11月3日(木)
今夜は安登の浄念寺にて呉東組法中会。
それほど大きな議案はなかったが、第1回ご縁の会の参加申し込みが現在のところ少ないとの報告。
第1回ということもあって、なかなか把握出来ていないこともあるのと、他の婚活パーティーと重なっていたりと。
いろんな意見も出ており、少し見直しも。
せっかくのご縁なので、少しでも良い方向に向かってくれればと思う。
今夜は時間もあったので、葬儀のあり方についてもいろんな意見交換が行われた。
いろんな方の意見を聞くのも、それぞれにうなずけた。
TEL.0823-71-7926
〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
10月25日(火)
今日は2時から専徳寺で、呉東組親鸞聖人鑽仰会の仏教講演会。
呉東組親鸞聖人鑽仰会の主な活動は、親鸞聖人の誕生日(5月21日)に、朝刊の折り込みチラシと一緒に合掌チラシ(法語)を各家庭に届けていただくことと、今日行われた仏教講演会。
その講演会に先立って、今年は総会も開かれた。
仏教講演会の御講師は、今年の1月に本願寺派司教となられた武田晋和上。
武田氏は大学院時代の先輩で、京都にいた頃はいろいろと親しくお付き合いさせていただき、ホームページもリンクさせていただいている。
そんなこともあり、このたびの講演会で講師に来られると聞いて、会場の立候補。
たくさんの方が聴聞された。
いろんな話を聞いたなかで、印象に残ったのは、日本人の国語力が落ちてきているという話。
その原因はコミュニケーション不足だそう。
相手の思いを知ろうとすれば、相手のことばを聞かなければいけない。
また、相手に思いを伝えようとするには、ことばで伝えなければならない。
それが、日本人には欠けてきているのだそう。
講演終了後、御講師を囲んで親睦会。
短い時間だったが、久しぶりの再会を楽しませていただいた。
10月20日(木)
今日から2日間、午前中横路地区の報恩講。
そして、午後から広の真光寺で、呉東組若婦人連続研修会。
我聞会がその担当に当たり、今年度は『アンケートに答えて』を担当。
研修会自体は10時から3時30分までで、そのなか、50分ほど話をする。
第1回目(6月)に書いていただいたアンケートのなか、
あなたは自分の“いのち”について考えたことがありますか?
という質問に、「はい」と答えた方がほとんど。
“はい”と答えた方、それはどんなことをきっかけとして?
という質問に、一番多かったのは、親の死・親族(友人)の死・主人の死など、身近な死。
それに次いで、病気をしたとき。
少数意見ではあったが、妊娠したとき、子どもを産んだとき、年を取ってというのもあった。
まさに、生・老・病・死の四苦である。
苦に直面したとき、人はいのちを見つめなおす。
今日、報恩講にお参りしたお宅で、「ちょっとだけお時間よろしいでしょうか?」といわれ、少しお話を聞いた。
その女性は、今年足を骨折され、リハビリで歩けるようにはなったばかり。
私は明日で88歳の誕生日を迎えます。私はもうすぐ亡くなります。かならず亡くなります。でも、良いご縁があって、うちには良いお嫁さんを迎えることができました。だから、私が亡くなった後も、きっとお参りはしてくれると思いますので、これからもよろしくお願いします。
と、穏やかに、しっかりと語られた。
家のなかで、ずっと継がれてきたのは、こうした“いのちのリレー”。
そこから先祖を敬うこころも生まれてくる。
私にいのちを受け継いでくれた方々に対しての感謝の気持ち。
親鸞聖人が亡くなられて750年。
そこから脈々と受け継がれてきたのは、そのいのちのつながり。
10月18日(火)
今日から2日間、広両谷地区の報恩講。
そして、今夜は善通寺にて我聞会の10月例会。
『蓮如上人御一代記聞書』(111)(112)の輪読。
相手のことを思い、相手に応じて仏法を聞かせるように。(112)
相手に応じて説法することを「対機説法」といい、お釈迦さまがその方法をとられていた。だから、たくさんの経典が残っている。
また、このような方法を「応病与薬」ともいう。
病気に応じて薬を与えるように、相手によって説き方を変える。
「臨機応変」ということばもそこから来ているのだろう。
「人を見て法を説け」
「座を見て法を説け」
「機に因りて法を説け」
など、ことわざにもなっている。
それから、「嘘も方便」ということばもある。
真実に導くための手段として用いられる。
キサーゴータミーという幼い我が子を失った若いお母さんの話は、まさに方便。
相手のことを思うには、相手のことを聞く必要もある。
それがなかなか難しい。
ちょうど、輪読の後のW氏の法話の内容がまさにそんなこと。
ある男性の母が亡くなった日、その1ヶ月前に行方不明となっていた息子の遺体が発見された。
その喪主である男性が、「母が最期に息子を見つけて逝ってくれたんです」と涙ながらに語ったそう。
ただの偶然では?と思いながらも、僧侶として「そうかも知れませんねぇ」としか答えられなかったと。
否定せず、ただうなずいて聞くことも大事なことである。
10月11日(火)
今日と明日、小坪臨海地区の報恩講。
午後から、当山専徳寺にて呉東組聞名講の例会。
10月例会は報恩講法要も行われるため、呉東組法中、そろいの色衣・五条袈裟をつけて厳修。
直前になって、登礼盤作法をすることに。
おつとめは『正信念仏偈 第二種』。
その後、百周年の時の御消息を拝読し、称名寺若院さんの法話。
「凡夫」とは、凡庸なる士夫。
〔四諦の道理を知らない人をいう〕。
聖徳太子の十七条憲法のなか、
十にいはく、忿を絶ち瞋を棄てて、人の違ふを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執ることあり。かれ是んずればすなはちわれは非んず、われ是みすればすなはちかれは非んず、われかならず聖なるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず、ともにこれ凡夫ならくのみ。是く非しきの理、たれかよく定むべき。あひともに賢く愚かなること、鐶の端なきがごとし。ここをもつてかれの人瞋るといへども、還りてわが失ちを恐れよ。われ独り得たりといへども、衆に従ひて同じく挙へ。
と、『註釈版聖典』(本願寺出版)には、「凡夫」に「ただひと」と仮名が振ってある。
お互いにただの人。
そのただの人である私が法に出遇うそのとき、愚の正体に気づかされるのだろう。
ハングリーであれ。愚かであれ。
故S・ジョブス氏のことば。
十方衆生では、仏性の話が出た。
「一切衆生悉有仏性」「草木国土悉皆成仏」と経典には説かれている。
また、『大阿弥陀経」(『大経』の異訳)には、
諸有の人民・蜎飛蠕動(けんぴねんどう)の類、阿弥陀仏の光明を見ざることなきなり。
小さな虫までも願いがかかっていると説く。
ただ、縁がととのわなければ種から花を咲かせることはない。
今、私たちは縁がととのって法に出遇えたことを大切にしたいものである。
9月25日(日)
今夜は阿賀の称名寺にて呉東組若手僧侶の勉強会『我聞会』の例会に。
輪読は、『蓮如上人御一代記聞書』(109)(110)。
(109)は、本願寺の現代語版と、他の『聞書』の注釈書の訳し方がまったく違うという。
現代語版にもそのあたりのことが註に書かれているのだが、他の書の訳し方から見ると、蓮悟という人物はどんな人物であったのだろうか。と、そんな話で盛り上がる。
法話は、「自分が願われている」という話を聞かせていただく。
東井義雄(とういよしお)先生のお年玉の話から、親から願われていることに気づかされたという話。
この話を聞かせていただきながら、大晦日に行った『安穏のともしび』のこと、「願」バッジのことがふっと頭に浮かんだ。
願われていることに気づくご縁。
とても大切なご縁である。
この話を聞いて、早速帰宅してAmazonで検索。
「いのち」の教え
在庫が「残り1冊」となっていたので、迷わず購入。
秋の夜長。読書の秋となるだろうか。
その秋の夜長で、ふと思い出した。
我聞会からの帰り、専徳寺までの道筋を車で走っていると、溝に降りて逃げる焦げ茶色の後ろ姿。
どうも、あれはタヌキ。
昨年は10月末に大きなタヌキの夫婦が境内を走り去るところを見かけた。
そして、時々糞があったが、いつの間にか消えて。
今日のは少し小ぶりだったので、その子だろうか?
専徳寺も月夜に誘われタヌキがそろそろ出てくるようになるかな?
ちなみに、童謡『証誠寺の狸ばやし』で知られる証誠寺(千葉県木更津)も、浄土真宗本願寺派のお寺である。
9月12日(月)
月かげのいたらぬ里はなけれども
眺むる人の心にぞすむ
これは、親鸞聖人の師匠 法然聖人の詠まれた歌。
今宵は中秋の名月。

すべての人に届いている月の光。
それでも届いてることに気づかずに過ごしてる人もいる。
すべての人に届いている仏さまの願い。
それでも届いていることに気づかずに過ごしている人もいる。
今日は午後から呉東組聞名講の例会が名田説教所において開かれた。
例会に先立って、今年度の新役員に本願寺からの委嘱状が手渡された。
そして、勤行「正信偈」。
引き続いて、私が御消息を拝読させていただく。
今日の法話は法幢寺御住職。
その後の御示談では、お念仏を申す時に、亡くなった両親のことを思い起こす。そして、浄土でまた会えると信じながらも、それをどのように領解すれば良いのかという質問が出た。
その答えの一例として、ある学生の話が出た。
その学生は、父とは宗教が違う。
それで友人から、あなたのお父さんは宗教が違うから、亡くなった後お浄土で再び会うことはないと指摘されたそう。
でも、その学生は、宗教は違っても、自分を浄土真宗のみ教えに導いてくれたのが父だった。だから父とはきっと会えると答えたのだそう。
すべての人に願いが届いている。
聞名講が終わり、夕方阿賀の宝徳寺にて、呉東組のとある委員会に。
呉東組の寺院、そして地域が活性化するようにと、ひとつのプロジェクトがただいま進行中。
ともにがんばろう
「願」バッジに記したことば。
昨日で東日本大震災からちょうど半年。
ニューヨークの同時多発テロからちょうど10年。
また、改めてその意味を考える。
ひとりでなく、ともに。
帰り道、大きな満月が野呂山から姿を見せた。
眺むる人の心にぞすむ。
9月3日(土)
大型の台風12号。
各地で大きな被害が出ているようだが、このあたりはもう峠を越えているようだ。
昨夜は風と雨の音が凄かったが、朝になると風も雨もほぼ治まって、夕方には夕焼けも。
大きな議題はそれほどなく、組長会の報告が中心。
呉東組団体参拝の第3班が、9月8日に出発。
呉東組の団体参拝としてはこれが最後。
「願」のバッジをつけて、どうぞ良いご縁に。
それから東京国立博物館で開かれる『法然と親鸞 ゆかりの名宝』展のポスターなどを頂いて帰った。
京都では春に『親鸞展』(京都市美術館)と『法然展』(京都国立博物館)が別々に開かれたが、東京では史上初の合同展なのだそう。
機会があれば是非どうぞ。
8月3日(水)
午後から特別養護老人ホーム『延寿荘』を専徳寺仏教婦人会の方と一緒に訪問。
これは呉東組仏教婦人会連盟の活動で、組内各仏教婦人会が順番に延寿荘と成寿園を訪問している。
今月は専徳寺仏教婦人会が担当。
正信偈を皆さんと一緒にとなえ、そのあと法話。
このブログにも紹介した金子みすゞさんの『蓮と鶏』を紹介。
どんなに美しい花を咲かせる蓮の種も、種だけでは芽も出ない。
2000年以上前の蓮の種も、環境(縁)が整えば芽を出し花を咲かせる。
今年、庭に蓮を迎えたことで、私もいろんなことを学んだ。
それも私のせいじゃない。
それもご縁である。
法話のあと、婦人会の方が『涙そうそう』の音楽でフラダンスを披露。