梅雨明け

7月13日(火)

中国地方が本日梅雨明け。

昨日と違って、今日はゆっくりと。

 

朝久しぶりに境内を掃除。
掃除中、ヒマラヤスギでキジバトの声がずっとしてたので、もしかして?と思いながら、そーっと。

大谷翔平選手のホームランダービー、あと一歩で敗退が決まったところで、スクーターに乗って先日の雨、昨日の雨で墓地に被害が出てないか確認に。

小須磨墓地、長浜東墓地とも、見た限りは大丈夫そうなので一安心。

蝉時雨の中、しばし草むしり。
そして、帰り道、ふとお墓の上に何やら光るものが。

避雷針?

初めて見る光景に。。。
 

何はともあれ、梅雨明けしていよいよ暑い夏がやって来る。

呉東組聞名講

7月12日(月)

今日は呉東組聞名講が真徳会館(東福浦説教所)にて。

本来ならそれほど忙しくない一日だった。。。

朝、小学校の読み聞かせ。
帰宅してとりあえずぶろぐ。

そして、午前中2件の法事。

お昼から、広と焼山で2件のお葬式。

焼山での式中に雷がゴロゴロ。
式中に停電とかって。。。とちょっと心配しながら。

御示談に間に合うようにと、急いで真徳会館に。

何とか時間通り到着したけど、肝心の老眼鏡。。。

こういう日に限って、いつもよりもたくさんのご回答。。。

親や祖母に連れられたのが聞き始め。
また、先立たれた妻のおかげで聞き始めと、それぞれにご回答。

お聞かせいただいて敬うこころをお育ていただく。

 

どんよりと暗くなり、雷も。
ひどくならないうちに早めに終了。

出にくい中、ようこそのお参りでした。

 

終わって一息ついたら土砂降りの中、還骨に。

そして今夜は総代会。

2年ぶりの門信徒会世話係総会に向けて、遅くまで。

 

 

広南小学校読み聞かせ(187)

7月12日(月)

今日は広南小学校読み聞かせ。

長男の高校が代休のため休み。

【子】明日、代休だから。
【親】明日、読み聞かせがあるけれど、行く?
【子】起きれたら行っても良いけど。。。
【親】じゃ、お願い。子どもたち喜ぶと思うよ。

と、前日の夕飯時の会話。

と言うことで、担当は坊守に代わって長男が2年生、そして私は4年生。

 

読んだ絵本は、

『ええたまいっちょう!』 (くすのきしげのり 作 吉田尚令 絵)

母子家庭の男の子。
友だちにからかわれ、泣かしてしまったことで、先生から自分だけ叱られた。

その学校帰りに、落ちていた泥だらけのボールを拾って、父のことを思い出し、交番へ持って行く。

交番では若いおまわりさんがやさしく対応してくれ、一緒にキャッチボールを。

そのおまわりさんとの出会いで、男の子には将来なりたい夢が。。。

 

久しぶりのくすのきしげのりさんの作品。
長男は同じ吉田尚令さんとのコンビ、『ぼくのジィちゃん』を。

読み終わった後、次々と感想を述べてくれた。

4年生は二分の一成人式を迎える。
いろんな人に出会ったり、いろんなことに出会う中で、自分の夢を見つけて欲しいな。

 

雨上がり

7月11日(日)

雨が上がり、久しぶりに陽の光。

大名蓮のつぼみがどの葉っぱよりも抽んでて、1メートルほどの高さに。

隣の小さな安頭春にも小さなつぼみが。

去年見れなかった大きな白蓮華《大名蓮》。
そして、小さな赤蓮華《案頭春》。

どちらもきれいに咲くことを願って。

 

それから、桔梗の側の女郎花おみなえしも咲き始め。

『万葉集』に山上憶良やまのうえのおくらが詠んだ秋の七草。

あききたるはなゆびりかきかぞふれば七種ななくさはな
はぎはな 尾花おばな くずはな 瞿麦なでしこはな 女郎花おみなえし また 藤袴ふじばかま 朝貌あさがおはな

奈良時代、秋の野に咲く花を数えると、ハギ、ススキ(=尾花)、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウ(=アサガオ)の七種であったと。

遙か遠い昔も、こうして同じ花を眺める人が。

 

東広島呉自動車道の阿賀インターチェンジ(先小倉)で、一夜にして重さ約660トン、長さ約80mの橋桁を、多軸式特殊台車なるものを用いて運搬架設。
その下を法事の帰りに通る。

頭の上に660トン。
そう思うと、いささか緊張。。。

ここを通る度に、どうやって架けるのか気になっていたけれど、まさかこんな大きな大きなものを台車で運ぶとは。
何はともあれ、これで渋滞緩和になってくれたら。
でも、開通までもうしばらく。

 

地震・大雨

7月8日(木)

豪雨災害から3年。

この時季を迎えると、毎日天気予報を気にしながら。。。

 

夜中、地震で目を覚ます。
  (午前1時24分頃、震源地:伊予灘、呉震度2)
次の地震はぐっすり寝入って気づかず。
  (午前2時39分頃、震源地:安芸灘、呉震度1)

1度目は結構揺れたように思ったけれど、夜中の突然の出来事に、なかなかからだが動かない。。。

 

朝起きると、呉市に洪水警報。
そしてその後、大雨警報。

JR呉線は終日運休、学校も休校。

お日さん、雨さん

ほこりのついた
芝草を
雨さん洗って
くれました。

洗ってぬれた
芝草を
お日さんほして
くれました。

こうして私が
ねころんで
空をみるのに
よいように。

         「金子みすゞ童謡全集」JULA出版局

雨が降るのは悪いことばかりではないのだけれど、ここ数年毎年日本のどこかで発生する線状降水帯。
それに伴う土砂災害。

くれぐれも、お気をつけて。

 

願い

7月7日(水)

今日は七夕。

願いごとを記した短冊をあちらこちらで。

これは乞巧奠きこうでんと言う中国の風習に由来するそう。
技巧を乞う。
織り姫様にあやかって裁縫の上達などを願う儀式だったとか。

「願いが届く」
「願いが叶う」

願いが成就した時は、何とも言えない喜びがある。

 

今朝、2つの願いに望みが。

1つは、蓮の蕾が1つ。

昨年の蓮を、今年は蓮根から育て、毎日毎日声をかけながらじっとこの時を待っていた。
でも、他所の蓮が開花したと言うニュース等を見ると、ダメだったのかなぁ。。。と心配に。

それが、昨日はなかったはずなのに、朝蕾が1つ。

これは嬉しい。

 

そして、もう1つ。
ヒマラヤスギにキジバトが戻ってきて、また抱卵を。

先日から姿を見かけるようになったので、ひょっとしたらと期待していたら、今朝前回の巣に。

でも、喜ぶのも束の間。。。
昼から庭木の剪定で職人さんが機械を使っていたから、ちょっと心配。
夕方、巣を覗くとキジバトの姿が見えず、白い卵だけが。。。

求不得苦。

 

願いが叶うのには時間もかかる。
早く早くと焦らずに。

五劫思惟之摂受

阿弥陀さまは五劫と言う長い時間を。

早く早くと焦らずに。

呉東組法中会

7月4日(日)

山門前の石段にふと目が止まる。

小さな小さな赤い花が一輪。

どこからやって来たのか、花自体はベコニアのようにも見えるのだけど、こんな葉っぱでなかったし。。。

こんなところに咲く花にふと心動かされるけれど、

枯木に花咲くより
 生木に花咲くに驚け

江戸時代の哲学者、三浦梅園のことばに。。。

何ごとも当たり前でなく、有り難し。

 

今夜は久しぶりの法中会が法謙寺にて。

先月は緊急事態宣言で中止となり、その後の組内行事も中止となったため、組内法中の皆さんと顔を合わすのも久しぶり。

 

当たり前のように会えていた頃が有り難し。

次回は当山にて。

広南中学校参観日

7月3日(土)

今日は広南中学校の参観日と広南寄席。

ただ、広南寄席は例年寄席前の授業参観だけで、寄席自体はいつも法事で観たことがない。。。

 

次男たち1年生は、中学に入ると最初にビブリオトークに取り組む。
生徒一人一人が違う本を読み、その本の紹介をしながら、何を学び、これからの自分にどう活かすかを、フリップを各自作って発表。

本はいろんな分野で活躍された方の自叙伝。

人の生き方にいろんなことを学んだみたい。

 

アクリル板越しに、マスクを外して発表する子どもたち。
1年以上ぶり?に素顔を見ると、みんな大人っぽく、しっかりした良い顔になってきたなぁと。

また、寺で用意しながらも使うことがなかったアクリル板。
久しぶりに見て、ここでちゃんと役に立っていることも嬉しいかぎり。

 

この後はジャンボ衣笠さん等の寄席を見て、落語の面白さに触れ、みんな秋に向けて落語を教わることに。

 

帰宅して、本堂での法事。

本堂に入るなり、「このまえは、読み聞かせに来てくださってありがとうございました」と可愛らしいお礼を言われた。
先月担当した2年生の男の子。

終わった後も、一人挨拶に来て、いろいろ喋ってくれ、「また来ます」と帰っていった。

「また来てね」

 

コロナ禍でも広南、みんなすくすくと。

 

 

 

 

 

 

学問とは

7月1日(木)

今日から7月。
そして、今日は呉空襲の日。
いろいろと思いを馳せながら。。。

国立国会図書館デジタルコレクションの『現代名流自伝』第1編に、前田慧雲勧学が「子の受けたる境遇と感化」と題して書かれた中に、石泉僧叡和上のことを挙げられていたので紹介。

 

石泉僧叡せきせんそうえい事蹟じせきに感ず

それから二三年の後、父から仏学のはなしを聞くについて、時々真宗の先哲せんてつはなしをしてれた事があります。其のうちついて最も感じたのが、芸州げいしゅう石泉僧叡せきせんそうえいといふ人のことで、父がそれをはなすについて、学問とふものは、この人のような学問でないと真実な学問でない。この石泉師せきせんしのは自身の心の底からして出た学問で、真の学問である。書物に書いてあるのを読んで覚えたり、口の上から聞き込んだけのものでは、学問とはへない。今日こんにちの学者はみな書物の上の事を受売うけうりしたり、師匠のふた事をり返すに過ぎないので、真実の学者でない。真実の学者は、自分で一けんしきを立てて、自分の心から出したものでなけらねばならぬ。ところこの僧叡そうえいふ人は、自分の説が当時の学者にれられず、本願寺からして糺問きゅうもんを受けたけれどもそれにもくっせず、安芸国あきのくにの一田舎の長浜といふところ隠居いんきょして、みずから学生をやしなうて、一生の間本山へはもちゐられずしておわった。その僧叡そうえいの目から見ると、本山にもちゐられてゐる学者共がくしゃどもは子供同様であって、初めから相手にしなかったくらいであると話されて、おおいに感動しました。成程なるほど、学問は書物に書いてある通りを其儘そのままふてゐるようではつまらぬ。どうしても一個の説を立てねばならぬといふかんがえおこりました。其後そののちふものは書物を見るたびに、無理矢理にでも自説をこしらへて見やうとつとめて、論語を読んだ時には『論語考』といふものを書いて、その草稿そうこう何処どこやらに有りましたが、今見るといふと可笑おかしい事ばかりではあるが、ふ事が多少の見識をつけました。

 

学問とは、そのまま受け売りするのでなく、自身の心の底から出てくるもの。

いつの時代も、先人の言葉に学ぶべきことが。

 

ちなみに、前田慧雲勧学は、専徳寺に建つ大洲順道の頌徳碑を書いてくださっている。