石泉文庫虫干し法座 3日目

9月30日(金)

今朝、石泉文庫虫干し法座御満座。

 

二河白道の

「百歩」とは、
人寿百歳に譬ふるなり。

『二巻鈔(愚禿鈔)』の中で、親鸞聖人はこの白道の長さが百歩と言うのは人の寿命百歳に譬えられたものだとお示しくださった。

「人間五十年」とは織田信長。

親鸞聖人ご在世の鎌倉時代の平均寿命は?と調べてみたら、何と24歳だそう。

と言っても、この時代は幼くして亡くなる子どもが多かったこともあってのこと。
また、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見ていると、毎週誰かが亡くなっていく。。。

初代鎌倉殿「源頼朝」は落馬が原因で51歳で亡くなり、義経・木曾義仲は30歳で。
でも、北条政子は68歳、その父で初代執権時政は77歳。義時は59歳。

法然聖人は80歳、そして親鸞聖人は90歳。

そう思うと、この白道、人によって短くもあり、長くもあるのかな。

 

また、親鸞聖人は〈みち〉を「道」と「路」とに区別された。

恐る恐る、不安を抱きながら、疑いを抱きながら歩むのが「路」。
お釈迦さまの「行け」(発遣)、阿弥陀さまの「来い」(招喚)の呼び声に身をまかせて一心に進むのが「道」。

同じ4,5寸でもそれによって狭くも感じ、広くも感じる「みち」のお味わい。

 

法座が終わり、石泉文庫へ蔵書をお返し。

初日のように人数が多くないので、何往復しなければならないかと心配したけれど、

 

初日には出番がほとんどなかったこれが今日は大活躍。

2往復するだけで、10往復分くらいの力。
ただ、上り坂は少々きつい。。。

わずか4,5寸の道ではないけれど、この細い道を人力によってすべてお返しできた。

後に残ったのは、

虫干しの際にヒラヒラと舞い落ちた銀杏の葉っぱのみ。
防虫用に先人達が挟んでいたもの。 

みなさんのおかげで、今年も無事虫干しを終えられ、ホッと。

ようこそのお参りでした。

石泉文庫虫干し法座 2日目

9月29日(木)

今日も曇り空。
モズの高鳴きが聞こえてきた。

今朝、石泉文庫虫干し法座2席目。

昨日に引き続いて二河白道の話より。

先日、彼岸会の時に『念佛日和』に二河白道を紹介し、読み直している時、幅4、5寸、長さ100歩と言うのがピンとこなかった。そこで本堂の外陣を畳の縁に沿って歩いてみた。

でも、畳の縁は4、5寸ではない。

そこで、幅15センチほどの白いテープがあるだろうか、とAmazonで調べてみたら、ちょうどいいのがあった。

養生用テープなら、畳の上に貼っても大丈夫。
そう思って注文すると、法座前日に届く予定。
よかったと思っていたのに、先日の台風の影響か、一日遅れて昨日の夕方到着。

早速昨日の夕方、本堂に。

端から端まで貼ることも考えたけど、とりあえず半分。
半分でちょうど20歩ほど。
100歩と言うのは、この白道の5倍。

虫干しの後、総代さん方が白道を歩く。

平均台と同じくらいだと言う話が出た。
でも、後で調べると平均台は10センチ。

体操選手なら火の河、水の河のこの白道を歩めるのかな?

ただ、行け、来いの喚び声があってこその白道。

 

ようこそのお参りでした。

 

午後から本を片付けて、ロープも片付け、いよいよ明日は朝席の後、石泉文庫へお返し。

 

石泉文庫虫干し法座 1日目

9月28日(水)

今朝は曇り。

朝席より石泉文庫虫干し法座。

コロナ禍で、マスクをしたままの作業になるのと、これまで行ってきた7月はここ数年天気の心配が大きくなったことで、9月後半に虫干しをすることに。

このたびは住職自勤で、朝席3席のみのご縁。

 

正信偈のおつとめの後、法話は先日彼岸会でお配りした『念佛日和』の二河白道の話より。

法話をしている最中、石泉文庫では総代のみなさんをはじめ、仏教壮年会の有志の方が2階の書庫からバケツリレー方式で1階へと下ろし、8時30分をまわると木箱を運ぶ声が境内から。
声が聞こえてきたので、きりのいいところで法話を終え、広南小学校6年生のみなさん、呉市よりお声かけしていただいてお集まりくださったボランティアのみなさんにご挨拶して石泉文庫へ向かっていただく。

 

 
 
 
 
 
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浄土真宗本願寺派 嶺宿山 専徳寺(@sentokunet)がシェアした投稿

石泉文庫と専徳寺の間を何往復もして本を運び、本堂での虫干し作業を。

そして、終わった後、いつものように石泉文庫のことをプロジェクターを使ってお話。

 

いつもより質問をたくさん。

終わった後、子どもたちは個々に持ってきていたタブレットで、思い思いの写真を。

終わった後、昼前まで呉市役所の方と総代さんを交えていろいろと。

そして、ちょっと休んで午後3時から干した本の後片付け。

木箱に入っていた書物を、番号をもとにチェック作業。

 

なかなか大変な作業ではあるけれど、大変だからこそ守り甲斐のあるご縁。

明日も朝席より法座と虫干し作業。

どうぞ、お気をつけてお参りを。

 

広南小学校のWebサイトにも今日の虫干しの模様。

広南小学校(http://www.kure-city.jp/~hirms/
→教育活動の様子→9月28日をクリック

来週、吉田松陰の松下村塾など、山口へ修学旅行へ。
今日の虫干しがいい形でつながるといいな。

 

ようこそのお参りでした。

 

明日より虫干し

9月27日(火)

今日は朝から雨の中の小坪地区の報恩講参り。

土砂降りで、雷は鳴るし、雨用の雪駄を履いても、かかとはどうしても濡れてしまう。。。

何とか午後から雨がおさまり、明日からの石泉文庫虫干しの準備。

総代・仏教壮年会有志のみなさんが集まって、本堂にロープを掛けるための竹を渡し、

本堂の端から端へ、ロープを張っていく。

知らない方には、とっても不思議な光景に映るかな。

 

明日朝7時30分より法座。

8時40分頃から石泉文庫より本を運び出し、専徳寺本堂で虫干し作業。

明日の天気はくもり。
気温も最高26度と、何とか開催出来そう。

ご参加いただける方は、どうぞお気をつけて。

#わたしの好きな呉

9月26日(月)

呉市役所Facebookにインスタグラムにあなたの好きな呉を投稿しよう!vol.3が。

そのチラシに専徳寺の石泉文庫虫干し。

昨年の専徳ねっとInstagramに投稿した写真を、市政だよりの取材のあと、虫干しの写真を他でも使用したい旨連絡があり、どうぞどうぞと使っていただくことに。

上段左が宇都宮黙霖終焉の地、澤原家の三ッ蔵。
そして、その隣に専徳寺。
そして、その隣はアサギマダラ。

#あなたの好きな呉

と、ハッシュタグをつけてインスタグラムに投稿したらよいのだそう。

インスタグラムのアカウントをお持ちでない方でも、メール等で応募できるとか。

(10月1日~来年2月28日まで)

  

明後日9月28日(水)、朝7時30分から石泉文庫虫干し法座(~9月30日)。

おつとめと御法話があり、そのあと8時40分頃から虫干し作業。

今年も広南小学校6年生のみなさんがお手伝いの予定。

どなたさまでもご自由に参加いただけますが、くれぐれも体調の悪い方はご遠慮いただき、コロナ対策をした上でご参加のほど、よろしくお願いします。

 

2022年9月26日 | カテゴリー : 石泉・黙霖 | 投稿者 : sentoku

中国新聞朝刊に

9月14日(水)

台風12号・13号・14号と、日本は3つの台風に囲まれ、フェーン現象のせいか、とにかく蒸し暑い。。。

今朝の中国新聞朝刊 呉・東広島版に、先日の黙霖没後125年の記事。

当日、吉田松陰の「一誠、兆人を感ぜしむ」の話をしようと思い、お参りくださった方に持ち帰っていただこうと、ハガキサイズの紙に印刷してお配りした。

 

記者の方にも質問されたが、このようなご縁をいただいたのは初めて。

滅多にないけれど、百回忌の次は百五十回忌であったりする。
また、仮に百二十五回忌をつとめるのであれば昨年だったのだけど、今年は黙霖さんとのご縁が次々とあり、再来年の生誕200年に向けて盛りあげていきたいと言う地元有志の方々の熱い願いで実現。

何はともあれ、みなさんが声を挙げ、ご縁が結ばれることは何より有り難い。

「一誠、兆人を感ぜしむ」

私も兆人の中の一人。

 

2022年9月14日 | カテゴリー : 石泉・黙霖 | 投稿者 : sentoku

黙霖没後125年

9月10日(土)

今年9月15日、宇都宮黙霖没後125年を迎える。

そこで地元有志の方々が、せっかくのご縁なのでと今日のご縁を企画。

ただ、たくさんの方にご縁にあっていただきたいけれど、まだまだコロナ感染が落ち着かないので、有志の方のみで開催。

おつとめをした後、黙霖さんの話は、吉田松陰からの手紙に記された「一誠、兆人を感ぜしむ」のお味わい。

「命をかけて貫く真心は、限りなく多くの人を感動させる」と言う意味だそうだが、当初倒幕を考えず、諫幕の立場であった松陰は、黙霖に手紙で私はこのような思いでいるのだから、藩主、そして幕府に説得をしていけば、やがてはその思いは届くはずだと告げた。

それでも、そんなことしていたらいつまでたっても変わらない!と、繰り返し繰り返し熱い思いで倒幕を説いた黙霖。
とうとう松陰は黙霖に降参した。

「一誠、兆人を感ぜしむ」、実際には黙霖こそがこの言葉どおりだったように感じる。

「兆人」とは、世界総人口が今年80億人に達するそう。それでも兆には達しない。
日本の人口も今では一億人を超えているけれど、一億人を超えたのは昭和42年。
黙霖や松陰のいた時代は、その3分の1ほどの3400万人ほどだったそう。

そう思うと、兆人とは未来も含めての数であろうし、その兆の中の一人が私であり、今日お集まりの方もそのお一人なのだと思えるなぁと。

そして、もう一つ。

今朝のNHKのニュース、おはよう日本に、全国ろうあ者大会で黙霖を演じてくださった砂田アトムさんがインタビューに。(→おはよう日本)

いろんなご縁を感じながら。

ようこそのお参りでした。

 

 

2022年9月10日 | カテゴリー : 石泉・黙霖 | 投稿者 : sentoku

黙霖さんのご縁

9月6日(火)

心配された台風11号。

昨日はどこもかしこも戸締まりの点検をして回ったけれど、このあたりはずいぶん静かに通り過ぎていった感じ。
ホッとしながらも、よそは大丈夫だったのかなぁっと案じながら。

 

今年9月15日が、宇都宮黙霖さんが亡くなって125年。

今週末、有志の方がお参りしたいとご縁を企画。

そこで何を話そうかと思案中。。。

 

今年は黙霖さんからのご縁をいろいろ。

春に呉ろうあ協会より出版された『黙霖 ろう勤王僧 宇都宮黙霖の生涯』に始まり、6月に全国ろうあ者大会が広島で開催。
その特別企画で『幕末の勤王僧 宇都宮黙霖』の手話パフォーマンス。

ゆかりのある方々としてご招待いただいたが、そのステージで黙霖さんを熱演されていた砂田アトムさんが!

今日の朝日新聞朝刊に。

LOVE LIFE』という映画に出演され、何とヴェネチア国際映画祭のレッドカーペットに。(→読売新聞オンライン「ろう者の映画出演、自然になる環境を目指して)

本当に、あの舞台が1回きりというのがもったいないくらいの熱演で、素晴らしかったなぁ。

 

それから、先月末の『中国新聞』呉・東広島版に呉市の手話言語条例制定の記事。

黙霖さんとのご縁で、いろんなことに次々と出会いが。

 

広南中学校が今年も起業企画でもくりんさん、いよいよスタート。

こちらも楽しみに。
→Facebookもくりんさん

 

お盆も明けて

8月21日(日)

お盆も明けて、8月もあと10日。

夏休みも終わりに差し掛かっている中、新型コロナウィルスの感染が再び拡大中。。。

 

お盆の間にキジバトのヒナの姿を見なくなった。
無事巣立ったのかなぁと、気にかけながら。

ツバメもあんなにたくさん電線に並んでいたのに、ほとんど姿が見えなくなった。
無事南へ渡ったかなぁと、気にかけながら。

 

夜には秋の虫の声が聞こえてくるようになり、少し秋の気配が感じられるようになったのかと思うけれど、日中はまだまだ暑い日が続く。

読経中にマスクが湿ってくると、息継ぎするのが。。。

 

お参り先で、「見ましたよ」と言われる呉市の「市政だより 9月号」。

「地域に根付く歴史文化を知る」という特集で、「石泉文庫及塾」が取り上げられた。

しかも、3面目に大きく1面。

紙面を見た家族に、「何で眼鏡掛けた写真?」と聞かれ、これは元々は「本を読んでるところを撮らせてください」って眼鏡掛けたまま撮られてる時に、「ちょっとそのままこっちに目線をください」と。
写真だけではその前後の物語が分からない。

印刷前に確認を求められ、「内容はいいと思うのですが、私の写真がちょっと大き過ぎるような・・・」と伝えると、「皆さんに知っていただかないといけないですから」と。。。

何はともあれ、PRになれば。

 

今年新しく取り入れたのは、「ネッククーラー」と言う冷蔵庫でしばらく冷やして首に巻くとヒンヤリするグッズ。

お参り中にはさすがに巻かないけれど、庭の清掃時に大助かり。

そして、充電式の扇風機。

お内陣でおつとめする時、扇風機に長い延長コードを用意する必要もなく、木目調なのでそれほど目立たずスッキリと。

お寺の中ではいろんなところに持ち歩いているのだけれど、さすがに外出先は。。。

 

今日も昨日も、仏壇じまいのお参りが一件ずつ。
これから家を壊すため、お仏壇にお礼のお参りの依頼。

家具や電化製品はほぼ取り払われているので、電気はつくけどクーラーも扇風機もなし。

それでも、「だいじょうぶです」と言いながら、滝のような汗をかき、扇風機持ってくれば良かったかもと。。。

 

そこにまるでコントのように、うしろでお参りされている方が団扇をパタパタ。

皆さんお揃いの団扇には、

「地獄に極楽」

え???

どうやら別府温泉で貰った団扇のようだったけど、団扇を持っていない私だけが地獄のような。。。

 

それはさておき、昨日と今日、総代さん方が担当地区にお配りいただく『念佛日和』を取りに来てくださった。

これから世話係さんにわたり、皆さんのお宅へと。

 

またお世話になります。 

 

 

 

全国ろうあ者大会 in ひろしま 特別企画

6月11日(土)

昨夜、広島市JMSアステールプラザ大ホールで、「全国ろうあ者大会 in ひろしま」の特別企画、『幕末の勤王僧 宇都宮黙霖』の公演が行われた。

このたびの大会に全国から約2000名の方がお越しになっているのだそう。

※会場内は撮影等禁止されていたので、このたびはチラシのみ。

宇都宮黙霖の生涯を
那須さんと砂田さんが
手話パフォーマンスします。
黙霖とゆかりのある方々も
ご紹介します!お楽しみにー♪

と、告知チラシにあるように、このたびは「黙霖とゆかりのある方々」の一人として、ご招待いただいた。

〈手話パフォーマンス〉、初めて見るので全くどのような公演になるのか見当もつかないまま会場に。

楽屋へ通していただき、出演者の那須英彰さんと砂田アトムさんにもごあいさつも。

 

「黙霖さんが15才の時に勉強した専徳寺の…」と紹介させていただくと、「常諦さんの!」と。

「常諦」と言う名前。
黙霖さんは知っていても、常諦さんの名前はなかなか出て来ないと思うのだけれど、嬉しい反応。

 

開演前に会場内の席に案内される。

静かな会場内では手話を使って皆さん会話を楽しんでいらっしゃる。
その中に手話を使えない自分。。。

ここでは自分がマイノリティ。

いつもはこの逆の世界があるのだなぁと、貴重な体験。

 

 

6時30分にこの著の作者松岡さんの挨拶で始まり、その後8時30分まで休憩なしのぶっ続けで黙霖さんの生涯を。

約2時間、ずっと見入ってしまったけど、お二人のパワフルかつユーモラス、表情豊かな手話パフォーマンスで黙霖さんの一生を伝えてくださった。

 

手話の歴史は新しく、宇都宮黙霖の時代にはなかった。

《参考》手話と口話―ろう教育130年の模索(https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/rounan/430/

 

聴覚を失った黙霖は、それでも自らの志を貫こうと、全国を筆談で回り、吉田松陰には降参したと言わしめるほどの存在に。

 

でも、その宇都宮黙霖のことを知らない人の方が多い。

それは、黙霖は筆談なので、1対1。

大勢に語りかけるには、言語が必要だったと。

そんな話を聞いて、手話の公演を見せていただき、最後は舞台上からご来場のたくさんの方の姿を見て、手話が〈ことば〉として伝わっている姿に感動。

最後は拍手ではなく、両手を挙げてひらひらと。

 

このたび、こちらには手話を通訳してくださった方の声を通して見せていただいたけど、今頃翻訳アプリも大変進化しているので、手話でもあるのかな?と思って調べたら、アメリカでは工科大学生が開発しているらしい。(https://heapsmag.com/arsl-sign-language-translation-interpretation-app-using-ar-high-tech

ただ、まだまだ日本で使えるようには時間がかかりそう。

とりあえず、日本で使える「こえとら」アプリをスマホに。

 

今日は朝から広南中学校の先生方が会場でもくりん饅頭などを販売。
たくさんの方にいろんなことが伝わりますように。

 

 

2022年6月11日 | カテゴリー : 石泉・黙霖 | 投稿者 : sentoku