専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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1月17日(月)
御正忌が明け、阪神・淡路大震災(1995)から27年目の朝。
今朝はコロナで大変な時ではあるけれど、今年初めての広南小学校読み聞かせ。
今日の担当は6年生。
恐らく今年度高学年の担当は最後かなぁと思いながら、ちょっと読むには長いけれど、
選んだ1冊は、
『つららのぼうや』(青木新門 原作・西館好子・渡辺あきお 作)
作者は映画『おくりびと』の原案として知られる『納棺夫日記』の青木新門さん。
〈つらら〉って、このあたりではまず見ることがないので、やっぱり富山地方の土徳かな。
もともとの原作は『童話 つららの坊や』。
それを少し削って絵本にしたのが、『つららのぼうや』。
どちらも比べながら何度も読んでみたけど、読み聞かせとしては『つららのぼうや』。
朗読するなら『つららの坊や』かなと思いながら。
「つらら、見たことある人!」
「・・・・」
やっぱり見たことないみたいだけど、読み始める。
読み始めると、しまった!!
眼鏡がどんどん曇り始め、まるで目の前が雪世界。。。
つららのぼうやは、
「死ぬことはちっとも悲しいことでない」
と言ったトチの木の
おじいさんの言葉を思い出しても、
なみだがとまりませんでした。
つららのぼうやは、
泣きつかれて眠ってしまいました。
そして夢をみました。つららのぼうやはとうめいな体を
キラキラさせて雲の上にすわっていました。
そこにはネズミさんもいて、
仲良くいっしょに遠くを見ていました。
光の世界が広がっていました。
光の中には、父さんも母さんも姉さんもいて、
みんなほほえんでぼうやの方を見ていました。
「命への感謝を伝える絵本」
表紙の見開きに記された言葉。
今年初めての読み聞かせ。
何か感じてくれたらいいなと思いながら。
1月16日(日)
御正忌報恩講、朝席で御満座。
おだやかな朝だけど、テレビでは「つなみ にげて」と。
トンガの〈フンガ・トンガ―フンガ・ハアパイ火山〉という海底火山が噴火したことによる潮位上昇が原因だとか。
今朝は昨日の五劫思惟の阿弥陀さまの話から、御本尊の阿弥陀さまの話。
善導大師が『観無量寿経』の住立空中尊を「立撮即行」とお示しになられた。
「撮」はつまむ(手の指でつまんで取り上げる)。また写真にうつしとると言う意味。
〈つまむ〉って言うのはピンと来ないのだけど、〈うつす〉方が何だか受け容れやすい。
写真に撮るのはそのまんまの姿。
昔、樹木希林さんがコマーシャルで「美しい方はより美しく そうでない方はそれなりに」と。
今の時代、美肌に修正して撮ったり、加工することも可能になっているけれど、本来カメラで撮るのはそのまんまの姿。
阿弥陀さまは立ったお姿で、そのまんまの私をお救いに。
立教開宗800年。
『教行信証』に記された「元仁元年」からまもなく800年。
阿弥陀さまの五劫思惟の願いを届けてくださった親鸞聖人を偲ばせていただきながらこのたびの御正忌報恩講。
みなさまのおかげで30分という短いご縁でしたが、無事御満座を迎えることができました。
ようこそのお参りでした。
法座が終わり、今日は海辺のお宅へ御法事に。
瀬戸内は大丈夫だったけど、高知で漁船が転覆した映像をテレビで見た後だっただけに、他所は大丈夫だったかなぁと案じながら。
このたびの『念佛日和』。
総代長さんが門信徒会みんなに届けたいと、また配っていただくことに。
お参り出来なかった方はしばしお待ちを。
1月15日(土)
御正忌報恩講。
昨年末には新型コロナウィルスの感染状況が落ち着いていたので、今年の御正忌は2年ぶりに5座を予定していたけれど、年が明け、あれよあれよと新型コロナウィルスの感染急拡大でまん延防止等重点措置。
そこでこのたびの御正忌報恩講は1日1席とし、15日昼席と16日朝席の2座のみ住職自勤で。
また、感染リスクを抑えるため、時間短縮でおつとめを讃仏偈に。
そして法話は『念佛日和』特別号にまとめてお配りし、話は短く。
中止にすることも考えたけれど、
明日ありと 思う心のあざ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは
親鸞聖人の御遺徳を偲ばせていただきながら、
寂しいながらも、いま遇えてよかった。
そう思えるご縁として大切に。
来年、本願寺では親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要を迎える。
その「立教開宗」とは、という話をするのに、五劫思惟の阿弥陀さまのお話から。
昨年末、五劫思惟阿弥陀仏座像のレプリカを求めた。
奈良の重要文化財の仏像がモデルだそうで、恐らく東大寺の阿弥陀さまかな。
印を結んでいるのではなく、合掌している姿がいい。
先週からNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が始まった。
その内起こるであろう源平の争いで東大寺の大仏殿が焼失し、その勧進職として再建に当たったのが俊乗房重源。
重源は大原問答で法然聖人と問答する相手の一人に名を連ねていたのに、その翌朝には自らを「南無阿弥陀仏」と名告ったとか。
一度だけ東大寺で国宝 重源上人坐像を拝見させていただいたことがあるけれど、何ともこれがすごかった!!!
その重源が中国から五劫思惟阿弥陀仏座像を持ち帰ったと。
この五劫思惟阿弥陀仏像といい、兵庫県に建立した浄土寺といい、勧進職としてご懇志を募る目的もあったのだろうけれど、この方の伝え方は大変興味深い。
弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。(歎異抄)
このお姿に込められているなぁ。
私のためにずっとずっと拝み続けてくださっている。
遙か昔より迷い続けている私のために。
呉市内での1日の新規感染者数が初めて100人を超え、広島県全体では1000人を超えたそう。
くれぐれもお気をつけて。
ようこそのお参りでした。
今夜はおたんや(大逮夜)。
何だか大変な状況だけど、「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ」
と、願わずにはいられない。
お正月の花がよく保ったので、そこにちょっと彩りを添えたのに、
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夜、ちょっとの間だけ、親鸞聖人像をライトアップして、寺族のみで花手水にキャンドルを。
大切なことなのでもう一度
世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ
1月13日(木)
呉市も広島県内でも新型コロナウィルスの新規感染者が過去最高だと。
そんな中、今日は午前中御自宅での17回忌の御法事に。
御主人の17回忌のご縁。
法話中ずっと肩を震わせ、よっぽど仲がよかったのかなぁと思っていたら、法事が終わると息子さんから「母が明日、〇〇(老人ホーム)に入所するんです。この家は誰もいなくなるので、今すぐではないけれど、近いうちに取り壊しになると思いますので、その時にはまた相談させてください」と。
それで、自分の隣に亡くなられた御両親の写真を並べ、ここでの最後の御法事をみんな揃ってお迎えになられたのか。
おりん
お佛だんかえたけど
おりんは どうしても
かえ難かったこのおりんは ご先祖さまも
母も 祖父母も ならされて
お別れにも ならした
おりんだ(『樹にきく 花にきく』宇野正一 柏樹社)
このお仏壇で迎えた最後の御法事。
この詩のように、このおりんの音色で、いろんな方のご縁に遇ってこられたのだなぁと思うと、何だか尊く。
コロナで法事の延期・中止、自宅から本堂への変更の連絡がチラホラと。
でも、今日は御自宅でお参りできて、何だか有り難く。
※1月20日(木)に予定されていた呉東組聞名講例会(法謙寺)は中止になりました。
1月9日(日)
まんぼう(まん延防止等重点措置)がいよいよ本日より31日まで。
御法事を延期したいというお電話をいただいたり、法事をもっと先に考えていたけれど、先が見えないから今日にでもお願いできますか?とお電話をいただいたり。
そんな中、今日の御法事で〈蓮〉の法話をしたら、大変喜んでくださって、「亡くなった母も喜んでると思います。花が好きだったから」と。
今日のご縁に導いてくださったお母さんも一緒にここでお聴聞してくださったんだぁと思うと、何ともありがたい。
「聞くとは」
今朝の朝日新聞朝刊、〈折々のことば〉より。
御正忌に向けて、いろいろと本を取り寄せたのだけれど、11日・12日と予定されていた小坪説教所の御正忌も中止の連絡があり、しばらく出番がなさそうな。。。
その中の1冊、本願寺出版社の『出遇えてよかったね』(宮崎幸枝)に、
「その脳の中にない話を聞いているのです! 私の側には、仏さまのお覚りの中身の持ち合わせは点数を付けたら零点。偏差値の高い大学出の賢い人も零点。ノーベル賞受賞者も零点。零点の人間からすれば、仏さまの百点満点のお覚りの中は不明。脳が解釈をつけて、まとめようとすると聞き間違うだけ。だからただ聞こえてくるお説教とお念仏の声を聞くだけ。それが身に滲みお育てに遇うのです。ただ念仏。お前の口にナマンダブツと出て救う・・・・・・と言われ、ありがとうございます、ナモアミダブツとお礼をするばかり。みんな零点同士。聴聞の点数は、こっちが零点のままで満点」
と。
そのまんまをそのまんま聞く。
親鸞聖人も「聴聞」の左訓に、〈ユルサレテキク シンジテキク〉と。
今日から本願寺では御正忌報恩講。
インターネット中継もあるのでそちらでどうぞ。