聞くとは

1月9日(日)

まんぼう(まん延防止等重点措置)がいよいよ本日より31日まで。

御法事を延期したいというお電話をいただいたり、法事をもっと先に考えていたけれど、先が見えないから今日にでもお願いできますか?とお電話をいただいたり。

 

そんな中、今日の御法事で〈蓮〉の法話をしたら、大変喜んでくださって、「亡くなった母も喜んでると思います。花が好きだったから」と。

今日のご縁に導いてくださったお母さんも一緒にここでお聴聞してくださったんだぁと思うと、何ともありがたい。

 

「聞くとは」

今朝の朝日新聞朝刊、〈折々のことば〉より。

 

御正忌に向けて、いろいろと本を取り寄せたのだけれど、11日・12日と予定されていた小坪説教所の御正忌も中止の連絡があり、しばらく出番がなさそうな。。。

その中の1冊、本願寺出版社の『出遇えてよかったね』(宮崎幸枝)に、

「その脳の中にない話を聞いているのです! 私の側には、仏さまのお覚りの中身の持ち合わせは点数を付けたら零点。偏差値の高い大学出の賢い人も零点。ノーベル賞受賞者も零点。零点の人間からすれば、仏さまの百点満点のお覚りの中は不明。脳が解釈をつけて、まとめようとすると聞き間違うだけ。だからただ聞こえてくるお説教とお念仏の声を聞くだけ。それが身に滲みお育てに遇うのです。ただ念仏。お前の口にナマンダブツと出て救う・・・・・・と言われ、ありがとうございます、ナモアミダブツとお礼をするばかり。みんな零点同士。聴聞の点数は、こっちが零点のままで満点」

と。
そのまんまをそのまんま聞く。

親鸞聖人も「聴聞」の左訓に、〈ユルサレテキク シンジテキク〉と。

 

今日から本願寺では御正忌報恩講。

インターネット中継もあるのでそちらでどうぞ。

https://www.hongwanji.or.jp/