秋季彼岸会 2日目

9月25日(水)

昨夜に引き続いて秋季彼岸会。

朝席では、正信偈の話の前に、『教行信証』より。

「信頼」「信用」、それがなければ。。。

信頼・信用のない世界だと、すべてを疑い、穏やかな顔して生きてはいられない。

でも、今はその信頼・信用を利用した犯罪も多いこと。。。

よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。(歎異抄)

「正真の信」は、ただ念仏のみのお味わい。

  

朝席が終わり、法事を1件済ませ、広南中学校学校関係者評価委員会に出席。

久しぶりに各学年を参観し、いろいろと今年度のお話を。

来たる10月12日(土)。文化活動発表会を楽しみに。

 

昼席は、「正信念仏偈」のお題のこころ。

みんながみんな、〈自分が正しい〉と主張すると、ケンカになってしまうと。

夜席では、いよいよ正信偈の本題に入り、法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所。

どうして、私たちは迷い、悲しみ、苦しむのか。

それは、“こころ”があるからだと。

そんな中、「サザエさん症候群」というのを初めて聞いた。

日曜日の夕方、翌日(月曜日)からまた通学・通勤が始まることに対する不安や憂鬱から起こる症状だとか。

いろんなお悩みをそれぞれに。。。

如来の作願をたづぬれば
 苦悩の有情をすてずして
 回向を首としたまひて
 大悲心をば成就せり

 

ようこそのお参りでした。


2019年9月25日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

秋季彼岸会 1日目

9月24日(火)

心配された台風17号も過ぎ、今夜から秋季彼岸会。

夜になると、庭から聞こえてくるのは、コオロギやスズムシの大合唱。

このたびの御講師は、蒲刈 淨泉寺 東元晃慈師。
2度目のご縁。

親鸞聖人は、

ただ後世のことは、よき人にもあしきにも、おなじやうに生死出づべき道をば、ただ一すぢに仰せられ候ひし・・・ (恵信尼消息)

生死出づべき道を求め、法然聖人に出会い、そして浄土真宗を。

その浄土真宗を開かれたとされるのが、教行信証(草稿本)を著された元仁元年(1224)。御年52歳の時。(立教開宗)

今夜は親鸞聖人の御生涯を通して、「恩」のお味わい。

親鸞聖人も、私も、すべて生死(迷い)を。

そこから出づべき道を迷わぬように

お念仏。

 

ようこそのお参りでした。

 

2019年9月24日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

盂蘭盆会 3日目

8月21日(水)

昨夜はコオロギ、朝はセミの声。

昨日から珍しくミンミンゼミの声が螺山から聞こえてくる。

 

今日の朝席で盂蘭盆会、御満座。

今朝は「称名」のお話を。

称は御なをとなふるとなり、また称ははかりといふこころなり。(一念多念証文)

親鸞聖人は、「称」に〈となえる〉と〈はかり〉の2つの意味を示してくださった。
〈はかり〉
大きな声で称えようが、小さな声で称えようが、たくさん称えようが、阿弥陀さまの願いがそのまんま。

そして、法然聖人は、〈勝〉と〈易〉の二徳で。

 

その「称名」を大切にされたのが石泉僧叡和上。

朝席終了後、先月虫干し法座の時に雨でお返しできなかった石泉文庫の蔵書を御同行の皆さんと一緒に返す。

虫干し法座の時は小学生6年生が手伝ってくれたけど、今日は少人数なのでどうなるかとちょっと心配だったけど、何とか5往復ほど汗をかきかきゆっくりと。

すべてを運び終わったら、総代の方々を中心に、1階から文庫2階の書庫へとバケツリレーのように上げてゆく。

1時間ほどですべて完了。

心配された雨も上がり、今年も無事お返しすることが出来た。

皆さんの姿に昨夜の席の常行大悲の姿を。

〈なもあみだぶつ〉が輝いて。

 

ようこそのお参りでした。

 

 

 

2019年8月21日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

盂蘭盆会 2日目

8月20日(火)

今朝は雨。

昨日に引き続いて、盂蘭盆会。

朝席では、親の願いと子の願いから、阿弥陀さまの願いのお味わい。

朝席でご紹介のあった

十億の人に十億の母あらむも わが母にまさる母ありなむや

これは暁烏敏(あけがらす はや)の言葉だそう。

 

いろいろと聞かせていただきながら、ここ数日、テレビであおり運転の映像を何度も何度も観てきたことを、ふと。

仏さまのこころは怨親平等。

でも、私のこころは、、、親のこころは。。。

 

昼席は「聞」をテーマに。

至り届いていても、聞かせていただかないと分からないことばかり。

 

“お盆”も、地方によっていろいろ。

先日里帰りした坊守から、京都ではお盆に「お供物入れ 京都市」と書かれたダンボール箱がいっぱい並んでるのにビックリしたと。
そんなことも気になっていろいろ調べていたら、国立国会図書館デジタルコレクションで柳田邦男の『葬送習俗語彙』に行き当たった。

18ページ、

マクラガヘシ 能登地方では枕がへし。又オギョウギといふ名もある。死体の下肢を曲げて入棺に便ならしめる故に御行儀である。寝床には刃物を置き、逆さ屏風を立てまはし、所謂紙花(シカ)などを用意して僧の来るのを待つのである(珠洲郡誌)。安芸の佐伯郡などでは、僧侶の枕経のことを枕返しと謂って居る(葬号)。肥前島原地方のマクラゲシは、近所の者が寺へ知らせに行くことであった。息を引取ると同時に仏壇には香を焚き、米と若干の賽銭を持たせて、寺へ行って貰ふので、此使者を枕ゲシ持ちと謂ふから或はその米銭が枕ゲシであったのかも知れない。枕ゲシ持ちには死者の魂が附いて寺に行くといふので、相当に重要な役となって居る。途中人に逢っても物を言はず、人もよく是を察するといふ(同上)。

このあたりでは、臨終勤行を「枕返し」という。

よそでも同じ言葉で使うところもあったり、違う意味で使うところもあったり。ちなみに「枕返し」とググると、妖怪「枕返し」と。。。

 

夜席では、庭からコオロギの大合唱が聞こえてくる中でのお聴聞。


御利益の話より。

浄土真宗では、十種類の御利益を親鸞聖人はお示しになられた。(現生十益)

その中の、“入正定聚の益”と”常行大悲の益”についてお味わい。

目連尊者のお母さんは餓鬼道に。
そんなことになったら、気が気でないだろうけど、阿弥陀さまの願いの中にいるものは、みんなお浄土で会うことができる。

 

明日の朝で御満座。

朝席後に石泉文庫へ虫干しの時にお預かりしている蔵書を返す予定。

 

ようこそのお参りでした。

 

 

 

 

 

 

2019年8月20日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

盂蘭盆会 1日目

8月19日(月)

先日、NHK Eテレで放送された原爆投下から8年目の映画、「ひろしま」を。

その中に、盆灯籠の映像が。

何となく、今のと違った感じ。どこがどう違うのかは分からないけど。。。

台風も去り、お盆も一段落したところで、夜席から盂蘭盆会(うらぼんえ)。

御講師は、三原市本郷の西念寺 深水謙昭師。

3年ぶり、2度目のご縁。

まずは、『盂蘭盆経』のお話より、浄土真宗のお味わいを。

 

このあたりでは、迎え火や送り火もなく、お盆の風習といえばお墓に立つ色とりどりの盆灯籠。

盆参りは、初盆でもご依頼のあったお宅にお参りするくらい。

先日も、よその方に「お盆はお忙しいでしょう」と聞かれ、「それほどでも」。

「それじゃ、春と秋のお彼岸が」。「それほどでも。」

「このあたりは報恩講です」と。

 

お盆参りはそれほどないけれど、盆に家族がこちらへ帰って来られるからと、年回の御法事をこの時期にされるところが多くなった。

お盆をご縁に、私の姿を。

 

ようこそのお参りでした。

 

 

 

2019年8月19日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

石泉文庫虫干し法座 4日目

7月19日(金)

台風5号の影響もあり、昨日からの雨が少し弱まったけど今朝もシトシト。

朝席で御満座。

今朝は、「念仏は果報の変化を契機として心境の展開を行ふ」という大谷派の金子大栄の言葉よりお味わい。

 

朝席が終わっても、まだ雨。

今日石泉文庫へお返しできず、来月の盂蘭盆会に持ち越し。

しばらくは本堂右余間でお預かりすることに。

ようこそのお参りでした。

 

石泉文庫虫干し法座 3日目

7月18日(木)

今日も引き続いて石泉文庫虫干し法座。

朝、心配された雨はまだ。

今朝の「中国新聞」朝刊 呉・東広島版に昨日の虫干しの模様。

「本を大切に守ってほしいという昔からの願いがよく分かった」

と、昨日の小学生。
“願い”が伝わって、何だかホッと。

 

朝席では、クイズから。

部屋に窓が一つ。その部屋の真ん中に火のついたロウソクが1本ありました。その火がフッと消えました。その消えた原因は何でしょう?

「ロウソクが燃え尽きたから」
「風が吹いたから」

次々答えが出るけれど、どれも×。

正解は、「ロウソクに火がついていたから」。

そこから因果のお話を。

そして、その中で光の話。

光を私たちは見ることが出来ない。
光を感じることが出来るのは、そこに障害物があるからだと、地球物理学者 竹内均 博士の話にふとお念仏。

 

朝席が終わると、今日も昨日の残りの本を虫干し。

昨日は見かけなかった白い虫。

逃ぐるなり 紙魚(しみ)の中にも 親よ子よ (一茶)

シミが畳の上に落ちてチョロチョロと。

「殺生しちゃいけないんだけどね」と、ご門徒さんがつぶやきながら、ティッシュで。

いろんなご縁をいただく虫干し。

 
 
 
 
 
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7月18日 石泉文庫虫干し作業2日目。 昨日は広南小学校の6年生が手伝ってくれましたが、今日は少人数で。午後3時から片付けます。

浄土真宗本願寺派 嶺宿山 専徳寺さん(@sentokunet)がシェアした投稿 –

 

午後3時から後片付け。

ロープも外し、夜席の準備。

終わって廊下で涼んでいたら、雨がザーッと。
明日は恐らく無理かな。。。

 

夜席、さすがにロープがないと広々。

夕方から雨がきつくなってきて、法座はお参りが少ないかなと思ったが、皆さんお参りくださった。

雨音が激しいのに、庭からセミの声。
雨にも負けず、セミにも負けず、汗だくになりながらおつとめ。

そして、御法話でもセミの話が。

蟪蛄不識春秋伊虫豈知朱陽之節乎

これは、曇鸞大師の『往生論註』に出てくる言葉で、「蟪蛄(けいこ)春秋(しゅんじゅう)を識(し)らず、伊虫(いちゅう)あに朱陽(しゅよう)の節(せつ)を知らんや」と読む。

セミという虫は春とか秋を知らない。そんな虫が夏(朱陽の節)という季節をどうして知ることが出来るだろうという意味。

迷いの中にいると迷っていることも気づかない。
如来の光に照らされて、迷っていることにふと気づかされると。

 

明日の朝で御満座。 

雨のなか、足もとの悪い中をようこそのお参りでした。

 

石泉文庫虫干し法座 2日目

7月17日(水)

今朝、曇り。

昨日に引き続いて、石泉文庫虫干し法座。

朝席の開始と時同じく、石泉文庫では総代さんを中心として、2階から1階へと蔵書を下ろす作業が。

朝席では、絶対的創造主を肯定する宗教と否定する宗教があるというお話より。

私たちのみ教えは、如来に願うのではなく、如来の願いをお聞かせいただくとみ教えと。

 

 

朝席終了後、石泉文庫から専徳寺へと蔵書を運ぶ。

予定どおり、広南小学校6年生が来て運ぶ作業をお手伝い。

これまでお手伝いしてくださっていた方が、だんだんと高齢化が進み、運ぶ作業が難しくなってきたようで、若い助けは大助かり。

みんな汗だくになりながら何往復もして本を運び、大人に教わりながら、本の虫干しを。

そして、そのあと、プロジェクターを使って住職の話。

半日、この本堂で干し、午後3時に再び総代さんや仏教壮年会有志の方が集まって干した本の後片付け。

 

夜席は、方言の話より。

生まれつきの広島弁が染みついていても、関西にしばらくいると、関西弁にちょっと染まってしまう。仏教もインドからいろんなところをまわって日本に渡って来る間に、そこそこで染まりながら渡って来た。

位牌もそのひとつ。

 

明日の天気予報は雨。

それでも、朝席が終わると、予定どおり虫干し作業。

明後日、石泉文庫に返すのは台風接近に大雨予報で恐らく無理。

また、盂蘭盆会の時にお返しします。

 

ようこそのお参りでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年7月17日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku

石泉文庫虫干し法座 1日目

7月16日(火)

1週間ほど前から週間天気予報を何度も何度も見ては、今日を迎えた。

今日は晴天!

明日も予報では晴れ!

でも、その後が。。。

何はともあれ、石泉文庫虫干し法座が夜席から。

午後1時、総代さん、仏教壮年会有志の皆さんが集まって、本堂に虫干し用のロープ張り。

そして、夜席から法座。

このたびの御講師は、呉東組組長(そちょう)、川尻真光寺 寺西龍象師。

当山の法座にお越しいただくのは久しぶり。

昨年は豪雨災害のために中止となったため、2年ぶりにこのロープの下でのご縁。

夜席では、今から約2500年前、お釈迦さまが縁起や諸行無常・諸法無我というこの世界のありのままの真実をさとられたことに“仏教”は始まるのだけれど、そのさとりの内容をお説きになられた。ここに仏教の始まりがあるとのお話。

お釈迦さまはさとりを開かれたけれど、最初はそれを弘めることをためらわれた。それでも、梵天に勧められて法を説かれた。(梵天勧請)

分からない相手にも分かるように伝える。

応病与薬、対機説法。

 

明日は虫干しにお手伝いに来てくれる6年生に事前に質問をいただいている。

分からないことを何とか分かるように。

 

ようこそのお参りでした。

 

永代経法要 3日目

6月5日(水)

今朝、永代経法要御満座。

永代経とは、ティッシュペーパーのよう。

ボックスティッシュは、一枚とると、次のが出てくる。

紙と紙が重なり合って、摩擦によって次のが出てくる。

〈参考〉ののちゃんのDO科学「なぜティッシュは1枚ずつ取れる?」

前に生まれんものは 後を導き 後に生まれんひとは 前を訪え

今私の使うティッシュが、次に使う時のため、また、次に使う方のために今用意される。

今出遇えたこのご縁は、今と同時に次のご縁となって。

 

ようこそのお参りでした。

2019年6月5日 | カテゴリー : 法座 | 投稿者 : sentoku