師走

12月1日(木)

今日から師走。

予想どおり、寒くなってきた。

今日のお参り先で、「初めてストーブをつけました」というお宅も。

 

今日の通り報恩講で、数年前より耳が聞こえづらくなっている方のお宅へ。

コミューンをその方の前に置いて正信偈のおつとめ。

聞こえているかなぁと思いながらおつとめしていると、途中から一緒におつとめする声が聞こえてきた。

そして、『御文章』の聖人一流章を拝読する時も、「聖人一流の御勧化のおもむきは」と一緒に口ずさんでくださっている。

経本を持たず、耳だけで一緒に。

 

ヒアリングフレイルのことは前にも触れたが、聴力の衰えはいろいろな誤解を生み出してしまう。

ちゃんと届いてる。そのことを感じるだけでこちらも何だかうれしく。

 

今日は長浜を上がったり下がったり。

帰りに「こんじんさん」と呼ばれているところからお寺を見下ろす。
お寺の向こうに砂防ダムがこんな風に見えるのかぁと。

いつもお寺からは見えているけれど、なかなかここまで足を伸ばすことがない。

先日、ご法事へのお参り先で西山側からも撮ったのでついでに。

その近くに建設中の砂防ダム。
こちらは来年3月23日までと看板に。

 

今年もあと1ヶ月。
よいご縁をいただけますよう。

 

 

 

里山を愛する会

11月16日(水)

今日の中国新聞朝刊、呉・東広島版に、

里山を愛する会の芋掘りの記事。

先週末、広南小学校4年生が5月末に植えたサツマイモの収穫。
その翌日は、呉市内の家族連れ。

通り報恩講を済ませて行けるかなぁと思ってたけれど、葬式が出来たので結局行けずじまい。。。

 

あとで収穫されたサツマイモを。

専徳寺の境内も小さな里山。「嶺宿山」という名前の。

 

イソギク、フジバカマが満開。

フジバカマ、開花が遅かったので、アサギマダラはもう来ないかな。。。

長浜秋祭

11月3日(木)

今年の文化の日は快晴で暖かい。

3年ぶりに入江神社の秋祭開催。

とは言え、いろいろと感染症対策を講じながら、縮小しての開催。

 
 
 
 
 
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妙好人「芸州九右衛門男」として『妙好人伝』第二編に登場する想四郎・想吉兄弟にまつわるお祭。

少し賑わいが戻ってきた。

 

今夜は善通寺にて法中会。

呉ご当地キャラ祭

10月29日(土)

ずっと使っていたパソコンがとうとう壊れてしまった。。。

同じ頃に買い換えた電化製品も次々と。。。

そんなこともあり、ぶろぐも休み。

 

今日は大和ミュージアムの隣、大和波止場にて呉ご当地キャラ祭開催。

そこに広南中学校の「もくりんさん」が登場すると言うことで。

 

 
 
 
 
 
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ステージ上で、もくりんさんのこと、広南を立派にアピールを。

次は広教育祭で登場だそう。

 

何だか元気をいただいて。

 

広南学園 仏教壮年会10月例会

10月8日(土)

今日は午前中、広南中学校で広南劇場(文化祭)開催。

昨年も一昨年も無観客。
今年は各家庭2名までと人数制限はあるけれど、久しぶりの広南劇場。

8時30分開場と言うことだったので、席を確保するため、少し前に行ったのに誰もいない。。。

おかげでサイカチをじっくりと。

根元から新しい枝が。

また、数羽のコシアカツバメが飛び回ってる。
旅立たなくてだいじょうぶ?

法事のため、3年生の創作劇を見ることが出来ないので、ビデオを設置して中座。
法事から戻ってビデオで創作劇を鑑賞。

1年生の落語。

2年生の起業企画。

3年生の創作劇。

来年こそ、地域のみなさんにもご来場いただけたら。

 

先日『専徳ねっと』の画像・映像の使用許可を求めて中学校よりご連絡をいただき、どうぞどうぞと。
どこでどんなことが役に立つか分からないので、何でも記録しておかなければと。

 

夜は仏教壮年会の10月例会。

報恩講シーズンでもあり、また来週は聞名講も控えているので、「お念仏」の話より。

「称」の字に込められた意味を。

ちょっと修正した方が良いかなぁ。。。

 

お疲れのところ、ようこそのお参りでした。

 

 

 

ギネス認定

9月25日(日)

今日の中国新聞朝刊に、

青少年赤十字創設100周年の特別事業として、100万羽おりづるプロジェクトを。

広南学園もこれに参加。

小さな一つ一つの願いでも、それがたくさん集まると、大きな願いに。

ギネス認定、おめでとう。

この折り鶴は、これからノートに再生され、ネパールの子どもたちに贈られるそう。

カトマンズ本願寺にご縁のある子どもたちにも届くといいな。

 

それから、今日、一般社団法人「くれ・ひと・まち 情報応援団」の方々が広駅からの「まち歩き」で長浜を訪問。

ただ、法事の約束があったため、せっかく専徳寺へお越しいただいたのに対応出来ず。

長浜を案内して回られる総代さんに事前にその旨お伝えしていたので、本堂にご案内いただけたよう。

 

ようこそのお参りでした。

玉虫

9月5日(月)

東シナ海で停滞していた台風11号が北上し、いよいよ明日未明にこっちに来るそう。

どうぞ、皆さんお気をつけて。

 

今日はその台風が近づいているとは思えないくらい、青空の広がるいい天気。

車で寺へと帰ってくる手前の道で、目の前をキラキラ輝く緑色の虫が横断中。

もしかして??

と思い、車を駐め、近づいて見たら、予想どおりタマムシ!!

道路にいたら車にひかれてしまいそうなので、そっと捕まえて連れて帰る。

 

そして、写真に納めて元気で!と。

 

 
 
 
 
 
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以前、何度か玉虫の死骸を見つけたことはあったけれど、生きている姿を見たのはこれが初めて。

その時に法隆寺の玉虫厨子の絵本があるのを見つけ、買い求めたが、読み聞かせにはちょっと難しいかなぁとそのままお蔵入り。

『絵本玉虫厨子の物語』(平塚武 作・太田大八 画)

ああ、なんとこの世は、ふしぎな、そして、美しいものにみちみちていることでございましょう。草の陰にも、土のなかにも、くさった肉や、泥水のなかにでも、美しいものがひそんでいるのでございます。(中略)いまこそ若麻呂は、美しいもののまことを見ました。神を見ました。仏を見ました。いや、神をこえた美そのものを、はっきりと見ることができました。

実際にタマムシの輝く姿を見て、この絵本を読み返すと、「美しいもののまこと」、若麻呂の心の高ぶりに共感。

箪笥にタマムシを入れておくと、着物が増えるとの言い伝えがあるらしい。

着物が増えるより、また美しいもののまことに会えるといいな。 

 

 

帰ってきたキジバト

7月21日(木)

昨日は午後久しぶりに広島別院でサンガ部会の会議に出席。

帰って、夕方境内の水撒きをいつものようにしていると、何やら頭上で羽音。

先日から時折姿を見かけてはいたので、ひょっとしてと思い、そぉっと物陰に隠れて見ていると、どうやらキジバトが巣をかけたよう。

昨年ヒマラヤスギの同じ巣で、3度の托卵を見守ったけど、残念ながら3度とも雛は孵らず。

恐らくそのキジバトが帰ってきて、今度選んだ巣の場所は、

何と!!

ソテツ。

昔、『ファインディング・ニモ』で、イソギンチャクとクマノミの関係を知ったけど、ソテツとキジバト。
ここだと何にも襲われることもなさそうだけど、何ともチクチク。

 

キジバトは朝と夕方、雄と雌が托卵を交代するそうで、ちょうど水撒きの時間帯と重なるみたい。

今日も夕方、そろそろ交代する時間かなと思ってビデオを構えていると、すぐに近くの石灯籠の上に。

すると、巣にいた一羽が飛び立ち、周りの様子を見ながら石灯籠から巣の中に。

動画はこちらに(Instagram)

無事孵ることをそおっと遠くから見守るのみ。

線状降水帯

7月19日(火)

九州から関東にかけて線状降水帯が発生し、各地で浸水等の被害が出ているそう。

広島では一部大雨警報が出ているところもあるけれど、呉市は大雨注意報。

ただ、このあたりはそれほどひどい雨が降ることもなく、過ぎた模様。

朝、案頭春は夜中の雨できれいに散っていた。

 

今日の中国新聞朝刊、呉・東広島版に先日の坂田明さんの記事。

そして、今日届いた本願寺新報7月20日号に、

沖縄戦 広島の人へ

広島・住蓮寺門徒の渡辺敞子あきこさん(80)は、「沖縄で戦死した父の軌跡をたどりながら、次の世代の若者と平和を「学び続けたい」と、2010年から毎年、広島の学生たちに交じり、沖縄戦跡約60㌔を2泊3日の日程で歩く活動に参加し続けている。
「父が戦死したのは私が3歳の時。父の声も、肌のぬくもりも、記憶には何一つ残っていない。父を知るよすがは、学生時代の写真数枚と、召集後に伯母に送った軍事郵便はがきだけ」。渡辺さんの父・石田儀郎ぎろうさんは1918年生まれ。京都高等工芸学校窯業科を卒業し、満州(中国東北部)に渡り、大連の耐火レンガ工場で働いていた。妻の重子さんと渡辺さん、2歳下の妹・幸子さんの4人家族だったが、44年3月に陸軍歩兵第八九連隊の兵隊として臨時召集された。
同連隊は船で山口・下関、福岡・門司を経由し、8月に沖縄・那覇に到着。米軍の攻撃を受けて徐々に南下し、翌年5月末には日本軍最後の防衛戦となった沖縄本島南部の八重瀬岳で他の部隊と合流した。儀郎さんの連隊はそこで玉砕した。先の大戦で唯一の地上戦となり、200万人以上もの命が犠牲となった沖縄戦は6月23日、組織的戦闘が終結した。
 満州に残った渡辺さんたち家族3人は親族が迎えにきて45年6月14日に呉市に戻った。だが、くしくもその日、儀郎さんは沖縄で戦死した。後日、届けられた遺骨箱に骨は入っていなかった。渡辺さんは「いまだに父の遺骨は見つかっていない」と語る。
軍事郵便はがきは、儀郎さんが姉宛に書いたもの。「男子の本懐之に過ぎるものはありません。重子達の事は石田(父)に御願致します」など、短い文章の奥に家族を心配する様子がうかがえる。渡辺さんは「私たちに会いたかっただろうし、呉に帰りたかったと思う」と語る。
戦後、進駐軍で働きながら家族を支えてきた母は、父のことは語らなかったという。小学校の教員となった渡辺さんは、平和の尊さを子どもたちに伝えなければいけないと、呉市ではそれまで登校日でなかった原爆の日(8月6日)を登校日にするなど、平和教育に尽力してきた。
退職後の2005年6月23日、初めて沖縄県糸満市の「ひろしまの塔」で営まれた広島県出身戦没者の追悼法要に参拝し、そこで「陸軍兵籍簿」の存在を知った。広島に戻った後、兵籍簿で父の沖縄での詳しい足取りを調べた。
「父の歩いた道をたどりたい」と思っていた矢先、広島経済大学の岡本貞雄教授ゼミが行う沖縄戦跡を歩く研修ツアーの紹介記事を見て、岡本教授に連絡。 2010年からツアーに参加し始めた。
毎年2泊3日の日程で、約60㌔の行程を学生と一緒に歩く。かつて戦場だった沖縄の各地を回り、慰霊碑や壕などの現場を清掃し、手を合わせ、戦争体験者の話を聞いた。疑似体験のため、食事は乾パンに見立てたカロリーメイトと、スポーツドリンク、水だけ。
渡辺さんは「道の下にはいまだに多くの遺骨が埋まったままかもしれないと聞かされ、父の遺骨もあるのではと思った。原爆とは異なる戦争の凄惨な一面を突きつけられ、戦争はまだ終わっていないと実感した」。
父の終焉の地、八重瀬岳を訪ねた時だった。病院壕で従軍看護師を務めた白梅学徒隊の一員、中山きくさんが野戦病院の実態を語ってくれた。「弾雨の銃撃戦の中、亡くなったであろう父を思うと心が痛んだ」。
その中山さんが、広島で被爆者の体験談を聞いたことがきっかけとなり、「亡くなった仲間のためにも沖縄戦を風化させてはならない」と自身のつらい体験談を語る活動を始めたことを知った。
渡辺さんは「中山さんは『広島も原爆が投下され、大変な思いをされたでしょう』と初対面の私を妹のように迎えてくださった。多くの民間人が犠牲となった沖縄戦について広島ではあまり知られていない。広島の人が中山さんと同じように、沖縄の人に声をかけられるだろうか。毎年活動に参加して沖縄戦を学び、広島で沖縄戦について伝えていかねば」と語る。近年、修学旅行で沖縄を訪ねる広島の生徒に事前学習として沖縄戦を語る機会が増えたという。「みんな、かけがえのないいのちを生きさせていただいている。戦争がもたらすあらゆる痛みを共有し、自他共にいのちを大切にしなければ本当の平和は築けないと思う」と強く訴えた。

今朝の『ちむどんどん』を思い起こしながら。。。

忘れないように。
でも、忘れてしまうかも知れないので、ここに刻む。

 

案頭春開花

7月15日(金)

今朝、予想どおり案頭春が一つ開花。

10時頃にはだんだんと閉じ始め、

お昼には完全に閉じてしまう。

3年続けて開花した案頭春。
小ぶりだけど、きれいな蓮。

 

午後から第1回校区内補導及び防犯連絡協議会 兼長浜駐在所連絡協議会に出席するため、広南小学校・中学校に。

連絡協議会には、校区内(広津久茂・広長浜・広小坪)の各自治会長、民生委員、保護司、中学校評議員、老人クラブ会長、女性会会長、PTA会長・副会長、そして駐在さん等、たくさんの方が参加。

協議会の前に各クラスの授業参観。

コロナ禍で授業参観される方が減って、ある時は私1人??ってこともあったけど、今日はいろいろな方が。

 

来週からいよいよ夏休み。

子どもたちを地域で守るため、いろいろと話を聞かせていただいた。

連日、〈地域とともに〉。