ぶろぐ

専徳寺のぶろぐです。

お寺のこと、地域のことを綴ります。


 

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仏教壮年会 7月例会

7月8日(金)

今朝、案頭春の2つ目のつぼみがソーッと。

今夜は仏教壮年会の7月例会。

5月・6月と瑞獣を通してお寺に親しんでいただこうと話をしたが、同じものを続けると飽きてくる。

違った話題を取り上げるのも大事かなと、今回はお念仏を大切にされた方の話より。

倉田百三の『念仏と生活』(青空文庫)を紹介。

私の信仰を言いますと、念仏を申さるるように生きるという一語に尽きる。

で始まる比較的短い文章。

倉田百三と言えば、以前仏教壮年会・仏教婦人会共催のビデオと講演の夕べで『出家とその弟子』をビデオ鑑賞(2017)。

あの時、庄原まで倉田百三文学館へ行ったことを思い出しながら。

 

「念仏申さるるように生きる」

自然法爾章、『歎異抄』の第一条を読みながら、「念仏申さるるように生きる」についてお味わい。

終わった後、質問で石泉のことについて聞かれ、石泉の「念仏と生活」を少しだけ。

 

終わると、久しぶりに聞くスマホのアラート!!

呉市に大雨警報(土砂災害)・洪水警報が発令。

 

今夜は安倍晋三元首相のこともあり、いろんなことを考えてしまうけど、

ただ念仏申さるるように生きる。

 

ようこそのお参りでした。

どうぞ、お気をつけて。

呉東組法中会 と 甲斐虎山

7月3日(日)

今夜は阿賀西光寺にて、呉東組法中会。

組内の活動も動きつつあるけれど、急がず慌てず少しずつ。

 

甲斐虎山の作品集が出版されていると知り、取り寄せてみた。

甲斐虎山さんは、甲斐和里子さんの夫。

甲斐和里子さんは、祖母の父 足利瑞義の妹で、祖母は亡くなる間際まで、和里子さんのことを口にした。
父も幼い頃、転地療法のため、京都の甲斐和里子邸にしばらく滞在。

そんなこともあり、甲斐和里子さんの話は聞いていたのだけれど、虎山さんのことはあまり。。。

虎山さんのことを知らないわけが、ようやく少し分かったような気がする。

甲斐虎山は現代人として珍しい存在である。詩や書、絵画に素晴らしい技を持ちながら、世間に知られることはなく、自らも世の中に知られようとしないで、常に詩・書・画ばかりの生活を楽しむほかには何にも興味をもたないようだ。 彼の風貌を見ると、とても茫洋としていて、かつて天上界から人間界に追放されたという仙人が目の前に現れたかのようである。(9頁)

 

専徳寺に遺る甲斐虎山さんの絵。

乙卯蒲月きのとうほげつ」とあるので、1915(大正4)年5月かな。
甲斐虎山(1867~1961)、48才頃の作品。
この本では画風模索の時代。

「明浄精舎」とあるのは、府中の明浄寺かな。

 

「南画」と言うのもよく分からなかったけど、この本を読むとへ~っと。

知ると親しみを持ち、
親しみを持つともっと知りたくなる。

少しずつ少しずつ。

2022年7月3日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

広南中学校参観日

7月2日(土)

今朝の中国新聞朝刊 呉・東広島版に、

5月31日にぶろぐでも紹介した〈長浜里山を愛する会〉と広南小学校4年生の子どもたちのサツマイモ植えの記事。

2018年7月6日の西日本豪雨災害から4年。
今年は早々と梅雨明けし、逆に雨不足が心配される中、7月6日は台風4号直撃との予報。。。
どうなるのかな。。。

 

今日は広南中学校の参観日。

2年生の参観授業は、

『広南もくりんかるた』。

起業企画に取り組む2年生。
~地域〈広南〉をもっと身近に~
そう感じられるよう、先生が地域のこと、学校のことをカルタにして、ゲームの中で広南を学習。

これまで取り組んできた集大成のようカルタ。

長浜のこと、小坪のこと、いろんなことを楽しみながら学べるので、是非とも永久保存版として残して欲しいな。

 

その後、恒例のジャンボ衣笠一門を迎えて広南寄席。

今年も1年生は落語に挑戦。

ただ、今年も例年どおり法務と重なり、寄席は観れず。。。

 

この炎天下。
境内に女郎花おみなえしが咲き始め。

これからの台風情報に気をつけて。

2022年7月2日 | カテゴリー : 長浜 | 投稿者 : sentoku

呉東組仏教壮年会連盟 総会・前期研修会

7月1日(金)

早々と梅雨が明け、暑い毎日。

昨日、つぼみが出て来た案頭春(蓮)。

 

昨日は鉢の内側にあったのに、ニョキニョキっと

昨日よりも10センチくらい伸びている。

梅雨が明けたので、ウィンドチャイムを今年も吊るし、時々いい音色を響かせてくれる。

 

今夜は午後6時より、仁方浄徳寺にて呉東組仏教壮年会連盟の総会・前期研修会。

 

コロナで過去2年、開催することが出来ず、久しぶりの仏教壮年会連盟行事。

総会に引き続いて、御法話は深川組明光寺の牛尾かおり師。

生死の苦海ほとりなし
 ひさしくしづめるわれらをば
 弥陀弘誓のふねのみぞ
 のせてかならずわたしける
        (高僧和讃)

今の世の中、みんな賢くなってしまった。
賢くなったからか、法蔵菩薩の物語、お釈迦さまのお話を聞いても感動しにくくなっている。

その話が嘘か真実まことかと言うよりも、そこに〈込められた願いを聞く〉と言うお話を。

〈願い〉

もうすぐ七夕。
短冊に願いごと。

今どきの子どもたちは何を願うのだろう。
その先に阿弥陀さまの願いと出遇うご縁がととのうといいな。

 

2022年7月1日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

専徳寺門信徒会総代・世話係 総会

6月28日(火)

今日は午前10持から専徳寺門信徒会 総代・世話係総会。

改選期ではないので、今年度の退任者・新任者は各1名ずつ。

「いつもお世話になっております」のごあいさつより、今年の話題は石泉文庫のクロガネモチ。。。

そんな中、先日読み始めた『幸福は聞える声の中に』(信仰随筆・中川静村著)に、こんな一節を見つけたので、挨拶で少しだけ紹介。
折角なのでここでは全文を。

 困 る

 困るという字を、もう一度見直してもらいたい。 木は大自然が生んだ生命体である。誰の所有でもなかった。それを自分のものと誤認したのは人間の『妄想』であり、自己の所有として一つの箱にとじこめたのは、迷妄のなせる業であった。一本の木さえ自己の所有にしようとする人間の貪欲は、その貪欲の故に自らを困る地獄に堕したのである。他人の木がほしくなり、あらゆる木がほしくなり、果てしない欲望と独占がそこから生まれた。人間の『困る』原因は『我執がしゅう』がすべてである。自己中心にしかものが考えられず、どう理屈をつけ、どんなに美しいことをいっていても、その根本に『』をすて切れないところに、困る原因がはらんでいる。話し合おうといってみたところで、その話が『自分本位』ならどうにもなるまい。歩みよりどころか、互いのみにくさをさらけだすのが落ちである。名利みょうり愛欲あいよくすべて我執の煩悩である。親鸞はこの我執を血涙けつるいをもって『悲哉かなしきかな』と結んだ。 自己批判の極点に、身動きならぬ『自己本位』を発見し、その故に絶対他力による自己の粉砕を生涯の行とした親鸞は、人間としても見あげたものであろう。

 自己粉砕とは『無我』である。Aの中にBを見出し、Bの中にAを見る。 AB共にない融合と一如の世界を、親鸞は『真実』とよぶ。
 親の中に子を見、子の中に親をみる。 共に自分にとらわれず、相手の中に自分を生かそうとする。縁の領得には『困る』ところがない。一本の木を、共に所有しようというのである。 共有の緑を見直そうというのである。生きている自分でなく、生かされてある自分に気づく。一切とかかわりある生命に目ざめ、すべてのご恩によってここにある自己に合掌し感謝してゆく。相手の生命をわが生命と気づき、わが生命も相手の生命と仰ぐ世界が宗教の世界である。すべてが、絶対者である『仏』の生命の中に生かされていると考える。宗教の世界には対立も我執もなく、まして独占もない。

 木を一つの箱から、もとの大自然に返そうではないか。すると『困る』文字がこの世から消える。どういってみたところで、同じ人間であり、短いつかの間の生涯である。何一つ自分のものなどない。自分のものと考えるのは妄想であり、すべてが『あずかりもの』なのだ。 あずかりものを、めくじら立てて争ってみたところで、時がくれば、みんな返してしまわねばならぬ。何一つ残らないのが『死』である。必然の死を目の前にしている私たちが、偶然の名利愛欲にこだわっているのが大体おかしいのである。

 どうやらまた、国会の選挙が始まるらしい。 我執の一票に血みどろになり、空しい議席の争奪に自己をわすれる人も多かろう。ただ、大切な、国民の生命をあずかる本来の務めを忘れてもらっては困る。なにが一番大切なのか、かけがえのないものはなにか、ちょっと手をやすめ、一歩退いて、もう一度見直し考え直してみたい。老若男女、困っている本体が、案外つまらぬ原因ではないのか。もう一度、この文字をとくとごらん頂きたいと思う。

 

クロガネモチが倒れ、道を塞ぎ、隣家の屋根を崩壊。
そのあとで、この「木」の所有者は一体誰なのかと言う問題になった。

調べてみると、所有者は400名の昔の長浜の方。管理者は専徳寺。

県の史跡だから、このクロガネモチの樹もその一部となるのでは?とか、いろいろと話があっちに行ったりこっちに来たり。

『木』を誰のもの?と、『□』で囲んだ途端に、困った問題となった。

『□』で囲んで、こちらとあちらを分けてしまう。
そして、こちらが私、あちらは他者と。

これは「木」だけの問題でなく、いろんなところで聞く話。

〈愛着〉と〈執着〉。
そこはなかなか難しいけど、それに気づかせていただくのもまたご縁かな。

 

おかげさまで、滞りなく総会も終了。
暑い中をようこそお参りくださいました。

 

今日、中国地方は早くも梅雨明け。
セミの声も聞こえてくるように。

暑い夏になりそうなので、どうぞお気をつけて。