専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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5月6日(月)
ゴールデンウィークもようやく最終日。
法事・法事・葬式・・と、毎日毎日よく続いた。
アベノミクス、アベノミクスと毎日のようにニュースで取りあげられるから、さぞかし景気も良く、皆さんゴールデンウィークはよそへとお出かけかと思ったが、一族そろって法事のご縁にあわれる方々が多く、大変有り難いことではあったが、さすがにこちらは疲れ気味。
法事では、GWの話から、「今でしょ!」というCMで流行っている話を交え、今このご縁にあうことの大切さについて。
今日も昼過ぎまで法事をつとめ、2時から仏教壮年会の境内清掃。
法務ばかりで家族サービスも出来ないため、子どもたちは妻と実家へ里帰り。
昨日帰ってきて、今日は清掃のお手伝い。
2人ともこちらが頼んだわけではないが、1時間ほどしっかりと。
休みでお疲れのところ、会員の皆さま、ご苦労さまでした。
4月30日(火)
ゴールデンウィークも前半の連休が終わった。
世のなかはゴールデンウィークでも、お寺にとっては“L”と”D”が抜けて“Goen Week” (ご縁週間)。
連休中は連日法事。
行楽日和にもかかわらず、遠近各地より一族が集って法事を営む。
目先の楽しみも良いけれど、こうして法事のご縁にあって、いのちのつながり、自分のいのちの有り難さに気づくことを大切にされているのはありがたい。
昨日は法事が終わって、つかの間の家族サービスで呉ポートピアへ。
今夜もいろいろと報告が。
そのなかで、
このたび、本山両堂等における脇壇・余間の呼称が変更されたことに伴い、これより宗門の寺院本堂等における脇壇・余間は、御本尊より見て左右と呼称することとなったので、この旨告知する。
という宗告が。
仏さまの眼。私の眼。
向かい合った時はどちらが中心かで左右があべこべに。
並んでしまえば、同じなんだけど。
ふと、そんなことを思う。
明日から5月。
4月26日(金)
今夜は広の善通寺にて我聞会の例会。
『蓮如上人御一代記聞書』の輪読は、前回から繰り越しの(140)(141)と(142)(143)。
今夜私が担当したのは、(142)と(143)。
この条からはしばらく、蓮如上人が本願寺を再興されたことについて。
たまたま蓮如上人が本願寺を再興したのではなく、15歳の頃に志を持ち、御苦労されながら成し遂げ、そしてお亡くなりになられる前、この再興は冥加(みょうが/目に見えない仏のおはたらき)によるものだと御述懐されたとのこと。
御自讃ありと云々
ある一本には「御自讃」が「御自証」とあると、『蓮如上人御一代記聞書講話』(安国淡雲著)に。
最後をふり返って自らお褒めになったのか?、それとも、これに間違いないということでおっしゃられたのか?意見が分かれるところであった。
法話では、東海地方に伝わる涙汁というお葬式に振る舞われるお汁の話を聞かせていただく。
地方によっていろいろあるようだが、その後、それぞれに話を伺うと、いろいろとお寺によって違うことも多く、これだけ近い間でも、へ~っと初めて知ることも。
初めて知って、当然のことのようにしていたことをふり返る。
今日は満月。
ちょうど終わった頃に顔を出す。
4月24日(水)
今日は、とある葬儀会館にて葬式。
控え室で、ふと変わった置物に目がとまる。
麒麟のような動物のこの置物、近づいて見ると「香時計」と書いてある。
お線香で時を計る。
法事はともかく、次々とまわる報恩講参りでは、お線香やロウソクで時間が分かる。
ただ、慣れてくるとそんな道具を使わなくても、お経の速度、からだの感覚で大体の時間は分かってくる。
「香時計」と調べてみると、正倉院にも香時計があるそうで、しかも文字盤は古代インド文字。
仏教とともに渡ってきたみたい。
仏教とともに渡ってきたものは数え切れないほどあるだろう。
たわいのないことであっても、こうして仏教とともに渡ってきたものを知ると、何だかこころがホッと。
これもご縁かな。