専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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10月1日(月)
今日から10月。
今朝、久しぶりに広南小学校の読み聞かせに。
2学期は報恩講等の行事と重なるため、参加させていただくのは難しいかなと思いながらも、読み聞かせを通して、こちらもいろんなことを学ばせていただくので、日程とからだと相談しながら。
今日は5年生を担当。
今日読んだのは、『だいじょうぶだよ、ゾウさん』。
ベルギーのローレンス・ブルギニヨン作、ヴァレリー・ダール絵。
日本語訳は、柳田邦男。
その柳田邦男氏が書かれた帯。
想像してみてください。だいじな愛するひとがあの世にいってしまうことを。だれでも、すぐには受けいれられないでしょう。しかし、月日がすぎていくなかで、ひとはいつしか、つらく悲しい別れでも、それを受けいれられるように心が成長するのです。幼いネズミくんは年老いたゾウさんに、「いっちゃいやだ」といいます。しかし、弱ってきたゾウさんを一生懸命ケアするうちに、心が成長して、ゾウさんがゾウの国に渡るつり橋を修理してあげます。そして、「こわがらないで」といって見送るのです。ゾウさんは「だいじょうぶ」といって、渡っていきました。
この物語は、著者が幼いころから死について話してくれた祖母との別れの体験をもとに書いたそうです。いまの時代、家族の病気や死について、子どもは会話のなかにいれてもらえないため、一生のなかでとてもだいじな死について学び、心を成長させる機会を失っています。この絵本は大人にも子どもにもだいじなことを語りかけていると思います。
それにすべてが現れる。
それと、別れたくないという自分中心の思いだったネズミくんが、ゾウさんにとって何が良いことなのかという思いやりのこころを持つことが出来たということに、いろいろと思うところがあるのではないだろうか。
5年生。みんな、静かに聞き入ってくれた。
帰りに5年生の教室前の廊下に、こんな素敵な絵を見つけた。
そして、その向こうに同じ光景。
思わず写真を撮らせていただいた。
帰って衣に着替え、白岳地区の報恩講。
9月30日(日)
今夜は専徳寺にて呉東組法中会。
台風が予想以上に早く進んだため、昼頃には雨もやんだ。
組長会での報告、10月の組内行事等が確認される。
10月は組内行事が目白押し。
10日が聞名講。
12日が呉東組仏教壮年会連盟の研修会。
13日が親鸞聖人讃仰会の仏教講演会。
14日から16日が専徳寺の報恩講。
18日が若婦人連続研修会。
21日がご縁の会。
ご縁の会も、そろそろ準備に。
いろいろと忙しいことではあるが、忙しくなくなったら何もまわらなくなってしまう。
いずれもいずれもご縁。
今夜は中秋の名月。
雲の間から少し顔を出す。
明日は久しぶりの読み聞かせ。
そして、白岳地区の報恩講。
お天気が回復したことが何より。
9月29日(土)
台風17号による天気の心配のあるなか、広島別院でご門主さまご臨席のもと、親鸞聖人750回大遠忌法要・安芸門徒会館落成慶讃法要が営まれた。
昨日・今日の2日間法要は営まれたが、安芸教区全組を2班に分けての日程で、呉東組は本日。
境内に仮設の座席が設けられてはいるものの、人数に限りがあるため、各寺から4名が参拝。
専徳寺からは総代さんに参拝していただいた。
組から選ばれた法要の結衆と列衆が出て、おつとめする。
結衆(けっしゅう)とは、御本尊の左右にある回り畳(まわりじょう)という畳に座っておつとめをする方々で、本願寺の巡讃という資格を持っている方が当たる。
呉東組からは、称名寺さん。
そして、さらにその畳の両脇の余間(よま)と呼ばれるところでおつとめするのが列衆(れっしゅう)。
このたびは、安登の浄念寺さんと私がおつとめさせていただいた。
列衆は最初から最後まで座りっぱなし。
なかなかそれは大変ではあるが、お内陣に響く大きな読経の声は迫力がある。
ご門主さまのご親教では、このたびの東日本大震災、原発の問題に触れられた。
この内容は、宗教倫理学会研究会においてご門主さまが発表されたことに少し重なるのでご紹介。
『仏教タイムス』(2012年7月26日号)
大谷光真(本願寺派門主)が研究発表 宗教倫理学会研究会
核廃棄物は倫理的宗教的に問題東日本大震災の復興支援と原子力エネルギーへの宗教者の対応を考える宗教倫理学会(高田信良会長)の研究会が20日、京都市下京区のキャンパスプラザ京都で開かれ、浄土真宗本願寺派の大谷光真門主が発表。寺院が復興支援をするにも門信徒らとのつながりを強くする日頃の活動が大事とし、使用済み核燃料の処理方法がない原子力発電について子孫に廃棄物だけ残すのは「倫理的宗教的に問題」と述べた。
「社会の危機に際して、できること―教団、信者、市民」と題して大谷門主は「本願寺住職、本願寺派門主ではありますが、その公的発言ではない、そこには出てこない日頃つぶやいていることをお話し致します」と私的発言と前置きして発表。
寒川旭者『地震の日本史』を挙げ、「まあ、日本は本当に地震が多い国だ」と驚きを表明した上で、東日本大震災が「未曾有の災害」と言われたことに反論。「日本列島が今日成り立つためには人類の時間で計れるような期間ではない、長期にわたって地殻変動が起こってできた島ですから未だかつてあらずなんてあり得ない。ただ私が知らなかった、最近の私たちが知らなかったに過ぎない」とした。
そして日本列島に生きるには「開き直り、諦めをもって生きなければならない」としつつも「あてにならないこの世を生きる生き方も同時に仏教から学びそれによって生きていかねばならない」とし、「避けることはできないが減らすことはできる」と防災意識を高める必要性も述べた。
大震災にもかかわらず昨年4月9日から親鸞聖人750回大遠忌法要を予定通り執行したことについても触れ、「大遠忌はご命日の法要。いわゆるお祝い事ではない。むしろ悲しい辛い出来事を受け止める、遠慮する法要ではない。やろうとする側に立って話をした」と明かした。
同派の震災復興については宗勢調査を基に「門信徒で定年退職して余力のあるような方々にお願いするのが一番可能性が高い」とし、「そのためには日頃からお寺とのつながりがあって、皆で何かしようと意見がまとまるようでないとできない。お寺の平生の活動が関係している」と日頃の活動の重要性を挙げた。
原子力発電にも言及し、自身は20年以上前から「原発は人間の処理能力を超えたものとの認識をもっていた」と言明。
「一番の問題はトイレのないマンション」と使用済み核燃料の処理方法がない点を指摘。「そんなものをどうして許したのか。原発以外で廃棄物を処理する方法がないから溜まる一方でよろしいというものがあるだろうか」と疑問を呈し、「それほど歪んだ発電事業である」とした。
さらに「昔の人は孫の代が使う木を植えた。今の人は自分が使えるものは使って孫にはゴミだけ残して、こういう生き方そのものが私自身にとって非常に辛い」「廃棄物だけ残していくのはとても倫理的宗教的に問題である」と述べた。
野田佳彦首相が「私の責任で」と大飯原発再稼働を決めた件にも言及し、「原発で事故が起こったとしてたとえ現職でも引退する以上の責任はない。辞めていれば申し訳ないということでしかない。こんなことで責任を取ったことになるのか」と批判した。
今回の研究会は同学会が3月から進めてきた「3・11以降の社会と宗教」をテーマにした研究プロジェクトの5回目。本題寺派関係者など百数十人が聴講した。
大変踏み込まれた内容に思えるが、残念ながら現在の新聞では扱ってもらえないことだろう。
そして、記念品としていただいたのが、ご門主さまの書かれた「共命」の色紙。
「共命」は、『阿弥陀経』に説かれている「六鳥」のひとつ「共命之鳥」から頂いたお言葉です。体が一つで頭が二つある共命の鳥は、二つある頭のいづれもが、自らが一番と主張しあい争います。遂に、片方に毒を飲ませて亡きものにします。体が一つですので、食べさせた方も死んでしまいました。それから、共命の鳥は「他を滅ぼす道は己を滅ぼす道、他を生かす道こそ己の生かされる道」と泣き続けていると言われます。(色紙説明文より)
大切なのは、気づくこと。
そのことに気づかせていただいた大きなご勝縁。
お天気も崩れることなく、良いご縁に遇わせていただいた。
9月26日(水)
お腹が痛い。
食あたりとかでなく、腹筋の筋肉痛で。
ただいま小坪地区の報恩講参り。
2人で回っているのだが、月曜日14件、火曜日13件、今日は9件勤めた。
多いときは9時前から始めて、12時過ぎまでかかるのだが、休めるのはお参りの終わったお宅を出て、隣のお宅のお仏壇に座るまでのわずか1、2分。
その間に持ち歩いているペットボトルの水を口に含む。
今年から報恩講参りさせていただいたお宅で、「お茶は飲まれないと聞いたので、これを・・・」と、ドリンク剤をいただいた。
毎年ご縁をいただいている小坪説教所で、「途中でお茶の準備に席を立たれるよりも、お茶のことはおかまいなく、最後までご縁にあっていただけたら・・・」と話したこともある。
そんなこともあってか、お持ち帰りのドリンク剤やスポーツドリンク類をいただくことが多い。
「帰命無量寿如来」と始まると、スイッチが入り、一心不乱というよりも、無心。自然と口から流れ出る。
お仏壇は、どれ一つまったく一緒というのがないので、それぞれそのお宅の仏さまにごあいさつ。
ただ、さすがに10件過ぎたあたりから、お腹がプルプルと。
お腹が筋肉痛になるということは、お腹から声が出てるということかな。
次々と参るため、一軒一軒ゆっくりすることは出来ないが、今日は質問をご用意してくださっていた。
男性の方が式章を付けて参られ、終わった後に、
ちょっとお聞きしてもよろしいですか?
御仏飯に炊き込みごはんをお供えしてもよろしいのでしょうか?
と。
炊き込みごはんに鶏肉などのお肉が入ってるのはどうかと思いますが、豆ごはんとかお供えされてる方もおられますよと答える。
仏さまに私の食べるものを先にお供えする。
「私の、私の」と、ついつい私が先になってしまうけれど、私よりも先に仏さまと思うことで、自然と相手を思う心を育てていただくのではないだろうか。
ふとした質問に、ご縁をいただく。
まだまだ報恩講も始まったばかり。
いろんなご縁に遇わせていただきます。
9月22日(土)
昨日から、いよいよ報恩講がスタート。
暑さ寒さも彼岸まで
今日は秋分の日。彼岸の中日にあたる。
例年9月23日に当たるが、1896年(明治29年)以来、116年ぶりの22日だそう。
少しずつずれが生じてくるので、こうして修正する日が設けられる。
これだけは大丈夫と思っていることでも、時間が経ってくるといろいろと誤差が生じてくるもの。それを時には修正しないと、どんどんずれているのに気づかずに・・・。
それは、私たちのこころも同じ。
「大丈夫」と思いながらも、気づいたら道を踏み外したりしていないだろうか。
ちょっと立ち止まって、来た道をふり返り、自分のまわりや足もとを見つめてみなさいよ。
そして、自分の行く末(後生の一大事)をしっかりと!
お彼岸は、太陽が真西に沈んでいく日。
私たちの向かう西方である。
先達たちが真西の分かるこの日に作ってくれた大切なご縁。
少しこころを整理し、ずれているのに気づいたら、軌道修正してみましょう。
今夜は、専徳寺仏教壮年会と蒲刈の弘願寺仏教壮年会との交流会が予定されていたが、弘願寺さんに急な予定が入り、中止となった。
ご準備いただいていた役員・会員の皆さま、ご苦労さまでした。