盂蘭盆会 1日目

8月18日(木)

今夜から盂蘭盆会の法座。

夕方から久しぶりの雨。
今席は雨音を聞きながらの法座となった。

いつまでこの暑さが続くのだろう・・・と思っているのは、私たちの心がいろんなことに迷いを持つから?
庭には百合の花が一斉に咲き出した。

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百合は何の迷いもなく、自分の咲く時期が来たらパッと咲いている。
ただ、迷いなく咲く百合が良いかと問われたら、迷いがあっても今の人間が良い。
その人間に生まれてきたことを問うのも、このお盆の尊いご縁である。

法座の御講師は呉市中通 専徳寺住職 大洲秀道師。

お盆の由来、本願寺の盂蘭盆会の表白をもとにお話しされた。

今日から福屋八丁堀店で『親鸞展』も始まった。
30日まで開催されているので、法座が終わったら是非訪ねてみたい。

2011年8月18日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

明日から盂蘭盆会

8月17日(水)

明日の夜席から盂蘭盆会法座。

お誘いあわせてお参りを。

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2011年8月17日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

盆の花

8月16日(火)

咲いた 咲いた 盆の花

花は花でも、色とりどりの盆灯籠。

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今年もたくさんの盆灯籠が立てられた。

安芸の国の風物詩となったこの盆灯籠。
コンビニをはじめ、いたるところに並んでいる。

そのはじまりは、江戸時代。
亡くなった娘のために石灯籠を立ててやりたいと思った父親が、そのお金がなかったため、竹をそいで紙を貼り、それを灯籠として供えたことにはじまるといわれる。
(『浄土真宗 仏事あれこれ小百科 ―本願寺派安芸教区―』より)

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初盆は白い灯籠。
これも本来決まりはないが、いつの頃かそんな風に。

日本全国、その地方によってお盆の迎え方にはいろいろあるが、なかなか普段手を合わせることがなくなってきたこの時代に、せめてお盆・お彼岸、ご縁にあって欲しい。

お盆も今日で一段落。
盂蘭盆会法座が18日の夜席から。

それで今夜はもう一つの花が咲いた。

花火。

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夏といえば花火。
今年は震災の影響で関東を中心に花火大会が中止されたとか、被災地で復興を願って花火大会が行われたとか、花火が注目された。

ただ、この花火業界もなかなか厳しいらしい。
線香花火も中国製におされ、三河・北九州・信州といった線香花火の産地から一度は姿を消したそう。
それでも、再び復活。

そんな日本の花火を少しでも応援しようと、今年は国産線香花火をお取り寄せ。

値段の安さでは到底輸入品にはかなわないが、そこは職人の技。

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でも、子どもたちには線香花火よりも派手な花火の方が好まれる・・・。

また今度ゆっくりと楽しみたい。

戦没者追悼法要

8月15日(月)

今日は終戦記念日。

毎年この終戦記念日には、夜7時30分より入江神社境内の忠魂碑の前に御本尊を荘厳して、お隣の住蓮寺さんと追悼法要をおつとめする。

長浜・津久茂の日露戦争以来の戦没者追悼法要。
神社の境内で正信偈をみなさんとおつとめ。
追悼法要が終わると、盆踊り。

盆踊りは明日までの2日間。

祭に追悼法要に盆踊り。
これが長浜のお盆である。

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戦争といえば、平成18年(2006)6月、呉東組団体参拝で鹿児島のかくれ念仏を訪ねに行った時、最後に知覧特攻平和会館を訪れたことを思い出す。

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そこで案内してくださった方が、一通の手紙を紹介。

石川県七尾 石倉三郎さんの母から息子への手紙。

ばくだんをかかえてゆくときは、かならずわすれまいぞ。
南無阿弥陀仏をとなえておくれ。これが母のたのみである。
これをわすれないでいてくれたら母はこの世に心配ごとはない。
わすれないでとなえておくれ。
こんど合うときはアミダさまの所で合うではないか。
これがなによりの母のたのしみである。
わすれてはならないぞ。
てきかんめがけて飛んでいく時は、後生の一大事を心にかけて、「南無阿弥陀仏」とお念仏をもうしていけよ。

特攻機でお国のためにと尊いいのちを投げ出す決意の息子に対し、「無事、帰って来いよ」と口にすることの出来ない時代。
これが親として、精一杯のことばだったに違いない。

でも、この親子には「南無阿弥陀仏」があった。

今日は政府主催の全国戦没者追悼式があり、

戦争の犠牲となった約310万人の冥福を祈るとともに、東日本大震災からの復興を願った。

と新聞に紹介されている。
66回目の終戦記念日を迎えても、いまだに冥福を祈る・・・。

66回目の終戦記念日にふと思う。

長浜 夏祭

8月14日(日)

お盆のまっただ中。

一日汗だくの法衣を着て、あちこちと。
衣も素材がいろいろと改良されてはいるが、この暑さには・・・。
熱中症にかからないよう、体調には気をつけて。

今夜は長浜、西脇神社の夏祭。

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昔に比べたらかなり規模は小さくなったが、

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神社までの海辺の道には提灯が灯り・・・

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ライトアップされた大漁旗も。

太鼓の音が響き、帰省中の人たちで、結構賑やかに。

海で灯籠流しも行われ、昔から続く長浜のお盆の光景。

2011年8月14日 | カテゴリー : 地域 | 投稿者 : sentoku

慰霊と追悼

8月12日(金)

今日は朝から広のとある企業の慰霊式典に招かれて。
以前は工場の事故で亡くなられる方があり、工場前に慰霊碑がある。その前で読経。

「慰霊」ということばは、浄土真宗では本来用いない。
ただ、今日は日航機墜落事故から26年。慰霊登山が行われたと聞く。

戦争で亡くなられた方の慰霊祭等、この時期、この「慰霊」ということばをよく耳にする。

浄土真宗では、「追悼」ということばを用いる。

この「慰霊」と「追悼」はどのような違いがあるのだろう。

「慰霊」とは、「死んだ人や動物の霊を慰めること」。
「追悼」とは、「死者の生前をしのんで、悲しみにひたること」「とむらう」とある。

この二つのことは一般的に同じことのように理解されているが、慰霊と追悼の違いについて、追悼は死に対しての広い意味で使われることが多いが、慰霊は事故や災害、戦争などで亡くなられた方に対して使われることが多いと指摘される方もいる。

特にこの場合の慰霊とは、無念であっただろう。その思いをここに留めないで安らかに眠って欲しい・・・。という思いがそこにあるのだろう。

いろいろな宗教をもたれた方がおられるので、一概にこのことばを改めることを強要することはできないだろうが、浄土真宗の立場では「追悼」。

故人を偲ぶ大切なご縁である。

仏教壮年会納涼会 ~百日紅~

8月8日(月)

今夜は6時30分から専徳寺集会所にて仏教壮年会の納涼会。

納涼会に先立って、本堂で勤行。そして法話。

ただ、今夜は6時と7時、2件のお通夜。
6時のお通夜を済ませ、一度寺に戻って法話をして、再びお通夜。
お通夜から帰ってきて納涼会に参加。

今日は会員のSさんが春の叙勲で瑞宝単光章を叙勲されたお祝いも兼ねていたので、いつもよりも和やかに賑やかに。
皇居での話をいろいろと聞かせていただいた。

叙勲、おめでとうございました。

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今、本堂の廊下から目に映るのは、紅白のサルスベリ。

サルスベリ、漢字で書くと「百日紅」。

この漢字の表記は中国名。
この暑い夏の時期、3ヶ月(約100日)ほど紅い花を咲かせるということで「百日紅」と名づけられたそう。

日本では、幹がツルツルでサルも木に登れないのでは?ということで「サルスベリ」と名づけられたとか。

それぞれ名前の由来を聞くのも興味深い。

ただ、100日も咲き続けるのではなく、花が次々と咲くために咲き続けているように見えるらしい。

散れば咲き  散れば咲きして  百日紅

加賀千代女(かがのちよじょの俳句にそれがある。
また、高浜虚子は、

炎天の  地上花あり  百日紅

と、こんなに暑い夏でも、花を咲かせるサルスベリを讃えている。

暑い暑いと少々バテ気味になっているが、こんな暑い夏だからこそ咲く花もある。

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手水鉢にはイソヒヨドリが水浴びに。
写真には真っ黒に写っているが、この後、鐘楼の手すりにとまって一休み。

暦の上では今日が「立秋」。

それでも、暑い夏はまだまだしばらく続きそう。

それぞれに、体調に気をつけながら、この暑さを楽しませていただこう。

2011年8月8日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

煎茶会

8月6日(土)

8月6日午前8時15分。

昭和20年、広島に原爆が落とされ、たくさんの方が亡くなり、たくさんの方がその後大きな苦しみとともに生きた。
毎年この時間に合わせ、専徳寺では梵鐘を鳴らす。
梵鐘を鳴らし、そのあと本堂でおつとめ。

私は戦争を知らない世代だが、毎年この時間、この鐘の音を聞き、おつとめしているので、8月6日が染みついている。

今年は専徳寺門徒Hさんが施主となり、煎茶会が開かれた。

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原爆で当時7歳の兄を亡くしているが、戦後生まれのHさんに御両親はそのときのことを話すことがなかったそう。それだけ大きな悲しみ、大きな苦しみを抱えたまま、お浄土までもっていかれたのでしょう。
ただ、そのまま消してしまってはならないという思いが、このたびの献茶という形に。

朝9時、蝉時雨のなか追悼法要をおこない、煎茶道三癸亭賣茶流のお手前で献香・献供・献茶をご仏前に。

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そのあと、煎茶会に招かれた有縁の方、地域の方に煎茶が施される。

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たくさんの方がこのご縁にあわれた。

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専徳寺では初めての試み。
今年はいろんなカタチのご縁をいただく。

今夜は広島で53年ぶりのプロ野球公式戦も行われる。

これには賛否両論あるようだが、試合前にセレモニーが行われ、鳴り物を使った応援をやめるとのこと。

時代とともに伝え方、伝わり方も変わっていく。
かたちは変わっても、そこに流れるこころはひとつ。

そのこころをたいせつに。

2011年8月6日 | カテゴリー : 地域, 行事 | 投稿者 : sentoku

初盆

8月5日(金)

今日は特別養護老人ホーム『成寿園』で、この一年に亡くなられた方の追悼法要。

お盆が近づき、亡くなられた方を偲ぶご縁が増えてくる。
また、盆に関する問い合わせも。

この月末に満中陰法要(四十九日法要)を迎える方が初盆の依頼もされていたが、「他の方から四十九日も迎えていないのに初盆を迎えるのはおかしいといわれたのだけれど・・・」と、問い合わせ。

浄土真宗では、亡くなったらただちにお浄土へ参らせていただく。だから、四十九日を迎えるまでのあいだ、魂がさまよっているとか、巷でいろいろいわれているようなことはありませんよ。亡くなられた方との別れを迎え、そして初めて迎えるお盆ということでおつとめさせていただきますと答える。

お盆とは、『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』にもとづく仏教の行事。
専徳寺でも「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という法座を毎年勤めているが、「歓喜会(かんぎえ)」と呼ぶお寺もある。
特別なお荘厳をするわけではないが、本願寺では切子灯籠と呼ばれる灯籠が御内陣に荘厳されるそう。

専徳寺は各御門徒のお宅をまわるお盆参りを昔からしていない。
初めてのお盆(初盆)を迎えるお宅で、依頼のあったところだけをお参りさせていただく。

その代わり、最近増えてきたのがお盆期間中の法事。

「お盆に家族が揃うので」。それが一番の理由のよう。
遠方にお住まいのご家族が揃うことは、今のご時世なかなか難しくなっている。
ただ、お盆のときにふるさとへと帰ってくる。
それでこの時期に法事をされるお宅が増えてきた。

ふるさとへ帰る。それを表す「帰省」ということばをよく耳にする。
今ではただふるさとへ帰るという意味で「帰省」ということばが使われているようだが、この「省」という字には「親の安否を気づかう」という意味があるのだそう。

ただ、お盆の法話でよくするのだが、親の安否を気づかってふるさとへ帰るといいながらも、そこには親が子どもの安否を気づかって呼び戻しているケースの方が多いことに気づかされるのではないですか?と。

お盆の由来はどうであれ、今では一つのご縁。
先にお浄土へ参られた方が、私たちの安否を気づかって、お仏壇やお墓の前に導いてくださっている一つのご縁である。

延寿荘訪問 (専徳寺仏教婦人会)

8月3日(水)

午後から特別養護老人ホーム『延寿荘』を専徳寺仏教婦人会の方と一緒に訪問。

これは呉東組仏教婦人会連盟の活動で、組内各仏教婦人会が順番に延寿荘と成寿園を訪問している。
今月は専徳寺仏教婦人会が担当。

正信偈を皆さんと一緒にとなえ、そのあと法話。

このブログにも紹介した金子みすゞさんの『蓮と鶏』を紹介。
どんなに美しい花を咲かせる蓮の種も、種だけでは芽も出ない。
2000年以上前の蓮の種も、環境(縁)が整えば芽を出し花を咲かせる。

今年、庭に蓮を迎えたことで、私もいろんなことを学んだ。

それも私のせいじゃない。

それもご縁である。

法話のあと、婦人会の方が『涙そうそう』の音楽でフラダンスを披露。

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猛暑のなか、さわやかなひととき、さわやかなご縁をいただいた。

2011年8月3日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku