報では雨。
それがあれよあれよと晴れマークに。
少し汗ばむくらいのいいお天気の中、法要を。
阿賀市民センターで稚児宿勤行を行い、法幢寺まで雅楽を先頭に行列。
そして、礼装第一種、色衣・七条袈裟に着替えて法要に。
散華しながらの行道。
中にいると分からないのだけれど、外から見ると、非日常の世界がそこに。
普段は着けない重厚な衣体を着用するので、終わった後は腰が。。。肩が。。。と。
道すがら、自分の住職継職の時を覚えているかと言う話になり、すっかり忘れてしまっているなぁと。
夜は祝賀会にもお招きいただき、小さな新発意さんの姿に自分の時のことをふと思い出す。
帰宅する頃、パラパラと。
明日は午前中通り報恩講で、午後から真徳会館の報恩講。
明日もいいご縁を。
11月15日(火)
ただいま、長浜の通り報恩講中。
この土日は法事に葬式と、年に一度あるかないかと思うくらいの忙しさで、昨日の記憶も定かでは。。。
とにかく、前に進むのみ。
次の日曜日、呉東組内、阿賀法幢寺住職継職奉告法要が厳修されるので、今日は夕方組内法中が集まってその法要習礼。
「習礼」とは、法要の予行演習。
「会奉行」と言う法要を司る総責任者のような方の御指示で、法要の流れに沿って、入堂するところから退堂するところまで。
ここ数年、組内で継職法要が続いているので、ある程度覚えているかな。
問題はお天気。
今日現在の週間天気予報では、日曜日は曇り一時雨。
晴れても雨でも、よいご縁となりますように。
10月18日(火)
今日は午前中、広南中学校関係者評価委員会に。
各学年をそれぞれ参観。
広南劇場が一段落し、日常が戻った感じ。
そして、午後は呉東組総代会。
新体制に代わった途端に、コロナ禍を迎え、ずっと行事が中止となっていたけれど、感染者数の減少で久しぶりの開催。
総会に引き続いての研修会は、御講師に安芸教区教務所長(広島別院輪番)の榮 俊英師を迎えて。
研修テーマ『総代としての有様 と 宗派、教区の現状について』
山で道に迷ったとき、まずは自分の位置を知ることが大切との話から、「総代」が〈宗門〉の中でどの位置に当たるか組織図を見ながら。
そして、「宗門総合振興計画」と「御同朋の社会をめざす運動(実践運動)」について、新しくなられた総代の方もおられたので、丁寧に。
そのあとは、久しぶりの懇親会。
10月11日(火)
今日は午後から阿賀宝徳寺にて呉東組聞名講の10月例会。
このたびは法話も担当。
報恩講と言うことで、法中は聞名講お揃いの衣体を着けての法要。
例年この報恩講で冬用衣体を着けるので、それに合わせて布袍等も冬用に替えていたけれど、今年は先週から急に冷え込んだりして、すでに布袍は冬用に。
今日の法話は、
無慚無愧のこの身にて
まことのこころはなけれども
弥陀の回向の御名なれば
功徳は十方にみちたまふ
先日仏教壮年会でも話した「称」の話より。
「称」は御なをとなふるとなり。また称ははかりといふこころなり。(尊号真像銘文)
その後の御示談は、
浄土真宗は、「祈りなき宗教」と云われます。辞典には、「祈り」の意味合いを次のように示されています。
①神や仏に幸いを請い願う。
②心から望む、希望する、念ずる。一般的には、「みなさまの健康をお祈りします」「ご多幸をお祈りします」「ますますのご発展をお祈りします」「平和を祈念する」「黙祷」などと使用されます。
私は、浄土真宗では「祈る」という間違いやすい言葉を使わないと聞いています。しかし、日常用語でもあり、安易に使われている「祈る」の意味をあなたはどのように捉えていますか?
と、役員さんからの質問用紙への回答より。
そんな中、法中より本願寺が「祈り」公認との記事が新聞の一面を飾ったことがあると。
帰って調べてみたら、『毎日新聞』2002年12月10日の記事であると分かった。
「祈り“公認”浄土真宗本願寺派」
合格祈願や無病息災といった現世利益を求めないため、「祈らない宗教」とされてきた浄土真宗本願寺派(京都市下京区、本山・西本願寺)の教学研究所が、「祈り」について「宗教の原点であり本質だ」と“公認”する見解を示していたことが9日、明らかになった。
浄土真宗は宗祖・親鸞聖人の時代から、現世の欲望から来る祈りを「不純な動機に発する行為」と否定してきた歴史がある。門信徒数公称1000万人、末寺1万を誇る国内最大の伝統仏教教団の変化が、宗教界や他の真宗門信徒らに与える影響が注目される。
宗派の国会にあたる定期宗会で、祈りを否定する考え方に疑問を投げ掛ける質問に対し、“内閣法制局長官”ともいえる教学研究所長の大峯顯・大阪大名誉教授(宗教哲学)が答弁。「『祈り』とは聖なるものと人間との内面的な魂の交流であり、あらゆる宗教の核心。『祈り』の概念は現世利益を求める祈とうよりも広く、祈りなくして宗教は成り立たない」と明言した。
浄土真宗では、阿弥陀仏への感謝の心で念仏を唱える時、浄土に往生して仏になることが決まるとされる。信心や修行など人間側の力(自力)を超越した阿弥陀仏の力他力)が教義の根幹にあるため「他力本願」の言葉が生まれ、「健康をお祈りします」といった表現でも「念じます」と言い換えるのが正しいとされてきた。
しかし、世界規模の宗教間対話が行われる時代の流れが、変化を促した。
他のあらゆる宗教が「祈り」を持つ中で、大峯所長は「(真宗では)祈りの概念を論理的に整理してこなかったため矛盾感が表面化してきた」と説明。「言葉の表面的な意味で『真宗は祈らない』と単純に割り切るのは教条主義だ。死への恐怖といった人間の根源的な問題に答えず、『現世利益は求めない』と言っても説得力がない」と話す。また、真宗大谷派(京都市下京区、本山・東本願寺)の玉光順正・教学研究所長も「人間の思いを超えた領域にある『祈り』の意味を、誰もが理解できる言葉で説明することを真宗は怠ってきたとも言える」と肯定的にとらえている。
【丹野恒一】
宗教評論家の丸山照雄さんの話
浄土真宗は独自性を強調するために「祈り」をあえて狭義にとらえてきたとも言える。
言葉にこだわり過ぎれば、一般の日本人に通じないばかりでなく、外国語に翻訳する際に支障が生じ、込められた精神が届かなくなる。その意味で、教学研究所が「祈り」を認めたのは大きな一歩だ。
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教学研究所 「『祈り』について」
浄土真宗では、伝統的に「いのり」という言葉は使用してきませんでした。「いのり」という言葉は、本来神仏に対して願い求める(「祈願請求」)という意味を持ち、その意味が浄土真宗の教えに背くからです。
浄土真宗の信心は、自らのはからいをまじえず、絶対的な阿弥陀如来のはたらきにまかせるものです。
したがって「いのる」必要がないと言えます。もし「いのり」を認めるならば、それは自己のはたらきを認めることとなり、他力の信心を否定することになります。浄土真宗のみ教えには、このように祈り求めることを否定する明確な教理があり、親鸞聖人の著されたものの中には、「いのり」を積極的に使用した例を見ることはできません。
ただ、性信坊に宛てられた消息の中に肯定的と思われる使用例もありますが、「いのり」という言葉を「おぽしめす(お思いになる)」と表現し直されるなど様々な限定の中で使用されております。
したがって、この用例をもって宗祖が積極的に「いのり」の使用を認められたとは到底言えません。一方、現代の「いのり」の語を調べますと、神仏を対象として願い求めるという古典的な意味とは別に、「心から望む、希望する、念ずる」という意味が出てきます。
したがって現代では、「いのり」という言葉の中に、神仏を対象としない意味が含まれるようになってきています。
また、「いのり」は英語のprayの訳語として使用されていますが、この言葉は神との対話を意味しており、神に願い求めるという意味には限定されえません。しかしながら、絶対的な阿弥陀如来のはたらきにまかせる浄土真宗の教えの上から、決して「いのり」ということは認められるものではなく、それ故これまで「いのり」という言葉を使用してこなかったのです。
このことを重く受けとめなければなりません。
posteios.comより。
確かに「祈り」公認の記事はあったようだけど、その後12月20日付の『本願寺新報』で否定されているそう。
確かめてよかった。
また、こうして残しておいてくださっているのがありがたい。
その後、安心・起行についてのお尋ねもあったり、なかなかありがたいご縁。
ようこそのお参りでした。
10月7日(金)
今日は朝から雨。
つい先日まで、汗だくになりながらお参りしていたのに、急に肌寒く。
昨日まで白岳地区をまわり、今日から再び小坪地区の通り報恩講へ。
そして、お昼からお葬式で広島市内の葬儀会館へ。
その後、折角広島市内に出たので、是非行きたかった展覧会へ。
広島県立美術館で開催中の『皇室の美と広島』。
その中、一番の目玉となっている伊藤若冲の「旭日鳳凰図」。
ちょっと前に仏教壮年会の例会で鳳凰の話をした時、いろいろと鳳凰を調べていて、この若冲の旭日鳳凰図と、長野小布施にある葛飾北斎の「八方睨み大鳳凰図」に目がとまり、いつか見てみたいなぁと思っていたら、何とその一つが広島へ。
今月10日までの公開らしいので、今日しかないと。
その絵の解説を見てびっくり。
本図と《動植綵絵》は明治二十二年(一八八九)、それぞれ西本願寺門主の大谷光尊、相国寺より献上された。江戸時代における若冲画の需要は、京の寺院はもちろん大名家にも及び、今日には伊勢長島藩(三重県)の大名画人、増山雪斎旧蔵《糸瓜群虫図》(京都、細見美術館蔵)などが知られる。広島の浅野家では画家としての技量高い七代藩主重晟が収集し、自身の作画にその画風を参考とした。昭和前期までに《孔雀鳳凰図》(神奈川、岡田美術館蔵)をはじめとする複数の若冲画を所蔵していたことも知られ、再び浅野家ゆかりの若冲画が見いだされることに期待したい。
《動植綵絵》が相国寺から献上されたものというのは知っていたけれど、この「旭日鳳凰図」を献上したのは何と大谷光尊、明如上人。
廃仏毀釈がその背景にはあったのだろうけど、どのような経路で本願寺にこの若冲の鳳凰図が??と。
そんな新しい収穫を得て帰宅し、ゆっくりする間もなく夕方6時より阿賀法幢寺にて呉東組仏教壮年会の後期研修会。
研修課題は「阿弥陀様との出遇い」ー若いお坊さんの話をきいてみませんか!ー。
御講師は、浄円寺住職 桑原昭信師。
つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。
親鸞聖人の『教行信証』の冒頭に出てくる〈回向〉についてのお味わい。
・廻転趣向
・廻施向道
・廻自向他
この三つの義より、回向の話。
みなさん、熱心にお聴聞。
専徳寺仏教壮年会からも5名の参加。
お寺を出ると、きれいな月明かり。
ようこそのお参りでした。
10月5日(水)
今日は午前中、総代会開催のため、通り報恩講はお休み。
総代会といっても、今日はひたすら書類の袋詰め作業と仕分け作業。
お世話になりました。
そして、夜は広教法寺にて呉東組法中会。
その前にお通夜もあったので、夕方早めに水撒き。
秋明菊が次々咲き始め、その奥にはもうそろそろ女郎花が終わり頃。
そして、さらにその奥の糸薄が夕日が沈んだ頃、輝く穂が何とも。
先日、植えた藤袴もつぼみがだんだんつき始め、アサギマダラ、やって来るかなと楽しみにしながら夕涼み。
今夜の法中会は、いつものように報告と確認で終了。
帰宅すると、結構風が吹いて、少しヒンヤリ。
そろそろウィンドチャイムもお仕舞いしなければ。
今週末は呉東組仏教壮年会連盟の研修会、広南中学校の文化祭、週明けには呉東組聞名講と、久しぶりに行事が続く。
と同時に通り報恩講も。
季節の変わり目。
どうぞ、体調に気をつけて。