専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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11月12日(月)
今夜は7時から蒲刈の弘願寺にて、弘願寺仏教壮年会との交流会。
昨年7月、専徳寺にて第1回目の交流会が開かれ、このたび第2回目。
専徳寺仏教壮年会からは、8名の会員と住職が参加。
暗くなった境内に入ると、灯籠が並んでいた。

弘願寺仏教壮年会の会員の皆さんが作られた灯籠。
達筆な字で法語が書かれており、しばし足を止め、こころに灯りが灯された。
讃仏偈のおつとめに続き、弘願寺仏教壮年会、専徳寺仏教壮年会の会長あいさつ、それぞれの住職があいさつをし、お互いの活動報告。
弘願寺仏教壮年会の会員の方が作られたビデオによる活動報告には驚き。
今回の交流会のテーマは、『現在の葬儀についての意見交換』。
長浜は100%葬儀社による葬儀。
それに対し、蒲刈はまだ1軒も葬儀社が入っていないそうで、葬儀はすべて地域の方がやっているとのこと。
亡くなられたとの一報が入ると、紙華(しか)の準備をしていたが、今年の春から紙華を葬儀に使わなくなったそう。
後継者不足等、いろいろと事情もあり、姿を消したが、紙華の存在は残しておきたい。それで仏教壮年会で紙華作りの講習会を開いて残すようにしているのだと。

門徒会館に展示されている紙華を見せていただいたが、大変立派な紙華。
これらを2時間もあれば作るのだそう。
地域の方が、故人の最後の葬儀を手伝う。
昔の葬儀のあり方がまだまだ大切に残っていることを知る。
意見交換のなかで、最近の風潮は「面倒をかけたくない」というのが主流になっているが、
面倒をかけても良いじゃないかとの話が出る。
「お互いさま」
そして、「ご縁」。
大切なことをいろいろと聞かせていただく。
9時過ぎまで有意義な意見交換。
ありがたいご縁とお土産のミカンをいただいた。
11月10日(土)
ただいま、広地区教育祭が広市民センターで開催中。
今年で第64回。
いろんな催しがあるようだが、今日から13日(火)まで、『児童生徒作品展』を開催。
幼稚園・保育所の作品が5階。小学校・中学校の作品が6階に展示されている。
作品を観ていると、よその学校の作品を見に来ていた方が、
「広南小学校って、あった?」
「さぁ・・・。」
なんて、会話・・・。
それを聞いて、今年初めて「広南小学校」として出品だと実感。
寂しいことではあるが、まだまだ「長浜小学校」と「小坪小学校」が統合して、「広南小学校」となったことを知らない方も多い。
それでも、広南の子どもたちの話を聞いていると、長浜の子が小坪のことを。小坪も子が長浜のことを知るようになって、お互いの良さを知り合う機会をもっている。
お互いのことを知り合う中で、改めて自分の住んでる町を知る。
こうした作品展も、そんな機会になれば良い。
11月8日(木)
一昨日、広の浄円寺の報恩講に出勤させていただいた。
本来なら今年は導師を勤めるところ、喉の調子が悪く、声が出ないため、導師は代わっていただく。
昨日はもっと喉の調子が悪くなり、話す声もやっとな状況で、お葬式にお通夜、電話のセールスの応対等等、・・・。
今日も午前中、報恩講参りとお葬式。
出ない声をお腹から振り絞って出すために、少々筋肉痛・・・。
そんなこんなで、今夜の仏教壮年会のおつとめの導師は代わってもらい、話だけをさせていただく。
今日のテーマは、“葬儀”。
来週、9月から延期となっていた弘願寺仏教壮年会との交流会で、“葬儀”に関して話し合いをもつことに。
そんなこともあって、浄土真宗の葬儀について。

その話の中で紹介したのが、『おじいちゃんがおばけになったわけ』。
デンマークの作家の絵本だが、どちらかと言うと読んでる大人がほろりと来る物語。
亡くなっておばけとなった“じいじ”と孫のエリックの忘れ物探し。
洋の東西を問わず、こうした幽霊となる話は共通しているらしい。
そして、見つかった“じいじ”の忘れ物とは・・・。
この本を読んでみて、葬儀の意義をうかがう。
浄土真宗の葬儀は、亡くなった方への追善回向とか、ご冥福を祈る場ではない。
ともに生きた家族、友人、知人が、お育ていただいた仏前に集い、故人とのいろんなことを偲びながら、感謝をする場。
以前、新聞のコラムか何かで、現代は遺族が悲しむ葬儀でなくなって来ていると指摘しているのを読んだことがある。
昔は近所の方が手伝っていろんな手配をし、遺族の方は故人との別れの時を過ごすことに集中できた。
でも、今はあれやこれやと遺族が仕切らなければならない。
そして、不慣れなあいさつ。
そんなことに追われて、葬儀で悲しむ時を失ってきているのだと。
今は家族葬をはじめ、だんだんと葬儀の形も変わってきている。
そんな現状も踏まえながら、来週は交流会。
11月5日(月)
祭明け。
朝から小雨の降る月曜日。
今朝は広南小学校に1ヶ月ぶりに読み聞かせに。
今回は2年生を担当。
元気いっぱいの2年生に、今回読んだ絵本は、
“ととさん”が“かかさん”に次々「かかさんや、どうしましょう」と尋ねるのだが、“かかさん”はいつも、
「おしょうさまに ききなされ」
大変テンポのいい話で、この話を聞いたことのある児童もみんな静かに聞き入った。
「おしょうさま」・・・。
今の時代、和尚さまに尋ねることって、だんだんと無くなってきてるのかなぁ。
「親鸞聖人」の「聖」というのは、「ひじり」とも読む。
この「ひじり」の語源は、「日知り」から来ると聞く。
太陽を知る者。
農作物を作るのにも何をするにも、天気を知る者は尊ばれた。
そんなことから、いろんなことを知っている和尚さんは「ひじり」と呼ばれるようになった。
天気に薬、いろんなことを知っていた昔の和尚さん。
今の時代、いろんなことを知っている人はたくさんいるし、その道のエキスパートと呼ばれる人も。
そうなると、和尚さまに聞くのは仏教に限られてくる。
ただ、だからといって仏教に限らず、いろんなことに興味は持っておきたい。
先日、某若院さんから、法事で小さな女の子にセーラームーンの話をしたら、その子から手紙をもらったと聞いた。
それも大きなご縁。
今日は広商店街の報恩講参り。
やっとつかまり立ち出来るようになった子が、おばあさんとひいおばあさんと一緒にお参り。
今年の初参式にお参りしようと思っていたのに、風邪をひいて出来なかったそう。
それが、今日も風邪をひいたので保育所を休ませ、お母さんが病院の予約を取るために預けられ、それでたまたまご縁にあったのだと。
風邪をひいてご縁にあえなかったのに、風邪をひいたからご縁にあった。
それも大きなご縁。
ようこそのお参りでした。
11月3日(土)
今日は長浜入江神社の秋祭。
呉市では恐らく一番遅い秋祭。
昔と比べると随分規模は小さくなったが、それでも長浜出身の若い人たちがこの日は地元に帰ってきて祭を盛り上げる。
長浜祭り愛好会
30代・40代の人たちが中心になって、これまで毎晩笛や太鼓を子どもたちに指導。
以前はこの曳き船を引っ張って、その後を太鼓や御輿などが一緒に長浜を練り歩いていたが、昔と交通事情が変わり、この曳き船は今では入江神社の境内で披露のみ。
この祭を長浜で育った人たちは次の世代へと大切につないでいる。
大きな太鼓を豪快にグルグルと回す姿は豪快そのもの。
ふるさとを大切にし、そこで受け継がれているものを大切にする。
今では次第に失われつつあるものを、大切にして遺して欲しい。
今日、初めて御輿を二基つなげて回す姿を見せていただいた。
『妙好人伝』にも登場する「想四郎と想吉」兄弟。(九右衛門の男)
その兄弟の思いは、こうして祭の中で受け継がれている。
自分にとっての「還る場所」。
この祭はそんなことを感じさせてくれる。