11月27日(木)
長浜の通り報恩講がはじまり、東地区、胡子地区をお参り中。
今年はまだまだ暖かい。
それでも、みなさん気を遣ってストーブを近づけてくださり、玄関を出る頃にはぽっかぽか。
今夜は称名寺にて我聞会例会。
輪読の『蓮如上人御一代記聞書』は(174)(175)。
おどろかすかひこそなけれ村雀
耳なれぬればなるこにぞのる
(群がる雀を驚かして追い払う鳴子の音も、今では効き目がなくなった。耳なれした雀たちは、平気で鳴子に乗っている。)
本願寺『蓮如上人御一代記聞書(現代語訳)』より
この歌を蓮如上人がお引きになって、「人はみな耳なれ雀になっている」とおっしゃられたと。
「お引きになって」ということだから、元の歌はどこから?という話になったが、これが見当たらない。
気になったので、帰って調べても・・・。
「道歌(どうか/道徳的、教訓的な短歌)」というものが古くからあり、親しまれていたようなので、そこから由来するのかな。
その道歌からたどり着いた、江戸時代の『以呂波教訓鑑』など見ると、これがなかなか面白い。(古文書ナビ)
また、
引き鳴らす 甲斐こそなけれ群雀 音聞き馴れて鳴子にぞ寄る
という歌もあるそう。
これは、古典落語『親子茶屋』に出て来るのだとか。
この御文は昔からよく聞いてはいたが、改めて見ると、ホント自分が「耳なれ雀」となっていたのだなと。
法話では、イチョウの落ち葉が自分に語りかけてくるというおばあちゃんの話より。
このイチョウの葉が散っていくのも、大きなご縁かな。