長浜小学校 卒業式

3月17日(土)

今日は長浜小学校で「第121回 卒業証書授与式」。

 

今朝の中国新聞朝刊に閉校記念のミニランドセルの記事が紹介されていた。

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長浜小学校最後の卒業生の6年間背負ってきたランドセルがこんなカタチに。

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そして、卒業式会場の体育館に披露される。

 

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全校児童、保護者、地域の来賓の方々に見守られながら、ひとりひとりしっかりと卒業証書を受け取った。

 

このたび卒業する6年生は7名(男子5名・女子2名)。

「第7751号」。

「呉市立長浜小学校」卒業生として刻まれた最後の番号。

在校生からのお別れのことばも、卒業生のお別れのことばも、大きな声でしっかりと響いていた。

そして、校長先生からは「愛と勇気を真摯に」のメッセージが送られた。

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6年生から受ける印象は、「やさしさ」。
そのやさしさを大切に、愛と勇気をもって自らの夢に向かって!

 

天気予報では雨となっていたが、雨も止み、大変すばらしい卒業式だった。

ありがとう長浜小学校 閉校イベント

3月4日(日)

今日は朝9時より長浜小学校で閉校イベント。

閉校式は3月23日(金)に行われるが、平日で来られない方も多いということもあって、今日開かれた。

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天気予報では70%の降水確率。
少し小雨のぱらつくなか、体育館にて長浜小学校の歴史をふり返る。

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これまでの卒業アルバム、トロフィー、賞状などの思い出の品とともに、10月のふれあいまつりで描いたありがとうの絵手紙。

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地域の方、卒業生、保護者・・・、立ち見も出るほどたくさんの方にお越しいただいた。

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そして、場所を正門前に移して、ハナミズキの記念植樹、

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10年後の自分へ宛てた手紙を納めたタイムカプセルを地中に埋める。

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最後にみんなで校歌を歌い、「ありがとう」の声とともに風船を飛ばす。

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長浜女性会と民生委員の方によってぜんざいが振る舞われ、

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寒いながらもあたたまる。

 

小雨が降り、寒いなかでのイベントとなったが、最後まで笑顔。

10年後に送られてくる今日の手紙を見るとき、あの時は雨で寒かったけど、みんなのあたたかいありがとうがいっぱいあったなぁと、思い出してもらえたら。

歴史と伝統を大切に
ふるさとを大切に
人を大切に

たくさんの思い出をありがとう、長浜小学校。
そして、よろしく広南小学校。

長浜小学校 創立記念日

2月10日(金)

今日は呉市立長浜小学校としては最後の創立記念日。

139周年目の創立記念日だそう。

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各学年の代表者が、長浜小学校の思い出を、卒業生である親や地域の方に聞いて、それぞれに発表。

そして、校長先生が、校章や校歌の話を写真を見せながら紹介。

昔の長浜小学校を中心とした長浜の姿がいろいろと映し出された。

 

 

そのなか、路面電車の終点(入江神社前)で牛が何か荷物を曳いている写真として紹介された。

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今日紹介された写真とは、どうも違うようだが、同じような写真が専徳寺にも残る。

昭和28(1953)年4月26日、戦時中に供出されたため無くなっていた専徳寺の梵鐘を新しく迎えた時の様子。

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広駅に到着した梵鐘は、牛に曳かれ、お稚児さんの大行列を従えて長浜へ。

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長浜小学校・中学校をまわって専徳寺まで大行列。

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長浜小学校も中学校も、もちろん当時は木造校舎。

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現在、長浜小学校全校児童51名。
一番多いときは、昭和16年の990名だったそう。

時代の流れを感じるが、海の穏やかさは当時のまま。

 

受け継がれてきた長浜をこれからも大切に。 

2012年2月10日 | カテゴリー : 長浜 | 投稿者 : sentoku

五色百人一首 広島県大会

1月29日(日)

今日は午後から広島県総合体育館 武道場に、「五色百人一首 広島県大会」の応援に。

広島県内の小学校から254名。そのなか、長浜小学校から11名がエントリー。

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呉市の小学校からは、何と長浜小学校のみ。

そんななか、低学年を中心に、高学年と良い勝負。

 

長男(2年生)も出場。

その組は、同級生のKくんと2人だけが2年生で、後は高学年ばかり。

残念ながら、3勝4敗で予選敗退。
それでも、初出場で高学年相手に3勝は立派なもの。

本人は負けた悔しさよりも、ズルをされて負けたというのが悔しかったらしい。

世のなかの厳しさを少し経験したようだが、来年も出る気満々。

 

百人一首の意味は恐らく分かっていないだろう。
それでも、この時期に覚えたことばは、これから先、頭に残っているだろう。

昔は「素読(そどく)」が大切にされた。
「素読」とは、文章の意味は気にせず、暗誦できるまで繰り返し声を出して読むこと。

 

宮沢賢治も、3歳で『正信偈』や「白骨の御文章」を暗誦していたともいわれ、16歳の時、父に宛てた手紙のなかで、

小生は道を得候。歎異鈔の第一頁を以て小生の全信仰と致し候。

と書き記している。

 

長浜小学校としては最後の出場となったが、良い経験をさせていただいた。

伝灯

1月2日(月)

今日は老人集会所で長浜祭り愛好会 写真展の最終日。

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昨年の長浜でのいろいろな行事の写真がたくさん展示される。
こうして記録に残していくなかで、次の世代へと受け継がれていく。

 

専徳寺では正月、右余間に歴代宗主の御絵像を掛ける。

普段は七高僧が掛かっているが、正月の間だけ七高僧を左余間に移し、歴代宗主の御絵像を。

この場合、右余間というのは御本尊を対象にしていうため、仏さまの右側。私たちが外陣から見ると左側の余間に当たる。

 

余間の一番御本尊側が覚如上人。

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本願寺第3世。本願寺教団を成立された宗主。

その隣が顕如上人。

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本願寺第11世。石山本願寺(現在の大阪城)で織田信長と敵対し(石山合戦)、現在の京都堀川に寺基を移転したときの宗主。

その隣が良如上人。

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本願寺13世。御影堂の再建、学寮を創設したときの宗主。

そして最後が広如上人。

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本願寺第20世。江戸末期から明治時代に変わるときの宗主。

 

歴代宗主のなか、専徳寺に伝わるこの四幅が掛けられる。

さまざまな時代のなかで、法灯を受け継ぎ、そして今私たちにそのみ教えを伝えてくださった。
伝えてくださったのは、もちろん歴代宗主のみでなく、数え切れないくらいたくさんの方によって今を迎える。歴代宗主の御絵像を掛けるのは、その象徴である。

親鸞聖人が亡くなられ、もうすぐ750回目の御命日。
今出遇えたことに“おかげさまで”と感謝。

 

2012年1月2日 | カテゴリー : 長浜 | 投稿者 : sentoku

皆既月食

12月10日(土)

今夜は皆既月食。

専徳寺境内の親鸞聖人像の前で約2時間、ダウンジャケットに手袋・マフラーと防寒対策をしっかりして鑑賞。

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カメラで皆既月食の模様を撮影しようと試みるも、うまくいかず。

そこで、ビデオで撮影して静止画保存することに。

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午後10時前に欠け初め、

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欠けた瞬間、雲に覆われてしばらく見えなくなる。

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その後、雲から出てきたら、皆既月食の赤い月。

また戻っていく様子を見ようと思ったが、再び雲隠れ。

 

今年は各地で天変地異。
大変な一年であったが、最後は皆既月食で締めくくり。

 

きれいな星空と皆既月食を眺めながら、

月影の至らぬ里はなけれども 眺むる人のこころにぞ住む

法然聖人の歌がふと心に浮かぶ。
 

親鸞聖人750回大遠忌、法然聖人800回大遠忌の年にまたひとつ不思議な御縁をいただいた。

2011年12月11日 | カテゴリー : 長浜 | 投稿者 : sentoku

むくり屋根

12月5日(月)

今週は胡子・明神地区の報恩講で、今日は胡子。

 

東京国立博物館で開かれていた特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」が昨日4日に閉幕。

入場者が21万人を超えたそう。(朝日新聞) 

ちなみに京都で開かれた「親鸞展」は18万人。(真宗教団連合)

初めての合同展ではあったが、残念ながらこの時期に東京までは・・・。

 

大遠忌を記念した行事が一つずつ終わっていくが、記念の出版物はまだまだしばらくありそう。
注文しておいたDVDが届いた。

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大遠忌を記念して製作されたDVD『飛雲閣』。

改めて飛雲閣を見て、金閣や銀閣とは違う美しさを感じた。

唐破風と入母屋が左右非対称に作られており、外側にふくらんだむくり屋根もあって、いろんな様式の屋根が混在している。
また、いろいろと謎の多い建造物だとか。

 

専徳寺の向拝も唐破風。そして大屋根には珍しいむくり屋根。

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いつも見上げる屋根しか見ないが、お参り先からたまにこうして見ると、ひと味違って見えるもの。

 

2011年12月5日 | カテゴリー : 長浜 | 投稿者 : sentoku

盆の花

8月16日(火)

咲いた 咲いた 盆の花

花は花でも、色とりどりの盆灯籠。

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今年もたくさんの盆灯籠が立てられた。

安芸の国の風物詩となったこの盆灯籠。
コンビニをはじめ、いたるところに並んでいる。

そのはじまりは、江戸時代。
亡くなった娘のために石灯籠を立ててやりたいと思った父親が、そのお金がなかったため、竹をそいで紙を貼り、それを灯籠として供えたことにはじまるといわれる。
(『浄土真宗 仏事あれこれ小百科 ―本願寺派安芸教区―』より)

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初盆は白い灯籠。
これも本来決まりはないが、いつの頃かそんな風に。

日本全国、その地方によってお盆の迎え方にはいろいろあるが、なかなか普段手を合わせることがなくなってきたこの時代に、せめてお盆・お彼岸、ご縁にあって欲しい。

お盆も今日で一段落。
盂蘭盆会法座が18日の夜席から。

それで今夜はもう一つの花が咲いた。

花火。

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夏といえば花火。
今年は震災の影響で関東を中心に花火大会が中止されたとか、被災地で復興を願って花火大会が行われたとか、花火が注目された。

ただ、この花火業界もなかなか厳しいらしい。
線香花火も中国製におされ、三河・北九州・信州といった線香花火の産地から一度は姿を消したそう。
それでも、再び復活。

そんな日本の花火を少しでも応援しようと、今年は国産線香花火をお取り寄せ。

値段の安さでは到底輸入品にはかなわないが、そこは職人の技。

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でも、子どもたちには線香花火よりも派手な花火の方が好まれる・・・。

また今度ゆっくりと楽しみたい。

戦没者追悼法要

8月15日(月)

今日は終戦記念日。

毎年この終戦記念日には、夜7時30分より入江神社境内の忠魂碑の前に御本尊を荘厳して、お隣の住蓮寺さんと追悼法要をおつとめする。

長浜・津久茂の日露戦争以来の戦没者追悼法要。
神社の境内で正信偈をみなさんとおつとめ。
追悼法要が終わると、盆踊り。

盆踊りは明日までの2日間。

祭に追悼法要に盆踊り。
これが長浜のお盆である。

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戦争といえば、平成18年(2006)6月、呉東組団体参拝で鹿児島のかくれ念仏を訪ねに行った時、最後に知覧特攻平和会館を訪れたことを思い出す。

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そこで案内してくださった方が、一通の手紙を紹介。

石川県七尾 石倉三郎さんの母から息子への手紙。

ばくだんをかかえてゆくときは、かならずわすれまいぞ。
南無阿弥陀仏をとなえておくれ。これが母のたのみである。
これをわすれないでいてくれたら母はこの世に心配ごとはない。
わすれないでとなえておくれ。
こんど合うときはアミダさまの所で合うではないか。
これがなによりの母のたのしみである。
わすれてはならないぞ。
てきかんめがけて飛んでいく時は、後生の一大事を心にかけて、「南無阿弥陀仏」とお念仏をもうしていけよ。

特攻機でお国のためにと尊いいのちを投げ出す決意の息子に対し、「無事、帰って来いよ」と口にすることの出来ない時代。
これが親として、精一杯のことばだったに違いない。

でも、この親子には「南無阿弥陀仏」があった。

今日は政府主催の全国戦没者追悼式があり、

戦争の犠牲となった約310万人の冥福を祈るとともに、東日本大震災からの復興を願った。

と新聞に紹介されている。
66回目の終戦記念日を迎えても、いまだに冥福を祈る・・・。

66回目の終戦記念日にふと思う。