呉東組聞名講 1月例会

1月20日(金)

今日は朝9時に焼山の葬儀会館にてお葬式。
そして一度戻り法事を済ませて、再び焼山で還骨。

急いで食事を済ませ、何とかギリギリ聞名講へ。

今年初めての呉東組聞名講が、広法謙寺にて。

今日の御示談では、先日の臨時役員会で、御正忌御満座に示される『新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)についての消息』について取り上げたいと聞いていたので、『本願寺新報』号外と、2021年の〈「浄土真宗のみ教え」についてのご親教〉を本願寺Webサイトよりコピーして臨む。

まずは「ご親教」と「御消息」の違いから解説し、そして、「浄土真宗のみ教え」から「新しい領解文」へと。

とは言え、まだ最近のこと過ぎて、資料も何も出ていないため、推測でしか語れない。。。

とりあえず、聞名講の〆の「領解出言」は、「もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて」と、従来通りとすることに。

新しいことはなかなか。。。

 

週明け、本願寺で呉東組聞名講が『御匠御消息』なるものを拝受することになり、法中代表の一人として上山予定。

ようこそのお参りでした。

2023年1月20日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組法中会

12月27日(火)

連日お葬式。

今日は瀬戸内葬祭の会館にて午前中お葬式。

お葬式を終えて外に出ると、あれ?
耳慣れた鳥の声が上から。
でも??? 

上を見上げると、数羽のツバメが飛ぶ姿。

越冬つばめ?

暖冬とはいいながらも、さすがに先日の寒さは。。。

ヒュルリ ヒュルリララ

無事春を越せますように。

 

今夜は今年最後の呉東組法中会が法謙寺にて。

5時と6時、久しぶりに2件のお通夜をつとめて。

1月31日に呉東組実践運動研修会開催予定。

組の重点目標に掲げた「郷土の歴史のなかにみ教えを求めて」をテーマに、妙好人を研究されている神英雄先生をお招きして、長浜の九右衛門の息子の話を。

2019年5・6月号の『自照同人』に「岩見の妙好人に学ぶ 神祇護念を説く僧純 ――芸州九右衛門男――」と題して紹介されていたそうで、組長さんより拝借。

長浜には真宗の御教えを大切にする土徳が形成されたとみられる。長浜で暮らす同行が御恩に感謝し、それを次世代に伝えるべく祭りを生んだとしても不思議でない。

神先生の話は、取材に同行した方々から断片的に聞かせていただいたことがあったが、実際にお話を伺うのは初めて。

良いご縁となりますように。

 

 

2022年12月27日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組同朋研修会

12月21日(水)

今日は曇りのち雨。

朝から明日の仏教壮年会・仏教婦人会法座の準備。
そして、午後からは呉東組同朋研修会へ。

同朋委員の法幢寺ご住職より、これまでの歴史的な背景など、いろいろと分かりやすく聞かせていただいた。

教区の研修会資料をもとに、ここまでまとまったことを学ぶ機会はなかったので、大変貴重なご縁に。

明日はいよいよ今年最後の法座。

今を一歩ずつ。

 

 

2022年12月21日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組法中会

11月30日(水)

今日で11月も終わり。

さすがに昨日の運転で体がガチガチ。。。

 

今朝は雨も上がり、青空の広がる中、胡子地区の通り報恩講。

境内のイチョウの葉もようやく色づき始めた。

 

そして、今夜は郷原浄光寺にて法中会。

本願寺の来年のポスターや手帳をいただくと、いよいよ年末気分。

今日いただいた資料の中に安芸教区のサンガ部会でもお世話になっているTOY×ボーズ(トイカケボーズ)さんの謎解き脱出ゲームが。

また今度挑戦してみようかな。

 

これまでが例年になく暖かかったけれど、これから冷え込むらしい。

どうぞ、みなさんもお気をつけて。

 

2022年11月30日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

法幢寺住職継職奉告法要

11月20日(日)

今日は午後から呉東組内、阿賀法幢寺住職継職奉告法要。

呉東組16ヶ寺、組内の法要は全ヶ寺揃って執り行われる。

 

つい先日まで予報では雨。
それがあれよあれよと晴れマークに。

少し汗ばむくらいのいいお天気の中、法要を。

阿賀市民センターで稚児宿勤行を行い、法幢寺まで雅楽を先頭に行列。

そして、礼装第一種、色衣・七条袈裟に着替えて法要に。

散華しながらの行道。
中にいると分からないのだけれど、外から見ると、非日常の世界がそこに。

普段は着けない重厚な衣体を着用するので、終わった後は腰が。。。肩が。。。と。

道すがら、自分の住職継職の時を覚えているかと言う話になり、すっかり忘れてしまっているなぁと。

 

夜は祝賀会にもお招きいただき、小さな新発意さんの姿に自分の時のことをふと思い出す。

帰宅する頃、パラパラと。

 

明日は午前中通り報恩講で、午後から真徳会館の報恩講。

明日もいいご縁を。

 

 

2022年11月20日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

法幢寺住職継職法要習礼

11月15日(火)

ただいま、長浜の通り報恩講中。

この土日は法事に葬式と、年に一度あるかないかと思うくらいの忙しさで、昨日の記憶も定かでは。。。
とにかく、前に進むのみ。

 

次の日曜日、呉東組内、阿賀法幢寺住職継職奉告法要が厳修されるので、今日は夕方組内法中が集まってその法要習礼しゅらい

「習礼」とは、法要の予行演習。

会奉行えぶぎょう」と言う法要を司る総責任者のような方の御指示で、法要の流れに沿って、入堂するところから退堂するところまで。

ここ数年、組内で継職法要が続いているので、ある程度覚えているかな。

 

問題はお天気。

今日現在の週間天気予報では、日曜日は曇り一時雨。

晴れても雨でも、よいご縁となりますように。

 

2022年11月15日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

長浜秋祭

11月3日(木)

今年の文化の日は快晴で暖かい。

3年ぶりに入江神社の秋祭開催。

とは言え、いろいろと感染症対策を講じながら、縮小しての開催。

 
 
 
 
 
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妙好人「芸州九右衛門男」として『妙好人伝』第二編に登場する想四郎・想吉兄弟にまつわるお祭。

少し賑わいが戻ってきた。

 

今夜は善通寺にて法中会。

重点プロジェクトリーダー研修協議会

11月1日(火)

今日から11月。

午前中はパラパラ雨が時折落ちてくる中、広古新開の通り報恩講へ。

そして、午後から重点プロジェクトリーダー研修協議会が広島別院にて。

「宗門実践目標達成にむけた取り組みについて」と題し、山口教区重点プロジェクトサブリーダー 荻隆宣氏を講師に迎え、子ども食堂やおてらおやつクラブ、フードドライブ、フードパントリーなど、具体的に取り組んでこられた話を聞かせていただく。

そのあと、教区内の各組の取り組みの現状等。

今できることを少しずつ。

2022年11月1日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組総代会 総会・研修会

10月18日(火)

今日は午前中、広南中学校関係者評価委員会に。

各学年をそれぞれ参観。

広南劇場が一段落し、日常が戻った感じ。

 

そして、午後は呉東組総代会。

新体制に代わった途端に、コロナ禍を迎え、ずっと行事が中止となっていたけれど、感染者数の減少で久しぶりの開催。

総会に引き続いての研修会は、御講師に安芸教区教務所長(広島別院輪番)の榮 俊英師を迎えて。

研修テーマ『総代としての有様 と 宗派、教区の現状について』

 

山で道に迷ったとき、まずは自分の位置を知ることが大切との話から、「総代」が〈宗門〉の中でどの位置に当たるか組織図を見ながら。

そして、「宗門総合振興計画」と「御同朋の社会をめざす運動(実践運動)」について、新しくなられた総代の方もおられたので、丁寧に。

 

そのあとは、久しぶりの懇親会。

 

 

 

2022年10月18日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組聞名講 10月例会

10月11日(火)

今日は午後から阿賀宝徳寺にて呉東組聞名講の10月例会。

このたびは法話も担当。

報恩講と言うことで、法中は聞名講お揃いの衣体を着けての法要。

 

例年この報恩講で冬用衣体を着けるので、それに合わせて布袍等も冬用に替えていたけれど、今年は先週から急に冷え込んだりして、すでに布袍は冬用に。

 

今日の法話は、

無慚無愧のこの身にて
 まことのこころはなけれども
 弥陀の回向の御名なれば 
 功徳は十方にみちたまふ

先日仏教壮年会でも話した「称」の話より。

「称」は御なをとなふるとなり。また称ははかりといふこころなり。(尊号真像銘文)

 

その後の御示談は、

浄土真宗は、「祈りなき宗教」と云われます。辞典には、「祈り」の意味合いを次のように示されています。
①神や仏に幸いを請い願う。
②心から望む、希望する、念ずる。

一般的には、「みなさまの健康をお祈りします」「ご多幸をお祈りします」「ますますのご発展をお祈りします」「平和を祈念する」「黙祷」などと使用されます。
私は、浄土真宗では「祈る」という間違いやすい言葉を使わないと聞いています。しかし、日常用語でもあり、安易に使われている「祈る」の意味をあなたはどのように捉えていますか?

と、役員さんからの質問用紙への回答より。

そんな中、法中より本願寺が「祈り」公認との記事が新聞の一面を飾ったことがあると。

帰って調べてみたら、『毎日新聞』2002年12月10日の記事であると分かった。

「祈り“公認”浄土真宗本願寺派」

 合格祈願や無病息災といった現世利益りやくを求めないため、「祈らない宗教」とされてきた浄土真宗本願寺派(京都市下京区、本山・西本願寺)の教学研究所が、「祈り」について「宗教の原点であり本質だ」と“公認”する見解を示していたことが9日、明らかになった。

 浄土真宗は宗祖・親鸞聖人の時代から、現世の欲望から来る祈りを「不純な動機に発する行為」と否定してきた歴史がある。門信徒数公称1000万人、末寺1万を誇る国内最大の伝統仏教教団の変化が、宗教界や他の真宗門信徒らに与える影響が注目される。

 宗派の国会にあたる定期宗会で、祈りを否定する考え方に疑問を投げ掛ける質問に対し、“内閣法制局長官”ともいえる教学研究所長の大峯あきら・大阪大名誉教授(宗教哲学)が答弁。「『祈り』とは聖なるものと人間との内面的な魂の交流であり、あらゆる宗教の核心。『祈り』の概念は現世利益を求める祈とうよりも広く、祈りなくして宗教は成り立たない」と明言した。

 浄土真宗では、阿弥陀仏への感謝の心で念仏を唱える時、浄土に往生して仏になることが決まるとされる。信心や修行など人間側の力(自力)を超越した阿弥陀仏の力他力)が教義の根幹にあるため「他力本願」の言葉が生まれ、「健康をお祈りします」といった表現でも「念じます」と言い換えるのが正しいとされてきた。

 しかし、世界規模の宗教間対話が行われる時代の流れが、変化を促した。
 他のあらゆる宗教が「祈り」を持つ中で、大峯所長は「(真宗では)祈りの概念を論理的に整理してこなかったため矛盾感が表面化してきた」と説明。「言葉の表面的な意味で『真宗は祈らない』と単純に割り切るのは教条主義だ。死への恐怖といった人間の根源的な問題に答えず、『現世利益は求めない』と言っても説得力がない」と話す。

 また、真宗大谷派(京都市下京区、本山・東本願寺)の玉光順正・教学研究所長も「人間の思いを超えた領域にある『祈り』の意味を、誰もが理解できる言葉で説明することを真宗は怠ってきたとも言える」と肯定的にとらえている。

【丹野恒一】

宗教評論家の丸山照雄さんの話
 浄土真宗は独自性を強調するために「祈り」をあえて狭義にとらえてきたとも言える。
 言葉にこだわり過ぎれば、一般の日本人に通じないばかりでなく、外国語に翻訳する際に支障が生じ、込められた精神が届かなくなる。その意味で、教学研究所が「祈り」を認めたのは大きな一歩だ。

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教学研究所 「『祈り』について」

 浄土真宗では、伝統的に「いのり」という言葉は使用してきませんでした。「いのり」という言葉は、本来神仏に対して願い求める(「祈願請求」)という意味を持ち、その意味が浄土真宗の教えに背くからです。
 浄土真宗の信心は、自らのはからいをまじえず、絶対的な阿弥陀如来のはたらきにまかせるものです。
 したがって「いのる」必要がないと言えます。もし「いのり」を認めるならば、それは自己のはたらきを認めることとなり、他力の信心を否定することになります。

 浄土真宗のみ教えには、このように祈り求めることを否定する明確な教理があり、親鸞聖人の著されたものの中には、「いのり」を積極的に使用した例を見ることはできません。
 ただ、性信坊に宛てられた消息の中に肯定的と思われる使用例もありますが、「いのり」という言葉を「おぽしめす(お思いになる)」と表現し直されるなど様々な限定の中で使用されております。
 したがって、この用例をもって宗祖が積極的に「いのり」の使用を認められたとは到底言えません。

 一方、現代の「いのり」の語を調べますと、神仏を対象として願い求めるという古典的な意味とは別に、「心から望む、希望する、念ずる」という意味が出てきます。
 したがって現代では、「いのり」という言葉の中に、神仏を対象としない意味が含まれるようになってきています。
 また、「いのり」は英語のprayの訳語として使用されていますが、この言葉は神との対話を意味しており、神に願い求めるという意味には限定されえません。

 しかしながら、絶対的な阿弥陀如来のはたらきにまかせる浄土真宗の教えの上から、決して「いのり」ということは認められるものではなく、それ故これまで「いのり」という言葉を使用してこなかったのです。
 このことを重く受けとめなければなりません。

posteios.comより。

確かに「祈り」公認の記事はあったようだけど、その後12月20日付の『本願寺新報』で否定されているそう。
確かめてよかった。
また、こうして残しておいてくださっているのがありがたい。

 

その後、安心・起行についてのお尋ねもあったり、なかなかありがたいご縁。

ようこそのお参りでした。

2022年10月11日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku