専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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10月10日(金)
青空のもと、午後から阿賀法幢寺にて、呉東組聞名講例会。
今日は報恩講ということで、呉東組法中、揃いの聞名講衣体を着用しておつとめ。
ご法話は広真光寺御住職。
そして、そのあと御示談に。
いつものように、最初はなかなか質問が出なかったが、お一人の手が上がった。
法話とかで先祖の総数を数字で聞いたりするのだけれど、その数を聞いても今ひとつピンと来ない。という質問が。
すぐに思い浮かんだのが、川崎洋氏の『ペンギンの子が生まれた』。
ぺんぎんの子が生まれた
父さんと母さんと
それぞれのおじいさんとおばあさん
さらにはひいじいさんとひいばあさん と
ほんの二五代さかのぼっただけで
この子の両親を始めとする先祖の数の総計は
六七一〇万八千八百六十二羽になる
そのうちのどの一羽が欠けても
この子はこの世に
現れなかったペンギンの子が生まれた
この詩は、『ワンダフルライフ ~地球の詩~』という飛鳥童(絵)、川崎洋(詩)という絵本の中の一節より。
好きな詩なのだが、この膨大な数字はとてつもなく大きな数字だけに、おっしゃるとおり確かにピンと来ないかも・・・。
それは、ニュースで聞く何千人、何万人の方が亡くなったと示される死者の数よりも、○○さんという方がこんなふうに亡くなられたと聞かされる方がズシンと心に響いてくるのに似てるかも。
経典には「恒河沙(ガンジス河の砂)の数」とよく出て来るけれど、この具体的な数を示されると、「は~」とため息。
でも、この詩は、いのちは「ありがたい(有り難い)」もの、ということをよく示している。
大事なことは、
何のために生まれて、何をして生きるのか (『アンパンマンのマーチ』より)
本願力にあひぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし
せっかく出遇えた今のご縁を大切に。
ようこそのお参りでした。
10月9日(木)
今日は中央仏教学院の卒業生が、「芸轍をたずねる旅」と題して、石泉文庫の見学に。
50名近くの方が、安芸のお寺を3ヶ寺訪れるそうで、専徳寺は2ヶ寺目。
讃仏偈のおつとめの後、石泉文庫の由来等30分ほどお話させていただく。
そのあと、石泉文庫、住蓮寺と案内してお見送り。
みなさん、薄暗い石泉文庫の2階に上がってぎっしりと詰まった書庫を見ると、「わー・・・」っとの声。
江戸時代よりずっと受け継がれていることが伝わったよう。
青空のもと、ようこそのお参りでした。
10月8日(水)
今夜は仏教壮年会の例会で、報恩講。
お饅頭のお供えをし、そのあとお下がりとしてみなさんに。
ちょうど皆既月食にあたるため、今夜のテーマは“月”。
月といえば、お釈迦さまの前生の話としてジャータカに現れる月のうさぎ。
日本には、飛鳥時代に天寿国繍帳、平安時代に『今昔物語集』などに現れ、とても馴染みのある話。
そして、『涅槃経』に説かれるアジャセ王のためにお釈迦さまが月愛三昧に入られる話。
正信偈をおつとめした後、詳しく話していたら皆既月食が見られなくなるので、かいつまんで話をし、後は帰ってゆっくり読んでくださいと、プリントにして配る。
法然聖人の、
月影のいたらぬ里はなけれども ながむる人のこころにぞすむ
毎日月を眺めてる人は少ない。
それでも、今日のように皆既月食だからと月を眺める人もいる。
「皆既月食だからって何?」と、無関心な人もいる。
阿弥陀さまの光が届いてるといっても、それに気づかない人、無関心な人、いろいろ。
今日くらいは、月を一人で見るもよし、二人で見るもよし、家族で見るもよし、それがご縁となればと、早々と例会を切り上げる。
みんながいなくなった境内で、息子と一緒に月を観る。
本堂の向拝から東の空を見ると、ちょうど親鸞聖人像の傘の上に赤い月。
それがだんだんと明るくなって・・・。
みんなにやさしい光が届いてる。
10月6日(月)
心配された台風は、朝にはおさまって。
今年は月曜日が慌ただしくなったため、小学校の読み聞かせは休ませていただくことにしていたが、人手が足らないからと声をかけられ、何とか朝の30分、万障繰り合わせて復帰することに。
今日の担当は6年生。
読んだ本は、オーストラリアの『ぶたばあちゃん』。
『ぶたばあちゃん』と題名を紹介すると、クスっと笑いが起こったが、この本のテーマはいつも一緒に過ごしていた“ぶたばあちゃん”と“まごむすめ”の迎えた最期の時間。
重いテーマの中に、ぶたばあちゃんとまごむすめのあたたかい物語。
こうした最期を誰もが望むのかも知れないけれど、なかなかこんな別れは・・・・。
でも、ぶたばあちゃんが最後の「ごちそう」と散歩に出かけ、まごむすめと一緒にいつも見ている光景を、「ごらん!」「ごらん!」と、
こころゆくまで、ながめ、耳をかたむけ、においをかぎ、すべてを味わうことができたのです。
いつ最期を迎えても良いように、普段から目の前にあること、些細なことでもきれいだな、ありがたいなと感じられると良いだろうな。
6年生にはどんなふうに映ったか分からないけど、まごむすめのようなやさしい心で。