専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
TEL.0823-71-7926
〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
三連休に法事が重なり、喉を痛めてしまった。
喉の乾燥には気をつけているが、毎年一度は痛めてしまう。
今日は午後3時30分よりクレイトンベイホテルで、同朋運動推進僧侶研修会が開かれた。
この研修会は毎年行われているが、今年は初めて隣の安芸南組と一緒に行われた。

このたびの安芸教区のテーマは『差別の現実に向き合う』 「ご法義が大切」ということの意味。
なかなか難しいテーマであるが、この研修会は“気づき”と“学び”の場であると。
昨夜、予習を兼ねていろいろと調べてみた。
俳優の故 植木等さんの父、植木徹誠さんが「自分は部落民ではないと思うことが、すでに相手を差別していることだ」と言って、水平運動に参加されたと知った。
親鸞聖人が、
れうし・あき人、さまざまのものは、みな、いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり。(『唯信鈔文意』)
と、決して「かれら」でなく、「われら」とおっしゃられていることに私たちは学んでいかなければならない。
2月15日は涅槃会(ねはんえ)。
お釈迦様がお亡くなりになった日だが、旧暦であるため、3月15日にするところもある。
京都の禅宗の寺院で、大きな涅槃図を掲げているのをよく見に行ったものだ。また、嵯峨野にある浄土宗の清涼寺では、大きなたいまつを燃やすお松明式が3月15日に行われる。

これはお釈迦様を荼毘に付す様子を表しているそうだが、古来よりその燃え方でその年の稲の吉凶を占っていたのだそう。五山の送り火、鞍馬の火祭と並び、京都の三大火祭に数えられている。
浄土真宗では、特別涅槃会をつとめないが、蓮如上人は『御文章』二帖第四通の結びに、
文明六、二月十五日の夜、大聖世尊(釈尊)入滅の昔をおもひいでて、灯の下において老眼を拭ひ筆を染めをはりぬ。
と記している。
得度して法名に「釋」の一字をいただいた者として、この日は釈尊入滅をしのぶ大切なご縁である。
伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)
『果蔬涅槃図(かそうねはんず)』
(京都国立博物館蔵)
今日はダーナの日。
昭和40(1965)年5月、ニューヨークで開かれた第2回世界仏教婦人会大会で、「よろこんでほどこしをしましょう」と、浄土真宗本願寺派世界仏教婦人会連盟が、毎年2月の第2日曜日をダーナの日と定め、全国の仏教婦人会が足並みをそろえ、ほどこし(募金活動)をすることになった。
専徳寺も仏教婦人会の皆さんのご協力で、毎年募金活動を行っている。
ダーナとは古代インドの言葉で、「布施」を意味する。
昨年2月、呉東組の若婦人仏教連続研修会で、グループディスカッションを担当した。
「仏教婦人会会員として何ができるか」と題し、ダーナのこと、「無財の七施」(何もなくてもできる施し)のことを簡単に説明し、それをもとにディスカッションしていただいた。

最初に無地のハガキ用紙両面に印刷した資料を配る。
実は、この資料がそのままグループ分け、司会、まとめの発表者を決めるものとなっている。
ダーナのタイトル部分を緑・青・赤・黄に色分けしたもの作り、それを裏返したまま配る。そして、それぞれ自分のもらった紙の色で4班に分けた。
そ
のあと、グループごとに自由に座ってもらったところで、「実は、各色のタイトルのところに1枚だけ仏さまの絵が入ってます」と、その方に手を挙げてもら
う。その方は渋々手を挙げるが、その仏さまの左に座っている人が司会、右に座っている人が発表者というと、一気に場が盛り上がる。
なかなか、この方法は評判が良かった。そのせいかどうかは定かでないが、熱心にディスカッションが行われた。
そして、最後に班ごとにまとめの発表をしていただいたが、一番印象に残っているのは、
無財の七施をみんなで一つ一つこんなことを言うのかなぁと確認をしていると、日頃出来ていないということに気づかされました。
こんな答えが返ってきた。「気づかされる」、これは大切なことだと思う。
親鸞聖人は、自らの信心をいただいたら、今度は「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と願うばかりだと手紙の中でおっしゃられた。
自らが如来の大悲にいだかれたら、今度は世のなかのことに目を向けさせていただこう。できることからさせていただこうというのが、「ダーナの日」である。
願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国
(願うことなら、この仏さまの功徳をもって、平等にみんなに施され、同じように浄土に生まれたいとの心をもち、浄土へ一緒に往生させていただきましょう。)
毎月8日は仏教壮年会の例会。久しぶりの雨。
夜7時30分からはじまり、正信偈を読誦した後、住職の話。
今はテキストを用いず、その都度プリントを用意して話をしている。
今日のタイトルは「鬼は外」
「鬼」と聞くと、誰もが赤鬼・青鬼といった2本の角に虎皮のパンツ姿を思い浮かべると思う。でも、その鬼はどこから生まれたのだろう。
その鬼の由来、「鬼門」の話、親鸞聖人の『教行信証』化身土文類の外教釈に見られる「鬼」、そして最後に「鬼の自覚」と題して、大谷派の曽我量深、妙好人浅原才市の話をする。
おには~そと~!鬼が外から来るのを追い払おう!ではなく、鬼がいるのは私の心。その心を知った時、お念仏の世界が開けてくる。