線状降水帯

7月19日(火)

九州から関東にかけて線状降水帯が発生し、各地で浸水等の被害が出ているそう。

広島では一部大雨警報が出ているところもあるけれど、呉市は大雨注意報。

ただ、このあたりはそれほどひどい雨が降ることもなく、過ぎた模様。

朝、案頭春は夜中の雨できれいに散っていた。

 

今日の中国新聞朝刊、呉・東広島版に先日の坂田明さんの記事。

そして、今日届いた本願寺新報7月20日号に、

沖縄戦 広島の人へ

広島・住蓮寺門徒の渡辺敞子あきこさん(80)は、「沖縄で戦死した父の軌跡をたどりながら、次の世代の若者と平和を「学び続けたい」と、2010年から毎年、広島の学生たちに交じり、沖縄戦跡約60㌔を2泊3日の日程で歩く活動に参加し続けている。
「父が戦死したのは私が3歳の時。父の声も、肌のぬくもりも、記憶には何一つ残っていない。父を知るよすがは、学生時代の写真数枚と、召集後に伯母に送った軍事郵便はがきだけ」。渡辺さんの父・石田儀郎ぎろうさんは1918年生まれ。京都高等工芸学校窯業科を卒業し、満州(中国東北部)に渡り、大連の耐火レンガ工場で働いていた。妻の重子さんと渡辺さん、2歳下の妹・幸子さんの4人家族だったが、44年3月に陸軍歩兵第八九連隊の兵隊として臨時召集された。
同連隊は船で山口・下関、福岡・門司を経由し、8月に沖縄・那覇に到着。米軍の攻撃を受けて徐々に南下し、翌年5月末には日本軍最後の防衛戦となった沖縄本島南部の八重瀬岳で他の部隊と合流した。儀郎さんの連隊はそこで玉砕した。先の大戦で唯一の地上戦となり、200万人以上もの命が犠牲となった沖縄戦は6月23日、組織的戦闘が終結した。
 満州に残った渡辺さんたち家族3人は親族が迎えにきて45年6月14日に呉市に戻った。だが、くしくもその日、儀郎さんは沖縄で戦死した。後日、届けられた遺骨箱に骨は入っていなかった。渡辺さんは「いまだに父の遺骨は見つかっていない」と語る。
軍事郵便はがきは、儀郎さんが姉宛に書いたもの。「男子の本懐之に過ぎるものはありません。重子達の事は石田(父)に御願致します」など、短い文章の奥に家族を心配する様子がうかがえる。渡辺さんは「私たちに会いたかっただろうし、呉に帰りたかったと思う」と語る。
戦後、進駐軍で働きながら家族を支えてきた母は、父のことは語らなかったという。小学校の教員となった渡辺さんは、平和の尊さを子どもたちに伝えなければいけないと、呉市ではそれまで登校日でなかった原爆の日(8月6日)を登校日にするなど、平和教育に尽力してきた。
退職後の2005年6月23日、初めて沖縄県糸満市の「ひろしまの塔」で営まれた広島県出身戦没者の追悼法要に参拝し、そこで「陸軍兵籍簿」の存在を知った。広島に戻った後、兵籍簿で父の沖縄での詳しい足取りを調べた。
「父の歩いた道をたどりたい」と思っていた矢先、広島経済大学の岡本貞雄教授ゼミが行う沖縄戦跡を歩く研修ツアーの紹介記事を見て、岡本教授に連絡。 2010年からツアーに参加し始めた。
毎年2泊3日の日程で、約60㌔の行程を学生と一緒に歩く。かつて戦場だった沖縄の各地を回り、慰霊碑や壕などの現場を清掃し、手を合わせ、戦争体験者の話を聞いた。疑似体験のため、食事は乾パンに見立てたカロリーメイトと、スポーツドリンク、水だけ。
渡辺さんは「道の下にはいまだに多くの遺骨が埋まったままかもしれないと聞かされ、父の遺骨もあるのではと思った。原爆とは異なる戦争の凄惨な一面を突きつけられ、戦争はまだ終わっていないと実感した」。
父の終焉の地、八重瀬岳を訪ねた時だった。病院壕で従軍看護師を務めた白梅学徒隊の一員、中山きくさんが野戦病院の実態を語ってくれた。「弾雨の銃撃戦の中、亡くなったであろう父を思うと心が痛んだ」。
その中山さんが、広島で被爆者の体験談を聞いたことがきっかけとなり、「亡くなった仲間のためにも沖縄戦を風化させてはならない」と自身のつらい体験談を語る活動を始めたことを知った。
渡辺さんは「中山さんは『広島も原爆が投下され、大変な思いをされたでしょう』と初対面の私を妹のように迎えてくださった。多くの民間人が犠牲となった沖縄戦について広島ではあまり知られていない。広島の人が中山さんと同じように、沖縄の人に声をかけられるだろうか。毎年活動に参加して沖縄戦を学び、広島で沖縄戦について伝えていかねば」と語る。近年、修学旅行で沖縄を訪ねる広島の生徒に事前学習として沖縄戦を語る機会が増えたという。「みんな、かけがえのないいのちを生きさせていただいている。戦争がもたらすあらゆる痛みを共有し、自他共にいのちを大切にしなければ本当の平和は築けないと思う」と強く訴えた。

今朝の『ちむどんどん』を思い起こしながら。。。

忘れないように。
でも、忘れてしまうかも知れないので、ここに刻む。

 

2022年7月19日 | カテゴリー : 長浜 | 投稿者 : sentoku

案頭春開花

7月15日(金)

今朝、予想どおり案頭春が一つ開花。

10時頃にはだんだんと閉じ始め、

お昼には完全に閉じてしまう。

3年続けて開花した案頭春。
小ぶりだけど、きれいな蓮。

 

午後から第1回校区内補導及び防犯連絡協議会 兼長浜駐在所連絡協議会に出席するため、広南小学校・中学校に。

連絡協議会には、校区内(広津久茂・広長浜・広小坪)の各自治会長、民生委員、保護司、中学校評議員、老人クラブ会長、女性会会長、PTA会長・副会長、そして駐在さん等、たくさんの方が参加。

協議会の前に各クラスの授業参観。

コロナ禍で授業参観される方が減って、ある時は私1人??ってこともあったけど、今日はいろいろな方が。

 

来週からいよいよ夏休み。

子どもたちを地域で守るため、いろいろと話を聞かせていただいた。

連日、〈地域とともに〉。

 

2022年7月15日 | カテゴリー : 長浜 | 投稿者 : sentoku

地域総がかり

7月14日(木)

今朝のNHKニュース『おはよう日本』の広島放送で、昨日開かれた広南小学校・広南中学校の「ようこそ先輩」の模様が放送された。

見逃した方はこちら→(https://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20220714/4000018492.html

 その先輩とは、長浜出身のサックス奏者 坂田明さん。

 

ただ、昨日はちょうど同じ時間に「市政だより」の取材。

現在文化庁で取り組んでいる〈地域総がかりでつくる 文化財保存活用地域計画〉。
その地域ぐるみの取り組みのモデルとして、石泉文庫と地域の関わりを紹介する予定だそう。

長浜は虫干しだけでなく、蚊やハエのいない町づくり、そして防災と、昔から地域総がかり。

取材が終わり、急いで中学校に向かい、体育館の入り口を入ったところで最後の一曲。

入り口で涼しい風を受けながら、映画『ひまわり』の曲が心に響く。

インタビューの中で仰られているように、

子どもたちにはジャンルにかかわらず、自分のやりたいことに取り組んでもらい、のびのびと成長してほしい。

地域総がかりで子どもたちがのびのびと成長していく姿を少しでも後押しできたら。

 

今朝、案頭春のつぼみが少し開いた。

明日の朝、開くかな。

 

2022年7月14日 | カテゴリー : 長浜 | 投稿者 : sentoku

呉東組聞名講 7月例会

7月11日(月)

今日は午後から

この写真のちょっと奥にある小坪説教所にて呉東組聞名講の7月例会。

そして、下の写真が7月8日に公開された映画『こちらあみ子』(https://kochira-amiko.com/)のワンシーン。

昨年の今頃、この場所で撮影。
まだ観ていないので何とも言えないけれど、気になる作品。

 

今日の小坪説教所はたくさんのお参り。

皆さんと正信偈をおつとめし、ご消息の拝読。
その後、御法話に引き続いて御示談を。

今日も講長さんのご用意してくださった質問用紙の回答より。

東本願寺の前の歩道に「人間として生まれた意味を考えよう」と立て札で問いかけられています。
あなたはこの問いにどのように答えますか?
更には、このことを身近な人に伝えようと思いますか?

と。

〈仏法を聞かせていただき、御本願に遇うため〉との答えがたくさん。

この言葉が気になって調べてみたら、大谷派の宗祖親鸞聖人850年立教開宗800年慶讃法要のテーマが、

南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう  

ちなみに本願寺派のスローガンは「ご縁を慶び お念仏とともに」。

今日はお隣の大谷派のこの言葉よりいろいろとお味わい。

 

そして、今年の降誕会の合掌チラシ

この言葉をどのように味わったらよいのかとの質問。

善人と悪人、皆さんと一緒にお味わい。

 

暑い中、ようこそお参りくださいました。 

 

2022年7月11日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

広南小学校読み聞かせ(198)

7月11日(月)

今朝は広南小学校読み聞かせ。

担当は3年生。

読んだ絵本は、

『きっと きこえるよ――被爆樹木の絵本――』

 

先日7月1日が呉空襲の日。
来月8月6日が広島に原爆が投下された日。

そして、今ロシア・ウクライナの問題等、少し「平和って何?」と考えてくれたらいいなと。

この絵本は、広島市内の小学校で読み聞かせボランティアをしているお母さん2人が被爆樹木のことを絵本にしたいと0から作った絵本。

読み終わった後、あとがきを紹介。

広島で育ち、 広島で子育てをする私達は、地元の小学校で読み聞かせのボランティアをさせて頂いています。
2017年の冬、 ANT – Hiroshima 代表 渡部朋子氏の講演会に参加した藤原から
「被爆樹木が主人公の絵本を一緒に作ろう。」
と村本に声がかかり、本当にゼロからの絵本作りがスタートしました。
それから完成までの1年8ヶ月の間、 この絵本は私達に多くの学ぶ機会を与えてくれました。その中で、多種多様な平和活動を知りました。 平和活動がどんな方法であろうと、目的はひとつ。 世界平和だと思います。
この絵本を通して被爆樹木の存在に気がつき、 被爆樹木を通して戦前・戦中・今日までの出来事を想像して欲しいと思います。 1クラス30人のうち、1人でもそうすることで、心の中に“平和って何だろう” “平和って、いいな” “どうしたら平和は続くのかな” と、今の自分に出来ることを考えるキッカケとなる 種を心の中に植えてくれたら、と思っています。
だって、私達自身が、 被爆樹木からその 種 を もらったんですから。
老若男女、国内外の多くの方に見ていただき、多くの種が蒔かれることを願います。
ご支援くださいました多くの皆様、本当にありがとうございました。
       2019年5月吉日    藤原美香 村本美香

一昨年、広島別院の被爆樹木ソテツから、たまたま知ったこの絵本。
私もその〈種〉をもらったので、お裾分け。

ちょっと3年生には難しかったかも知れないけれど、1冊小学校にもお裾分けしたので、その種から芽が出て花が咲くといいな。

 

2022年7月11日 | カテゴリー : 絵本 | 投稿者 : sentoku

仏教壮年会 7月例会

7月8日(金)

今朝、案頭春の2つ目のつぼみがソーッと。

今夜は仏教壮年会の7月例会。

5月・6月と瑞獣を通してお寺に親しんでいただこうと話をしたが、同じものを続けると飽きてくる。

違った話題を取り上げるのも大事かなと、今回はお念仏を大切にされた方の話より。

倉田百三の『念仏と生活』(青空文庫)を紹介。

私の信仰を言いますと、念仏を申さるるように生きるという一語に尽きる。

で始まる比較的短い文章。

倉田百三と言えば、以前仏教壮年会・仏教婦人会共催のビデオと講演の夕べで『出家とその弟子』をビデオ鑑賞(2017)。

あの時、庄原まで倉田百三文学館へ行ったことを思い出しながら。

 

「念仏申さるるように生きる」

自然法爾章、『歎異抄』の第一条を読みながら、「念仏申さるるように生きる」についてお味わい。

終わった後、質問で石泉のことについて聞かれ、石泉の「念仏と生活」を少しだけ。

 

終わると、久しぶりに聞くスマホのアラート!!

呉市に大雨警報(土砂災害)・洪水警報が発令。

 

今夜は安倍晋三元首相のこともあり、いろんなことを考えてしまうけど、

ただ念仏申さるるように生きる。

 

ようこそのお参りでした。

どうぞ、お気をつけて。

呉東組法中会 と 甲斐虎山

7月3日(日)

今夜は阿賀西光寺にて、呉東組法中会。

組内の活動も動きつつあるけれど、急がず慌てず少しずつ。

 

甲斐虎山の作品集が出版されていると知り、取り寄せてみた。

甲斐虎山さんは、甲斐和里子さんの夫。

甲斐和里子さんは、祖母の父 足利瑞義の妹で、祖母は亡くなる間際まで、和里子さんのことを口にした。
父も幼い頃、転地療法のため、京都の甲斐和里子邸にしばらく滞在。

そんなこともあり、甲斐和里子さんの話は聞いていたのだけれど、虎山さんのことはあまり。。。

虎山さんのことを知らないわけが、ようやく少し分かったような気がする。

甲斐虎山は現代人として珍しい存在である。詩や書、絵画に素晴らしい技を持ちながら、世間に知られることはなく、自らも世の中に知られようとしないで、常に詩・書・画ばかりの生活を楽しむほかには何にも興味をもたないようだ。 彼の風貌を見ると、とても茫洋としていて、かつて天上界から人間界に追放されたという仙人が目の前に現れたかのようである。(9頁)

 

専徳寺に遺る甲斐虎山さんの絵。

乙卯蒲月きのとうほげつ」とあるので、1915(大正4)年5月かな。
甲斐虎山(1867~1961)、48才頃の作品。
この本では画風模索の時代。

「明浄精舎」とあるのは、府中の明浄寺かな。

 

「南画」と言うのもよく分からなかったけど、この本を読むとへ~っと。

知ると親しみを持ち、
親しみを持つともっと知りたくなる。

少しずつ少しずつ。

2022年7月3日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

広南中学校参観日

7月2日(土)

今朝の中国新聞朝刊 呉・東広島版に、

5月31日にぶろぐでも紹介した〈長浜里山を愛する会〉と広南小学校4年生の子どもたちのサツマイモ植えの記事。

2018年7月6日の西日本豪雨災害から4年。
今年は早々と梅雨明けし、逆に雨不足が心配される中、7月6日は台風4号直撃との予報。。。
どうなるのかな。。。

 

今日は広南中学校の参観日。

2年生の参観授業は、

『広南もくりんかるた』。

起業企画に取り組む2年生。
~地域〈広南〉をもっと身近に~
そう感じられるよう、先生が地域のこと、学校のことをカルタにして、ゲームの中で広南を学習。

これまで取り組んできた集大成のようカルタ。

長浜のこと、小坪のこと、いろんなことを楽しみながら学べるので、是非とも永久保存版として残して欲しいな。

 

その後、恒例のジャンボ衣笠一門を迎えて広南寄席。

今年も1年生は落語に挑戦。

ただ、今年も例年どおり法務と重なり、寄席は観れず。。。

 

この炎天下。
境内に女郎花おみなえしが咲き始め。

これからの台風情報に気をつけて。

2022年7月2日 | カテゴリー : 長浜 | 投稿者 : sentoku

呉東組仏教壮年会連盟 総会・前期研修会

7月1日(金)

早々と梅雨が明け、暑い毎日。

昨日、つぼみが出て来た案頭春(蓮)。

 

昨日は鉢の内側にあったのに、ニョキニョキっと

昨日よりも10センチくらい伸びている。

梅雨が明けたので、ウィンドチャイムを今年も吊るし、時々いい音色を響かせてくれる。

 

今夜は午後6時より、仁方浄徳寺にて呉東組仏教壮年会連盟の総会・前期研修会。

 

コロナで過去2年、開催することが出来ず、久しぶりの仏教壮年会連盟行事。

総会に引き続いて、御法話は深川組明光寺の牛尾かおり師。

生死の苦海ほとりなし
 ひさしくしづめるわれらをば
 弥陀弘誓のふねのみぞ
 のせてかならずわたしける
        (高僧和讃)

今の世の中、みんな賢くなってしまった。
賢くなったからか、法蔵菩薩の物語、お釈迦さまのお話を聞いても感動しにくくなっている。

その話が嘘か真実まことかと言うよりも、そこに〈込められた願いを聞く〉と言うお話を。

〈願い〉

もうすぐ七夕。
短冊に願いごと。

今どきの子どもたちは何を願うのだろう。
その先に阿弥陀さまの願いと出遇うご縁がととのうといいな。

 

2022年7月1日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

専徳寺門信徒会総代・世話係 総会

6月28日(火)

今日は午前10持から専徳寺門信徒会 総代・世話係総会。

改選期ではないので、今年度の退任者・新任者は各1名ずつ。

「いつもお世話になっております」のごあいさつより、今年の話題は石泉文庫のクロガネモチ。。。

そんな中、先日読み始めた『幸福は聞える声の中に』(信仰随筆・中川静村著)に、こんな一節を見つけたので、挨拶で少しだけ紹介。
折角なのでここでは全文を。

 困 る

 困るという字を、もう一度見直してもらいたい。 木は大自然が生んだ生命体である。誰の所有でもなかった。それを自分のものと誤認したのは人間の『妄想』であり、自己の所有として一つの箱にとじこめたのは、迷妄のなせる業であった。一本の木さえ自己の所有にしようとする人間の貪欲は、その貪欲の故に自らを困る地獄に堕したのである。他人の木がほしくなり、あらゆる木がほしくなり、果てしない欲望と独占がそこから生まれた。人間の『困る』原因は『我執がしゅう』がすべてである。自己中心にしかものが考えられず、どう理屈をつけ、どんなに美しいことをいっていても、その根本に『』をすて切れないところに、困る原因がはらんでいる。話し合おうといってみたところで、その話が『自分本位』ならどうにもなるまい。歩みよりどころか、互いのみにくさをさらけだすのが落ちである。名利みょうり愛欲あいよくすべて我執の煩悩である。親鸞はこの我執を血涙けつるいをもって『悲哉かなしきかな』と結んだ。 自己批判の極点に、身動きならぬ『自己本位』を発見し、その故に絶対他力による自己の粉砕を生涯の行とした親鸞は、人間としても見あげたものであろう。

 自己粉砕とは『無我』である。Aの中にBを見出し、Bの中にAを見る。 AB共にない融合と一如の世界を、親鸞は『真実』とよぶ。
 親の中に子を見、子の中に親をみる。 共に自分にとらわれず、相手の中に自分を生かそうとする。縁の領得には『困る』ところがない。一本の木を、共に所有しようというのである。 共有の緑を見直そうというのである。生きている自分でなく、生かされてある自分に気づく。一切とかかわりある生命に目ざめ、すべてのご恩によってここにある自己に合掌し感謝してゆく。相手の生命をわが生命と気づき、わが生命も相手の生命と仰ぐ世界が宗教の世界である。すべてが、絶対者である『仏』の生命の中に生かされていると考える。宗教の世界には対立も我執もなく、まして独占もない。

 木を一つの箱から、もとの大自然に返そうではないか。すると『困る』文字がこの世から消える。どういってみたところで、同じ人間であり、短いつかの間の生涯である。何一つ自分のものなどない。自分のものと考えるのは妄想であり、すべてが『あずかりもの』なのだ。 あずかりものを、めくじら立てて争ってみたところで、時がくれば、みんな返してしまわねばならぬ。何一つ残らないのが『死』である。必然の死を目の前にしている私たちが、偶然の名利愛欲にこだわっているのが大体おかしいのである。

 どうやらまた、国会の選挙が始まるらしい。 我執の一票に血みどろになり、空しい議席の争奪に自己をわすれる人も多かろう。ただ、大切な、国民の生命をあずかる本来の務めを忘れてもらっては困る。なにが一番大切なのか、かけがえのないものはなにか、ちょっと手をやすめ、一歩退いて、もう一度見直し考え直してみたい。老若男女、困っている本体が、案外つまらぬ原因ではないのか。もう一度、この文字をとくとごらん頂きたいと思う。

 

クロガネモチが倒れ、道を塞ぎ、隣家の屋根を崩壊。
そのあとで、この「木」の所有者は一体誰なのかと言う問題になった。

調べてみると、所有者は400名の昔の長浜の方。管理者は専徳寺。

県の史跡だから、このクロガネモチの樹もその一部となるのでは?とか、いろいろと話があっちに行ったりこっちに来たり。

『木』を誰のもの?と、『□』で囲んだ途端に、困った問題となった。

『□』で囲んで、こちらとあちらを分けてしまう。
そして、こちらが私、あちらは他者と。

これは「木」だけの問題でなく、いろんなところで聞く話。

〈愛着〉と〈執着〉。
そこはなかなか難しいけど、それに気づかせていただくのもまたご縁かな。

 

おかげさまで、滞りなく総会も終了。
暑い中をようこそお参りくださいました。

 

今日、中国地方は早くも梅雨明け。
セミの声も聞こえてくるように。

暑い夏になりそうなので、どうぞお気をつけて。