専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
TEL.0823-71-7926
〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
3月14日(月)
昨夜降った雨が上がり、今朝は暖かい朝。
ウグイスの声がよく聞こえてくる。
今朝は今年度最後の広南小学校読み聞かせ。
先日高校を卒業した長男と一緒に。
担当は私が4年生、長男は1年生。
読んだ絵本は、
『森のおくから むかし、カナダであったほんとうのはなし』
(レベッカ・ボンド作・もりうちすみこ訳)
今年度最後、何を読もうかと思ってたところに、先週の火事。
また、4年生は「里山を愛する会」と一緒に一年間いろいろな活動をしたことを聞いていたので、この本を。
ちょっと読むには長い絵本だけど、最後のあとがきまで。
作者あとがき
この話は、ほんとうにあったことです。主人公のアントニオは、亡くなったわたしの祖父、アントニオ・ウィリー・ジローです。祖父は14さいまで、カナダのオンダリオ州ゴーガンダのホテルでくらしていました。そのあと、アメリカ合衆国に移り住み、それまではフランス語を話していましたが、英語も話せるようになりました。
わたしは、祖父について、いろいろな話を聞いています。長く農場をやっていたこと、バーモント州のあちこちで大工仕事をしていたこと、また、としをとってはじめて、アメリカインディアンの血をひく異母兄弟と会って、よろこんだことも。
でも、わたしがいちばんすきなのは、祖父が自分の子どもたちに語って聞かせ、そして、母がわたしに語ってくれた、この話です。
私の子どもたちは、もうアントニオに会うことはできません。でも、だからこそ、私は子どもたちに、ひいおじいさんが子どものころ、オンタリオ州ゴーガンダで出あった、このおどろくべきできごとを話してやりたいのです。
感想で、火事の怖さ、いのちの大切さを述べてくれた。
お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんから昔の話を聞く?
と聞いたけど、みんな首を横に。
いろんなことを聞いてもらいたいなぁと。
終わったところで、サプライズ
これまでにもお礼の手紙をいただいたことはあったけど、このたび初めて「〇〇さんの読んでくれた『〇〇』が心に残りました」と、具体的に感想を述べてくれていること。
多かったのは、
6年生は『つららのぼうや』と『おおにしせんせい』
5年生は『しらすどん』
2年生は『こねこのチョコレート』と『いちにちじごく』
心に残る絵本、印象に残る絵本に選ばれたのは素直に嬉しい。
コロナ禍で厳しい状況の中、年間11回行われた朝の読み聞かせ。
ご縁をいただけたことに感謝。
3月9日(水)
宮沢賢治の作品、『おきなぐさ』。(青空文庫『おきなぐさ』)
うずのしゅげを知っていますか。
うずのしゅげは、植物学ではおきなぐさと呼ばれますが、おきなぐさという名はなんだかあのやさしい若い花をあらわさないようにおもいます。
そんならうずのしゅげとはなんのことかと言われても私にはわかったようなまたわからないような気がします。
こんな風に始まる『おきなぐさ』。
昨年春に植えた翁草。
枯れた後、根元を残して切り取っていたところから、白いうぶ毛が生えてきた。
昨年植えた時は既に花が咲いた状態だったので、初めて見る光景。
翁の白髪というよりも、仔猫のうぶ毛といった感じ。
《うずのしゅげ》とは宮沢賢治のいた岩手県での呼び名で、「うず」とはおじいさん、「しゅげ」とはひげ。「おじいさんのひげ」という意味らしい。
今日のこの姿を見ると、「なんだかあのやさしい若い花」という表現がなんだか分かるような。
下の写真は昨年のもの。
この花を植えなかったら、宮沢賢治の『おきなぐさ』に会うこともなかったかも。
今年もこんな姿が見れますように。
3月8日(火)
3月6日に広島県のまん防(まん延防止等重点措置)が解除されたのを受け、今夜は令和4年になって初めての仏教壮年会の例会。
1月は翌日9日よりまん防が適用されることになったため、急遽中止。
来月は総会に当たるので、しばらく連続して開催する目処が立たないため、コロナ前にやっていたお釈迦さまの生涯は今しばらく休み。
そこで、今日は何を取り上げようかと考えていたところに、大洲順道のこと。
今年が亡くなられてちょうど100年。
先日、「専徳寺住職であった大洲順三」のことを知りたいと問い合わせメールをいただいた。
「大洲順三」?
そのメールに「仁村守三」という名が記されていたので調べてみたら、Wikipediaにも。
キリスト教の歴史の中では、いろんなところに出てくる名前みたい。。。
長崎や東京にいた頃、順道と重なる時期もあるのだけど、どう見ても生存年代に40年ほどの隔たりが。。。
仁村守三 | 大洲順道 | ||||
寛政12年頃 (1800) |
肥前に生まれる | ||||
|
天保14年 (1843) |
豊田郡竹仁村に生まれる | |||
文久元年 (1861) |
18歳 | 松島善譲門下に入る | |||
明治元年 (1868) |
25歳 | 本山に入り、原口針水に従事 長崎でキリスト教を |
|||
明治3年 (1870) |
70歳 | 長崎で洗礼を受ける | |||
明治4年 (1871) |
28歳 | 東京で教部省設立に関わる | |||
明治6年 (1873) |
73歳 | 日本基督教公会設立に関わる 東京に移る |
|||
明治9年 (1876) |
76歳 | 新栄教会の長老に就任 | 明治9年 (1876) |
33歳 | 教部省に出仕 |
明治10年 (1877) |
34歳 | 教部省が廃止され、本山奉職 | |||
明治11年 (1878) |
35歳 | 専徳寺に入寺 | |||
明治13年頃 (1880) |
80歳 | 亡くなる | |||
明治19年 (1886) |
43歳 | 鹿児島出張所(別院)へ | |||
明治32年 (1899) |
56歳 | 本願寺執行に | |||
大正11年 (1922) |
79歳 | 亡くなる |
仁村守三が洗礼を受けたとされる70歳の年、順道だと27歳となる。
年齢詐称するにも、この差は如何に?
資料によっては「順三」とか「順造」と記載されており、「順道」と正しいものがない。
仁村は本名を大洲順造と云って、後ち広島県賀茂郡長浜の真宗本願寺派専徳寺の住職となったと云はれてゐる。
「言われている」と、どうやら確実な資料もないみたいで。。。
こちらには隠すこともなく、諜者(スパイ)であったと認めようもないのだけれど、キリスト教と向き合っていたことは事実。
モヤモヤするので、当時のことを少しでも知ろうと、島地黙雷の本を取り寄せて読んでみたり、遠藤周作原作の映画「沈黙 サイレント」(マーティン・スコセッシ監督)を観てみたり。
江戸から明治。
尊王攘夷のことも宇都宮黙霖を通して何度も見てきているけれど、キリスト教に対する当時の脅威は並々ならぬものであったよう。
今では当たり前のようなことが、全然違っていた時代。
インターネット上にもいろいろ出ているみたいなので、みなさんと一緒に考えていきたいと思い、今日はこの話を。
いずれにしても、命がけで信仰を守ろうとした方がいた。伝えようとした方がいた。
そして、今のご縁がある。
そのことを学ぶ数日。
ようこそのお参りでした。