3月21日(月)
彼岸の中日。
まん延防止等重点措置が解けて初めての連休。
すぐには通常には戻れそうにないので、朝9時から春季彼岸会をおつとめのみ。
おつとめのみと言っても、このたびも『念佛日和』特別号による文書伝道。
来られなかった方にも後日お届け予定。
そして、このたびも花手水。
春らしく、元気になるような、そんな色合いに。
雪柳が自由にあちこち伸びて、桜のつぼみが今日2つも増えていた。
そして、ずっと気になっていた桔梗も新芽が出て来た!
暑さ寒さも彼岸まで
TEL.0823-71-7926
〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
3月20日(日)
春のお彼岸。
春のお彼岸も秋のお彼岸も、お参りに行くと「お彼岸のお忙しい時に・・・」と恐縮されて言われるのだけど、これまでそれほど忙しいことはなかった。
むしろ、「お彼岸でお忙しいでしょうから」と、敬遠される方が多かったのかなと思うくらいゆったりと。
でも、今年の春のお彼岸は、まん延防止等重点措置が先日解かれたこと、解かれて初めての連休とあってか、法事が次々と。
そんな中、今日ご夫婦でお参りしてくださったご門徒さんは、お父さんの祥月命日が昨日、葬式をしたのが今日、そして明日が自分の誕生日。
「家族に強制しないよう、普段着でお参り出来るご縁をと言うことでお参りさせてもらいました」と、昨年お一人でお参りになられ、今回は奥さまと御一緒にお参りくださって、記念写真も一緒に。
ずっとこれからもそれを続けていかれるのだそう。
寺から年回法要が当たっていますとのご案内はさせていただくのだけれど、それ以外は自由にそれぞれの思いでご縁に出遇っていただけたらいいのかも。
それぞれの思いで普段着のお参り。
今日は薄墨桜(江戸彼岸桜)のつぼみが一段と膨らんで。
明日は彼岸の中日。
朝9時より彼岸会のおつとめと、文書伝道によるご縁。
花手水も用意して、出来るだけ春を感じるご縁になれば。
3月19日(土)
あんなにポカポカしてたのに、昨日は雨風が強く、寒さが戻って。。。
今朝、お参り先で出来上がったばかりの本を頂戴した。
『黙霖 ろう勤皇僧 宇都宮黙霖の生涯』(呉ろうあ協会)
昨年、石泉文庫の虫干しを予定していた9月、呉ろうあ協会の方々が虫干しを見学に来られることになっていたのに、コロナで虫干しが10月に延期。
でも、せっかくのご縁なので、9月に予定されていたその日、話だけでもと言うことでお越しになられた。
その時に今年6月に開催予定の第70回全国ろうあ者大会 in Hiroshimaに向けてこの本『黙霖』を製作するため、準備を進めている話をお聞きし、製作途中の原稿コピーも見せていただいた。
その本がようやく出来上がったそう。
黙霖さんの生涯をまとめただけでなく、漫画も一緒に収録され、大変素晴らしい出来映えに。
大会が無事開催され、全国のみなさんに黙霖さんを知っていただけたらと願うばかり。
そして、もう1冊。
『呉本 に』が届いた。
丸子玲子さんの『呉本』の続編。
とは言っても、正直その前の『呉本』を読んでなく、昨年6月末、このたびの『呉本 に』にも登場するご門徒さんから、「今回『呉本』の続編で、広を中心に本を書くそうなので、ぜひ黙霖さんの話をして欲しい」と依頼され、取材を受けることに。
その前にその『呉本』とやらはどんな内容か拝見しようと思ったのだが、絶版。。。
何も準備することなく取材を受けた後、『呉本 に』をクラウドファンディングで出版することになったと知り、前作の『呉本』も入手できるということで、そちらを。
その返礼品として本日その2冊が届いた。
専徳寺は『呉本 に』の197頁から
専徳寺と 日本一、日本が好きな「もくりんさん」
に登場。
宇都宮黙霖、生誕200年まであと2年。
黙霖さん、じわりじわりと。
3月17日(木)
昨日の朝、2羽のツバメが帰ってきたようで、元気よく境内の上を飛んでいた。
そして、午前中御法事で広白岳地区のお宅へお参りに行くと、玄関先の桜が満開。
長浜の桜はまだまだだけど、螺山の北と南でこうも違うものなのかと。
連日、朝と夕方、あちこち芽が出て来る姿を眺めてまわるのが日課のようになっている。
雪柳が白い花を付け、風で揺れてる姿は何とも言えない。
また、先日の翁草はもうつぼみを付けている。
昨年植え付けた藤袴、女郎花、糸薄、霧島竜胆の新芽が次々と出てくる。
山吹も新しい枝が次々と地中から出て来て、小手毬も少しずつ芽が膨らんでいる。
ここにも!ここにも!と新芽を見つけるのを楽しみに。
ただ、桔梗がまだまだ何の変化も見られず。。。
一昨年植えた薄墨桜。
昨年の今頃、葉っぱが次々と出て来て、夏までに一回り大きくなった。
今年もつぼみが付いていないようだったので、また葉っぱばかりがこれから出てくるのかな。
来年くらい、花を付けてくれたらいいなぁと思いながらじっと眺めていたら。
何と!一本の枝の先に、ここだけ色が違ってピンク色。
これはひょっとして??
ここ数日は日中汗ばむほどの陽気だったけど、明日は雨で、そのあと寒さが戻ってくるとか。
どうぞ、お気をつけて。
3月14日(月)
昨夜降った雨が上がり、今朝は暖かい朝。
ウグイスの声がよく聞こえてくる。
今朝は今年度最後の広南小学校読み聞かせ。
先日高校を卒業した長男と一緒に。
担当は私が4年生、長男は1年生。
読んだ絵本は、
『森のおくから むかし、カナダであったほんとうのはなし』
(レベッカ・ボンド作・もりうちすみこ訳)
今年度最後、何を読もうかと思ってたところに、先週の火事。
また、4年生は「里山を愛する会」と一緒に一年間いろいろな活動をしたことを聞いていたので、この本を。
ちょっと読むには長い絵本だけど、最後のあとがきまで。
作者あとがき
この話は、ほんとうにあったことです。主人公のアントニオは、亡くなったわたしの祖父、アントニオ・ウィリー・ジローです。祖父は14さいまで、カナダのオンダリオ州ゴーガンダのホテルでくらしていました。そのあと、アメリカ合衆国に移り住み、それまではフランス語を話していましたが、英語も話せるようになりました。
わたしは、祖父について、いろいろな話を聞いています。長く農場をやっていたこと、バーモント州のあちこちで大工仕事をしていたこと、また、としをとってはじめて、アメリカインディアンの血をひく異母兄弟と会って、よろこんだことも。
でも、わたしがいちばんすきなのは、祖父が自分の子どもたちに語って聞かせ、そして、母がわたしに語ってくれた、この話です。
私の子どもたちは、もうアントニオに会うことはできません。でも、だからこそ、私は子どもたちに、ひいおじいさんが子どものころ、オンタリオ州ゴーガンダで出あった、このおどろくべきできごとを話してやりたいのです。
感想で、火事の怖さ、いのちの大切さを述べてくれた。
お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんから昔の話を聞く?
と聞いたけど、みんな首を横に。
いろんなことを聞いてもらいたいなぁと。
終わったところで、サプライズ
これまでにもお礼の手紙をいただいたことはあったけど、このたび初めて「〇〇さんの読んでくれた『〇〇』が心に残りました」と、具体的に感想を述べてくれていること。
多かったのは、
6年生は『つららのぼうや』と『おおにしせんせい』
5年生は『しらすどん』
2年生は『こねこのチョコレート』と『いちにちじごく』
心に残る絵本、印象に残る絵本に選ばれたのは素直に嬉しい。
コロナ禍で厳しい状況の中、年間11回行われた朝の読み聞かせ。
ご縁をいただけたことに感謝。
3月9日(水)
宮沢賢治の作品、『おきなぐさ』。(青空文庫『おきなぐさ』)
うずのしゅげを知っていますか。
うずのしゅげは、植物学ではおきなぐさと呼ばれますが、おきなぐさという名はなんだかあのやさしい若い花をあらわさないようにおもいます。
そんならうずのしゅげとはなんのことかと言われても私にはわかったようなまたわからないような気がします。
こんな風に始まる『おきなぐさ』。
昨年春に植えた翁草。
枯れた後、根元を残して切り取っていたところから、白いうぶ毛が生えてきた。
昨年植えた時は既に花が咲いた状態だったので、初めて見る光景。
翁の白髪というよりも、仔猫のうぶ毛といった感じ。
《うずのしゅげ》とは宮沢賢治のいた岩手県での呼び名で、「うず」とはおじいさん、「しゅげ」とはひげ。「おじいさんのひげ」という意味らしい。
今日のこの姿を見ると、「なんだかあのやさしい若い花」という表現がなんだか分かるような。
下の写真は昨年のもの。
この花を植えなかったら、宮沢賢治の『おきなぐさ』に会うこともなかったかも。
今年もこんな姿が見れますように。
3月8日(火)
3月6日に広島県のまん防(まん延防止等重点措置)が解除されたのを受け、今夜は令和4年になって初めての仏教壮年会の例会。
1月は翌日9日よりまん防が適用されることになったため、急遽中止。
来月は総会に当たるので、しばらく連続して開催する目処が立たないため、コロナ前にやっていたお釈迦さまの生涯は今しばらく休み。
そこで、今日は何を取り上げようかと考えていたところに、大洲順道のこと。
今年が亡くなられてちょうど100年。
先日、「専徳寺住職であった大洲順三」のことを知りたいと問い合わせメールをいただいた。
「大洲順三」?
そのメールに「仁村守三」という名が記されていたので調べてみたら、Wikipediaにも。
キリスト教の歴史の中では、いろんなところに出てくる名前みたい。。。
長崎や東京にいた頃、順道と重なる時期もあるのだけど、どう見ても生存年代に40年ほどの隔たりが。。。
| 仁村守三 | 大洲順道 | ||||
| 寛政12年頃 (1800) |
肥前に生まれる | ||||
|
|
天保14年 (1843) |
豊田郡竹仁村に生まれる | |||
| 文久元年 (1861) |
18歳 | 松島善譲門下に入る | |||
| 明治元年 (1868) |
25歳 | 本山に入り、原口針水に従事 長崎でキリスト教を |
|||
| 明治3年 (1870) |
70歳 | 長崎で洗礼を受ける | |||
| 明治4年 (1871) |
28歳 | 東京で教部省設立に関わる | |||
| 明治6年 (1873) |
73歳 | 日本基督教公会設立に関わる 東京に移る |
|||
| 明治9年 (1876) |
76歳 | 新栄教会の長老に就任 | 明治9年 (1876) |
33歳 | 教部省に出仕 |
| 明治10年 (1877) |
34歳 | 教部省が廃止され、本山奉職 | |||
| 明治11年 (1878) |
35歳 | 専徳寺に入寺 | |||
| 明治13年頃 (1880) |
80歳 | 亡くなる | |||
| 明治19年 (1886) |
43歳 | 鹿児島出張所(別院)へ | |||
| 明治32年 (1899) |
56歳 | 本願寺執行に | |||
| 大正11年 (1922) |
79歳 | 亡くなる | |||
仁村守三が洗礼を受けたとされる70歳の年、順道だと27歳となる。
年齢詐称するにも、この差は如何に?
資料によっては「順三」とか「順造」と記載されており、「順道」と正しいものがない。
仁村は本名を大洲順造と云って、後ち広島県賀茂郡長浜の真宗本願寺派専徳寺の住職となったと云はれてゐる。
「言われている」と、どうやら確実な資料もないみたいで。。。
こちらには隠すこともなく、諜者(スパイ)であったと認めようもないのだけれど、キリスト教と向き合っていたことは事実。
モヤモヤするので、当時のことを少しでも知ろうと、島地黙雷の本を取り寄せて読んでみたり、遠藤周作原作の映画「沈黙 サイレント」(マーティン・スコセッシ監督)を観てみたり。
江戸から明治。
尊王攘夷のことも宇都宮黙霖を通して何度も見てきているけれど、キリスト教に対する当時の脅威は並々ならぬものであったよう。
今では当たり前のようなことが、全然違っていた時代。
インターネット上にもいろいろ出ているみたいなので、みなさんと一緒に考えていきたいと思い、今日はこの話を。
いずれにしても、命がけで信仰を守ろうとした方がいた。伝えようとした方がいた。
そして、今のご縁がある。
そのことを学ぶ数日。
ようこそのお参りでした。