専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
TEL.0823-71-7926
〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
6月11日(月)
読み聞かせを終え、明日からの法座の準備。
夏用の打敷を掛ける。
広南小学校の3年生が、社会科の授業で長浜を探検中、専徳寺を訪れる。
避難場所にもなっているので、その確認をした後、お寺を見て回る。
長浜の子どもたちは、ここで遊んだり、日曜学校に行ったりと、お寺のことは少しくらい知っていても、小坪の子どもたちはほとんどがお寺初体験。
「どうして、黒板があるんですか?」
「仏さまの教えを先生が来て教えてくれたりするからですよ。」「これは何ですか?」
「これは鐘を叩く道具です。」
「何でこんなに大きいんです?」「毎日ここに通ってるんですか?」
「ここに住んでるんです。」
「ここ(本堂)で寝てるんですか?!」
「・・・・。」「ここには神様がいるんですか?」
「神様でなく、仏さまですよ。」
「ふ~ん、仏さま・・・。って、仏さまって何?」
「・・・・。」
と、こんなまじめで面白いやりとりがいろいろ。
今どき、お寺のことは分からないっていうのが一般的なのだと改めて感じる。
そして、午後から広島別院の安芸教区総講習会に。
ここでの質問を聞いていると、子どもたちの質問は何と純粋でストレートなのだろうと・・・。
明日から仏教婦人会法座。
お誘いあわせてお参りを。
6月11日(月)
今日は広南小学校の読み聞かせ。
読み聞かせをはじめて3回目。今回は5年生を担当。
1、2年生には、友だち、相手を思うこころ、そんなテーマの本を選んでみたが、高学年には“いのち”の話。
いのちのいれもの
この本は、旭山動物園を日本一の動物園にした元名誉園長 小菅正夫氏の書かれた本で、亡くなったアムールトラの“いち”を通して、いのちのつながりは40億年も前から続いているいのちであること。
そして、そのいのちを最後まで投げ捨てず、かがやいて生き抜いてきたことが説かれている。
最後まで、静かに聞き入ってくれた。
それから、先週ホタルの話を2年生に読んだが、見たことのない児童が多かった。
息子も見たことがないので、一度見せてやりたいと取り寄せた。
呉でホタルが見られるのは、本庄水源地と安浦の野呂川ダム周辺。
ただ、なかなか見に行くことも難しく、また保護されていたりするので捕ることはできない。
それで、いろいろと調べてお取り寄せ。
読み聞かせに行くついで、校長先生に預け、ご無理をいって全教室をまわっていただく。
ゲンジボタルは、幼虫の頃はカワニナという貝を食べるが、さなぎを経て成虫になると、水だけでその短い一生を終える。
光り輝いて生きるいのち。
そのいのちを通して何かを感じてくれたら。
6月10日(日)
梅雨入りしたものの、今日は夏日。
世の中はクールビズ、最近はスーパークールビズということばまで出てきているが、衣には関係なし。
襦袢に白衣に衣。少なくとも3枚重ね。
最近はいろいろと改良された生地が使われているので、少しは良くなっているが、それでも汗だく。
体調管理に気をつけて、この暑い夏を乗り切らねば。
今夜は広の善通寺にて若手僧侶の勉強会“我聞会”。
『蓮如上人御一代記聞書』の(125)(126)を輪読。
今日は私が担当。
(125)は、蓮如上人が亡くなるほんの少し前の話。
病床の蓮如上人が、弟子の敬聞坊に自ら書いた『御文章』を読ませ、「自分の書いたものではあるが、本当にありがたい」とおっしゃられたという話。
これを読んですぐに浮かんだのが、甲斐和里子さんの
み仏のみ名を称えるわが声は、わが声ながら尊かりけり
自分がしていることだけれども、させられているというか、させていただいている。
にじみ出る信仰のお味わいの世界。
法話では、摩訶薩埵の捨身と天草の耳四郎の話を聞かせていただく。
摩訶薩埵の話は、法隆寺の玉虫厨子に描かれている捨身飼虎図で有名な話。
天草の耳四郎は、法然聖人と盗人耳四郎の話。
聞かせていただく。
人から聞かせていただくことは、その人の説き方によってまた違う。
それも、また面白い。
明日は朝から読み聞かせ。
6月8日(金)
今日、梅雨入り。
朝から雨がシトシト
。
親鸞聖人像の前のアジサイも雨に濡れて、生き生きと。
今回のテーマは『生き抜く』。
先日亡くなられた新藤兼人映画監督の「生きている限り 生き抜く」のことばを受けて、「生き抜く」をテーマに話を進めた。
本願寺の春の法要(立教開宗記念法要)でされたご門主さまのご法話(ご教示)のなかで、
昨年、2011年は、宗門、本願寺にとっては750回大遠忌法要の年として特別の意味を持っていますが、日本の国全体を見るとき、東日本大震災の年となるでしょう。
50年に一度の得難いご縁に遇えると、いささか心弾んでいた私でしたが、災害の大きさに戸惑うばかりでした。しかし、身を引き締めて大遠忌法要をおつとめしていますと、親鸞聖人の時代は今以上に天災地変の続いていたことがわかり、親鸞聖人の教えは、そのような中を生き抜かれたご体験に即している、と感じるようになりました。
と、「生き抜かれたご体験」とおっしゃられた。
『方丈記』にも登場する大火・竜巻・大地震、そして政治の混迷。
今と似たように感じる時代だが、なかでも養和の飢饉では、京都市内だけで42,300名の方が亡くなったそう。(東日本大震災15,861名)
しかも、
築地のつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬもののたぐひ、数も知らず。取り捨つるわざも知らねば、くさき香世界にみち満ちて、変わりゆくかたちありさま、目もあてられぬ事多かり。 (方丈記)
と、大変な時代のなかで生き抜かれた。
先日、お参り先で、「東日本大震災で15,000名を超える方が亡くなったのを、お釈迦さまだったら何とおっしゃったでしょう?」と尋ねられた。
何とおっしゃられるかは分からないけど、次のようにその時は答えた。
「お釈迦さまは諸行無常とおっしゃっておられるけれど、恐らく、それよりも残されたものがこれをご縁にどう生きていくか。それを問われるのではないでしょうか」と答えた。
「生きている限り 生き抜く」
限りのあるいのちを生き抜くと、そのいのちは輝いている。
足もとの悪いなか、ようこそのお参りでした。
6月4日(月)
今朝、広南小学校の読み聞かせ2回目。
今日は2年生を担当。
今日読んだ本は、『とべないほたる』。
教室に向かうと、グランドで遊んで汗だくになった児童たち。
席について、本を見せると、
「読んだことがある!」
と。
尋ねると、3分の1くらい知っていた。
この本の原作者は小学校の先生をされていた小沢昭巳氏。
「いじめをなくそう」と、学級新聞にホタルの童話を書いたのがきっかけだそう。
ひとりぼっち じゃないって、
なんて すてきな ことだろう!
読み終えて、「ホタルを見たことがある?」と尋ねると、テレビで見たことがあるくらいで、ほとんど実際には見たことがないと答える。
私の小さい頃、時々庭にも姿を見せることがあった。
昨日、タヌキを見ましたって話したら、「えー!」と驚きの声。
そして、「ぼくは山でキジを見ました!」と答えてくれる。
身近なところでふれるいのち。
いろんなことをそこから学んで欲しい。
来週は5年生。