専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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5月20日(水)
昨日の午前中につぶ山からホトトギスの声が一瞬聞こえたような気がしたが、その後聞こえなかったので、聞き違ったかな?と思っていたら、暗い暗い明け方から、ホトトギスの声が聞こえてきた。
卯の花の 匂う垣根に
時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ
今年の忍び音も聞こえてきて、いよいよ夏かな。
ホトトギスの聞きなしは、「テッペンカケタカ(天辺欠けたか)」とか「トッキョキョカキョク(特許許可局)」。
「特許許可局」は、戦後。
「天辺欠けたか」は、江戸時代後期。
その前は、「本尊掛けたか」だったと。
「御本尊」、ご家庭に迎えましょうとのご催促。
今日は青空いっぱいの下、広南学園運動会の予行演習。
5月19日(火)
雨が上がり、今朝は9時から仏教壮年会のみなさんと境内清掃。
先週の火曜日に行われる予定が、台風接近とのニュースで早々に延期が決定。
今朝もどうなるかと思ったけれど、雨も上がり・・・。
おかげで、今週末の初参式、そして来週からの永代経法要を前にきれいに。
お疲れさまでした。
夜は、我聞会の例会が浄徳寺にて。
今日の輪読は、『蓮如上人御一代記聞書』(184)(185)。
「信心をいただいたからには、それほど悪いことはしないはずである」と、「仏法は簡潔に分かりやすく」との話。
信心をいただいたら、悪いことをしなくなるという話ではない。縁さえととのえば、どうにでもなってしまうのが私の心。
でも、仏さまの大きな願いを知ったら、少しでもつつしむこころが持てるかな。
つつしむ・・・慎・・・
「まことのこころ」をいただき、まことの姿に気づかされ、「いつわりのないこころ」を。
法話は、「鏡」の話から「聴聞」の話を聞かせていただく。
昨日の『中国新聞』洗心欄に先日の西光寺住職継職法要が。

広島雅楽会のことを紹介した記事だが、そこにも紹介された親鸞聖人の『浄土和讃』、
清風宝樹をふくときは
いつつの音声いだしつつ
宮商和して自然なり
清浄薫を礼すべし
お浄土では、不協和音となるような音でも、とってもすてきなハーモニーを奏でているんですよと。
そんな仏さまのこころを知ると、少しくらいやさしくなれるかな。
5月18日(月)
今朝は広南小学校読み聞かせ。
教室に向かう階段を昇っていると、後ろから一人の男子に呼び止められ、
「今日は何年生の読み聞かせですか?」
「3年生です。」
「やった―!どんな本を読むんですか?」
「ちょっと、怖い話かな。」
「じごくのそうべえ?おにろく?」
「う~ん、おしいけど、ちがうかな。」
今日、読んだのは、『えんまのはいしゃ』。
前々回、『ぼくのジィちゃん』を6年生で読んだ。
1年生の次男が「今日は何の本を読んだ?」と聞くので、家でも読み聞かせ。
すると、すっかり気に入ったみたいで、あれから何度も・・・。
その作者がくすのきしげのりさん。
今日はそのくすのきさんの『えんまのはいしゃ』。
読む前に「虫歯のある人?」と尋ねると、半分くらい手があがる。
そして、「何でそんなこと聞くの?」と。
今日の話は虫歯のはなし。
将棋ばかりしていい加減な治療ばかりしていた自称「てんかいちのはいしゃ」。
そのほらふき歯医者と閻魔さまや鬼たちとの痛そうな、それでいてコミカルな話。
最後には、鬼も閻魔さまも歯みがきを。
くすのきさんは、「心豊かに生きる」というテーマで、「徳育」を中心とした教育活動をされているのだとか。
隣の4年生教室では、坊守が『ぼくのジィちゃん』を。
隣からドッと笑いが起こったのは、ジィちゃんの「ゴッ!」のシーンだな。
楽しみにしてくれている子がいると分かると、次は何にしようかなと・・・。
5月17日(日)
今朝の中国新聞朝刊、呉・東広島版。

広南小学校で、給食の調理で出る野菜くずを肥料にした土作りの紹介が。
午後から小坪自治会主催の薬師堂祭へ。
薬師堂で祭といっても、つぶ山の山頂付近にある小さなお堂には、薬師如来の小さな絵像の前に木造の阿弥陀さま。その堂内で正信偈のおつとめ。
お堂は導師一人が入れるくらいなので、小坪から登って来られたみなさんは、青空のもと敷物を敷いて一緒におつとめ。
ウグイスの声がとっても美しく響く山の中で。
そして、御文章の拝読と、少し法話。
年に一度、宗祖降誕会に近い頃に開かれるこの祭。
「出和雅音(すいわげおん)」
小鳥のさえずりの中で法話することは滅多にないので、『阿弥陀経』に出て来る浄土の鳥たちのことをふと・・・。
夜は総代会。
来月開かれる門信徒世話係総会に向けて。
いろいろとお世話になります。
5月11日(月)
今日は午後から呉東組聞名講が、当山専徳寺にて。
正信偈のおつとめの後、昨年度で辞められた前講長に本願寺からの感謝状、新講長と新役員には委任状が手渡される。
そして、御消息を拝読し、称名寺様の法話。

御示談では、前回より役員のみなさんが御示談を進行しやすいようにと、アンケートを始まる前に採ってくださったのと、質問用紙に書かれた一つの質問から。
質問は、「不可称不可説不可思議について説明お願いします」
アンケートは、『浄土真宗 必携』をもとに、
「名号」「信心」「念仏」の浄土真宗の教えで何が大事ですか?
1、お名号によってすくわれる。
2、信心一つでお浄土に生まれる。
3、ただ念仏のみぞまこと。
4、すべて本質は同じく本願力。
まず、不可称不可説不可思議。
『高僧和讃』には、
五濁悪世の衆生の 選択本願信ずれば
不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり
『正像末和讃』には、
五濁悪世の有情の 選択本願信ずれば
不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり
と、「衆生」と「有情」を置き換えただけのご和讃がある。
たたえることも、説明することも、思うこともできないほどの大きな大きな阿弥陀さまの功徳を表しているので、これも語り尽くすことが出来ないし、納得いく説明は・・・。
でも、それほどの大きな願いをいただいてるのだと思うばかり。
アンケートは、回答19名で、1が9名、2が13名、3が8名、4が11名だったそう。
まんべんなく、複数回答される方が多かったよう。
答えはどれか一つではなく、名号も信心も念仏も本願力も、もとはひとつの「南無阿弥陀仏」とのお話。
いつもなら、この後質問は出て来ないのだが、今日はそのあと2つも。
本山のお晨朝で、『御文章』の「易往而無人章」が拝読されたけど、「易往而無人」とはどのような意味でしょう?との質問と、毎朝1時間写経をしているのだけれど、次は何のお経をすれば良いでしょうとの質問。
いろいろとそれぞれにご法義をよろこばれているようで。
ようこそのお参りでした。