専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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2月21日(木)
今日は、川尻の光明寺にて呉東組若婦人連続研修会。
年に3回開かれる呉東組独自の連続研修会。
昨年の6月が第1回。10月が第2回。そして、今回が最終の第3回目研修会。
我聞会がそれぞれ担当し、第3回を終えた方には修了証が手渡される。
この修了証も通番号が1000号を超え、これまでにたくさんの方がご縁に。
今日も30名あまりの方が参加。
午前中、法話、グループディスカッション。
そして昼食を挟み、そのディスカッションのまとめがあった後、最後に「質問に答えて」。
今回の研修会では、「質問に答えて」を担当させていただく。
質問用紙を配り、皆さんに質問を書いていただいたが、仏事作法のことから、いろんなことまで・・・。
聖典を開く前に、頭を近づける仕草?をされますが、どういう意味があるのですか?
とか、
座布団に座ったとき、お経本はどこに置いたら良いですか?
といった仏事作法に関する質問。
それとか、
「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」と、どんなときでも最後に必ずこれをあげられるのは意味がありますか?
といった質問から、
お寺の門徒を変わることが出来ますか?
といったさまざまな質問をいただき、それぞれ簡単にではあるが、お答えさせていただいた。
こうした質問をいただくことによって、こちらも気づかせていただくことも多いので、気軽にお寺へ質問されたら良いですよ、とまとめさせていただく。
こうした研修会に参加することによって、仏教、お寺が身近なものとなり、それをまわりに伝えていただければ。
帰宅すると、『本願寺新報』2月20日号が届いていた。
「読者の広場」のコーナーに

市川総代長の投稿した昨年の報恩講前のおみがきの様子が紹介されていた。
お寺が一方的に発信するだけでなく、門信徒の方が発信する力の大切さ。
そんなことを感じさせていただくご縁をいただいた。
2月19日(火)
今日は灰ヶ峰が雪化粧するほど寒い一日。
今夜は阿賀の西光寺にて我聞会の例会。
『蓮如上人御一代記聞書』(138)(139)の輪読。
(138)では、仏・神に馴れてしまうと横着になり、粗雑になるということを戒めるおことば。
「馴れ」と「慣れ」
「馴れ」と「慣れ」は少し意味が異なる。
人間、「慣れ」がなければ生きてはいけない。
過去の経験から未来を予測して今を生きている。
ただ、今まで元気だから、明日も明後日も1ヶ月後も1年後も10年後も恐らく大丈夫。
そう思って、いろいろと予定を立てている。
「慣れ」なければ生きていけないが、生きているのに「馴れ」てしまうと、いのちをありがたく感じなくなってしまう。
生きているのが当たり前。
ではなく、当たり前のように生きている、生かされていると気づくことが大切なのかと。
そんなことを感じさせていただいた。
それから、法話では「泣いた赤鬼」を題材に聞かせていただく。
「泣いた赤鬼」
幼少の頃、昨年取り壊されてしまった呉市民会館で、藤城清治氏の影絵劇『泣いた赤鬼』を観に連れて行ってもらったのを思い出す。
赤鬼の願いを知り、赤鬼のために悪者となった青鬼。
そんな青鬼の姿に阿弥陀さまを重ねて話をされたが、それについて後ほど「青鬼=阿弥陀如来」は少し違うのでは?と指摘が。
赤鬼の願いがあって、それに対して青鬼が願いをかなえた。
でも、阿弥陀さまの願いは、凡夫の願いよりも先・・・と。
なるほど・・・とは聞かせていただくが、阿弥陀さまの願いは、不可称・不可説・不可思議といいながら、私たちのはからいの世界でしか語ることが出来ない。
それが出来ないということに気づかせていただくのも、大切なご縁なのかな。
2月15日(金)
今日は雨がぱらつく涅槃会。
お釈迦さまが亡くなられた日。
仏弟子として、お釈迦さまの生涯を偲ばせていただく。
午前中、婦人会の新年会が開かれたが、急な法務のため不在。
先の日曜日がダーナの日。
その日にちなんで募金活動をしていただいた。
これらの募金は呉東組仏教婦人会連盟を通して、いろんなところへ役立てていただくことに。
それから、先日石泉文庫を見学に来た広南小学校の3年生から感想文をいただいた。
3年生は、地域のことをいろいろと学んでいるようで、自分たちの住んでいる長浜・小坪の地域に大変関心を示している。
そして、それを伝えている地域の先輩方にありがとうの気持ち。
それにしても、みんな字がきれいに。
黙霖さんもさらさらときれいな字。
きれいに字を書くこと。
それはある意味ダーナ。
ダーナとは、インドのことばで「布施」を意味する。
「布施」とは、慈悲の心をもって、相手にほどこすこと。
相手を敬い、思いやりの心をもって何かをすることすべてが布施。
読む相手を思い、読みやすい字でていねいに書くことも布施。
相手を思い、やさしいことばをかけるのも布施。
相手を思い、にこやかな笑顔で接するのも布施。
世のなかにはいろんな布施(ダーナ)がある。
涅槃会に、いろんなことを感じるご縁をいただいた。
みんなの心にありがとう。
2月9日(土)
広島県立体育館の武道場にて、五色百人一首の広島県大会が開かれ、広南小学校から6名が出場。
残念ながら、このたびは1人も予選突破とならなかった。
長男も昨年に続き挑戦したが、昨年よりも歯が立たない状態で敗退。
また、他校から出場していた児童の親御さんの話を聞いていると、望む姿勢が全然違うと感じた。
そんな終わり方にショックを受けて、次はもう諦めるかな?と思っていたら、「強い人のを見てみたい」と、決勝トーナメントを自分から進んで見ていた。
負けても、そうした姿に親として成長を感じた。
そして、夜は仏教壮年会の役員会。
次年度に向けての話し合い。
仏教壮年会法座をどのようにするか。
どこのお寺もそんな話をよく聞くが、お参りがだんだんと減ってきている。
それで、次年度は法座をするか、それとも人が集まって、それをご縁にすることのできるような行事をするか。
そんな話が出たときに、役員の方から、何があっても「法座」は続けてやって欲しいとの意見が出た。
その意見を聞かせていただいて、まだまだ大丈夫と感じさせていただく。
肝心なのは、結果でなく、その結果を受けて次に向かってどう動くか。
そんなことを感じる一日となった。
2月8日(金)
先日の緩んだ気候で、境内のボケの花が咲き始めたが、寒さも戻り、今夜は特別寒く感じる。
先日、広南小学校の3年生に見せた資料をもとに、宇都宮黙霖の話をする。
実は宇都宮黙霖の生誕200年が11年先。
そして、その翌年が石泉僧叡和上の200回忌。
この記念すべき年に向けて、専徳寺のみならず、長浜、広、呉、広島・・・と、大きくひろげていくことも大切かと。
大変ドラマティックな人生を歩まれ、世のなかに大きな影響を与えているのに、あまり歴史の表舞台には現れてこない。
この2人が、時代のなかで、何を求め、どう生き抜かれたか。
一昨年から専徳寺の仏教壮年会は、蒲刈の弘願寺仏教壮年会と交流。
弘願寺は石泉塾の名簿の最後に書かれている「円識」和上の寺。
そして、黙霖はその円識に学ぶ。
後に黙霖は、わんぱくな少年時代に勉強の基礎を教えてくれた専徳寺住職の常諦。儒学を教わった野坂由節、仏教を教わった円識。この3人を師匠として名を挙げ、それ以外は石泉文庫のたくさんの書物に教わったと述べたそう。
この2人のことをいろんな形で取り上げていければ、そこからいろんなご縁が生まれそう。