ぶろぐ

専徳寺のぶろぐです。

お寺のこと、地域のことを綴ります。


 

ブログ一覧

蓮根

3月5日(土)

頼んでおいた蓮根が届いた。

昨年インターネットで見つけたお店で、秋に注文が開始されたと同時期に、春に向けて3種類の蓮を注文。

一つ目は、

大賀蓮。

二つ目は、

白雪姫。

そして、3つ目は、

白光蓮。

 

昨年の大名蓮、案頭春も来週には株分け予定。

今年の夏は、蓮がいろいろ楽しめそう。

 

そして、桜のまわりに植えたサギゴケに早くも花が。

初めてここで冬を越した宿根草がところどころで芽を出し、ユキヤナギの芽が膨らみ、ヤマブキも新しい枝が。

ちゃんとここで生きている。

2022年3月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : sentoku

呉市文化財保存活用地域計画 ヒアリング調査

3月4日(金)

季節の変わり目なのか、今日は3件のお葬式。

何とか無事終えて、休む間もなく午後4時10分より本堂にて呉市文化財保存活用地域計画のヒアリング。

呉市より4名、こちらは住職と総代さん5名が出席。

「文化財に対する取り組み」について、取り組み経緯・内容、成果、課題など、いろいろと質問に答える形で。

 

県史跡「石泉文庫及塾・石泉僧叡之墓」

虫干しのこと、小学生の防火訓練・虫干しの参加を含めた地域との関わり、歴史ウォーキング等々。

課題は、建物の老朽化が進んでおり、広島県と呉市の援助をいただけたら、もっと活用できるかなという話を。

総代さんからは、改めて長浜愛を熱く。

 

知られていないこと

いっぱいあるなぁと。。。

ともに学ばせていただくご縁と。

 

呉東組聞名講委員会

3月2日(水)

昨日は一日雨。

雨上がりの朝、宿根草の根元に新芽が次々と。

 

どんな風に成長するのか、これから楽しみに。

 

今日は呉東組聞名講委員会が住蓮寺にて。

まん延防止等重点措置が広島県は6日で解除される見込み。

そんな中、各地区の委員の皆さんが、担当の講員さんより預かってきた会費を持参。

 

先月2月20日号の『本願寺新報』に掲載された講長さんの記事。

率先して後ろ姿を示してくださって。

 

令和4年度の日程は以下の通り。

 月 日 会 所 御消息 御法話
5月10日(火) 光明寺 光明寺 広 真光寺
7月11日(月) 小坪説教所 専徳寺 西光寺
9月12日(月) 広 真光寺 広 真光寺 浄念寺
10月11日(火) 報恩講 宝徳寺 宝徳寺 専徳寺
1月20日(金) 法謙寺 法謙寺 浄徳寺
3月10日(金) 追悼法要 専徳寺 専徳寺 宝徳寺

午後1時30分~午後4時まで(受付1時より)

 

2022年3月2日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

メダカ

2月28日(月)

日中はポカポカ陽気。

蓮の鉢にいたメダカ。

ずっと見かけなかったので気にはなっていたのだけれど、春の陽気に誘われて姿を見せるようになった。

 
 
 
 
 
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浄土真宗本願寺派 嶺宿山 専徳寺(@sentokunet)がシェアした投稿

元気に泳いでいたので一安心。

でも、去年の夏に見たのは、

左側の黒っぽいメダカ。
でも、今日見たのは右側の白っぽいメダカ。

そんなことがあるのかなぁと思って調べたら、何と!
メダカは環境によって色が変わるのだと。

左側の黒っぽいのは、夏に撮ったメダカなので、日焼けして黒く。

メダカが日焼けするって、初めて知った。。。

 

今日は午後から広島別院で今年初めてのサンガ部会。

当初予定されていた3月13日の「お寺時間 ~謎解き脱出ゲーム いにしえの秘薬の謎~」。
これについて。

予定どおり3月6日にまん延防止等重点措置が解除されても、まだまだ開催は厳しいということで、次年度に延期と決定。

 

明日から3月。

2022年2月28日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

呉東組法中会

2月27日(日)

今夜は今年初めての呉東組法中会が光明寺にて。

1月はまん防(まん延防止等重点措置)を受けて組長会が中止になり、法中会も中止。

久しぶりに呉東組法中と顔合わせ。

 

法中会で、『本願寺派寺院と戦争』調査報告書をいただいて帰った。

その中をパラパラと見ていて、ふと目に止まったのが、

何と、当山専徳寺の本堂にそっくり!!

昔、同じようなお寺が他所にもあると言うような話を何となく。。。

 

鹿児島教区川内組真光寺

残念ながら、昭和20年7月30日の空襲でこの本堂は焼失したそう。

もっこ屋根

と呼ぶのだそうだが、その名前の由来は調べてみたけど不明。

寺院ホームページがあったので、そちらを拝見すると、

明治26年(1893)11月に本堂落成法要

とある。

当山の記録では明治22年に専徳寺本堂は建立されているので、そのあとの建立となるのかな。

大洲順道がいつ頃からいつ頃まで鹿児島別院におられたのか、それは定かではないけれど、

専徳寺に伝わる鹿児島別院の本堂が描かれた薩摩焼の壺。

その裏には、

「感謝
 明治29年2月11日
 鹿児島教区各寺住職各布教員」

その頃まで鹿児島へご縁があったとしたら、何かしらご縁があったのかなぁと。

不思議なご縁。

2022年2月27日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku