専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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9月9日(月)
まだまだ朝から暑い。。。
およそ2ヶ月ぶり、2学期最初の広南小学校読み聞かせ。
先週末、高校の文化祭だったとかで、今日は代休だからと、高校1年生女子2名が読み聞かせボランティアに参加してくれた。
お母さんがされているからというのもあるけど、こうして卒業生がしているのを子どもたちが見ると、記憶に残るだろうなぁ。
母校、ふるさと、還るところがあるっていいなと改めて。
今朝の担当は、5年生。
虫の出て来る絵本を選んでいたら、女子は虫が嫌いな人が多いからやめた方が良いと次男がアドバイス。「ネコは?」と聞くと、「ネコなら大丈夫かな」ということで、読んだ絵本は、
『なまえのないねこ』 (竹下文子 文・町田尚子 絵)
ぼくは ねこ。
なまえのない ねこ。
ひとりぼっちの猫が最後にみつけた「ほんとうに欲しかったもの」とは?
町田尚子さんのネコはとってもリアル。
以前、『チコちゃんに叱られる』(NHK)で、
Q:「なんでネコはニャーと鳴くの?」
A:「そこに人がいるからー」
と答えていたなぁ。
そんなことを思い出しながら。
9月8日(日)
今夜は、仏教壮年会・仏教婦人会共催行事、講演とビデオの夕べ。
ここ数年、広島カープの優勝の行方が気になりながらのご縁だったのに。。。
今年の5月、呉東組団体参拝(団参)で、三河・飛騨地方を訪ねた。
その最終日、大谷派高山別院に参拝し、中村久子さんのお話を聞き、遺品やパネルなどを拝見した。
中村久子さんのことは、ずっと昔に『知ってるつもり!?』で知り、『こころの手足』を読み、『大乗』に甲斐和里子さんとの対談が載ってると知って、龍谷大学図書館で探した想い出が。。。
懐かしく想いながら、今年のテーマは「中村久子」。
『生きる力を求めて 中村久子の生涯』(中村久子女史顕彰会)
ビデオを観ていただいた後、少しお話。
突発性脱疽という病気で、幼い頃に両手・両足を失い、父が若くして亡くなり、母は厳しく。手足を失いながらも、自分で考え、生きる術を身につけた。
そして、興業の世界に入り、「だるま娘」として全国をまわる。
慢心を抱いていた頃、『歎異抄』と出遇い、「親鸞さま」を。
知らなかった方も多かったようで、皆さん見入ってご覧に。
ようこそのお参りでした。
8月21日(水)
昨夜はコオロギ、朝はセミの声。
昨日から珍しくミンミンゼミの声が螺山から聞こえてくる。
今日の朝席で盂蘭盆会、御満座。
今朝は「称名」のお話を。
称は御なをとなふるとなり、また称ははかりといふこころなり。(一念多念証文)
親鸞聖人は、「称」に〈となえる〉と〈はかり〉の2つの意味を示してくださった。
〈はかり〉
大きな声で称えようが、小さな声で称えようが、たくさん称えようが、阿弥陀さまの願いがそのまんま。
そして、法然聖人は、〈勝〉と〈易〉の二徳で。
その「称名」を大切にされたのが石泉僧叡和上。
朝席終了後、先月虫干し法座の時に雨でお返しできなかった石泉文庫の蔵書を御同行の皆さんと一緒に返す。

虫干し法座の時は小学生6年生が手伝ってくれたけど、今日は少人数なのでどうなるかとちょっと心配だったけど、何とか5往復ほど汗をかきかきゆっくりと。

すべてを運び終わったら、総代の方々を中心に、1階から文庫2階の書庫へとバケツリレーのように上げてゆく。

1時間ほどですべて完了。

心配された雨も上がり、今年も無事お返しすることが出来た。
皆さんの姿に昨夜の席の常行大悲の姿を。
〈なもあみだぶつ〉が輝いて。
ようこそのお参りでした。
8月20日(火)
今朝は雨。
昨日に引き続いて、盂蘭盆会。
朝席では、親の願いと子の願いから、阿弥陀さまの願いのお味わい。
朝席でご紹介のあった
十億の人に十億の母あらむも わが母にまさる母ありなむや
これは暁烏敏(あけがらす はや)の言葉だそう。
いろいろと聞かせていただきながら、ここ数日、テレビであおり運転の映像を何度も何度も観てきたことを、ふと。
仏さまのこころは怨親平等。
でも、私のこころは、、、親のこころは。。。
昼席は「聞」をテーマに。
至り届いていても、聞かせていただかないと分からないことばかり。
“お盆”も、地方によっていろいろ。
先日里帰りした坊守から、京都ではお盆に「お供物入れ 京都市」と書かれたダンボール箱がいっぱい並んでるのにビックリしたと。
そんなことも気になっていろいろ調べていたら、国立国会図書館デジタルコレクションで柳田邦男の『葬送習俗語彙』に行き当たった。
18ページ、
マクラガヘシ 能登地方では枕がへし。又オギョウギといふ名もある。死体の下肢を曲げて入棺に便ならしめる故に御行儀である。寝床には刃物を置き、逆さ屏風を立てまはし、所謂紙花(シカ)などを用意して僧の来るのを待つのである(珠洲郡誌)。安芸の佐伯郡などでは、僧侶の枕経のことを枕返しと謂って居る(葬号)。肥前島原地方のマクラゲシは、近所の者が寺へ知らせに行くことであった。息を引取ると同時に仏壇には香を焚き、米と若干の賽銭を持たせて、寺へ行って貰ふので、此使者を枕ゲシ持ちと謂ふから或はその米銭が枕ゲシであったのかも知れない。枕ゲシ持ちには死者の魂が附いて寺に行くといふので、相当に重要な役となって居る。途中人に逢っても物を言はず、人もよく是を察するといふ(同上)。
このあたりでは、臨終勤行を「枕返し」という。
よそでも同じ言葉で使うところもあったり、違う意味で使うところもあったり。ちなみに「枕返し」とググると、妖怪「枕返し」と。。。
夜席では、庭からコオロギの大合唱が聞こえてくる中でのお聴聞。
御利益の話より。
浄土真宗では、十種類の御利益を親鸞聖人はお示しになられた。(現生十益)
その中の、“入正定聚の益”と”常行大悲の益”についてお味わい。
目連尊者のお母さんは餓鬼道に。
そんなことになったら、気が気でないだろうけど、阿弥陀さまの願いの中にいるものは、みんなお浄土で会うことができる。
明日の朝で御満座。
朝席後に石泉文庫へ虫干しの時にお預かりしている蔵書を返す予定。
ようこそのお参りでした。