6月3日(水)
安芸の安居、「安芸教区総講習会」が広島別院にて。
昨日もあったけれど、昨日は所用と重なり、途中からオンライン受講。
台風の影響で夜中に風が強かったようで、道路の脇には枯れ葉や枯れ木。
それでも台風一過、青空の広がる1日に。
月忌参りをいつもより早めにお参りさせていただいて、何とか講義に。
午前中は、元本願寺史料研究所副所長 金龍 靜 先生の
『戦国期教団論 ―中国地方を中心に―』
安芸教区内の寺院に伝わった御本尊や御影像をもとに、戦国時代にどのように教線を拡大していったかという興味深いお話。
講義のスクリーンに映し出されているのは、川尻光明寺に伝わる本願寺第9代ご門主、実如上人の花押と合致していると紹介。
下の写真は以前撮らせていただいた写真。
『芸藩通史』に「伊予中島の禅宗西光寺、上蒲刈島向浦に移、明応5年改宗し寺号も改。多賀谷氏の海上勢力範囲」と記されているそうで、当山専徳寺が改宗したのも恐らく多賀谷、白井水軍の影響が大きいのだろうと、ますます。
別院の本堂の余間に、見慣れないお名号が。
これは別院蔵法物、蓮如上人の无碍光本尊。
今のように下附されることは稀だったようで、そこから辿る今日の講義はなかなか興味深く。
午後からは『寺院消滅』の著者、ジャーナリストでもあり、浄土宗正覚寺住職 鵜飼秀德 先生の
『寺院消滅時代を、どう乗り越える?』
寺院僧侶と一般人のズレを指摘。
乗り越えていくための一つに挙げた、「お寺に花を咲かせる」。
ここで笑いが起こったけれど、「そうそう」と。
お寺に何が求められているかを感じるご縁。
そして、広島大学敦煌学プロジェクトセンター顧問、白須淨眞 先生の
『大谷光瑞師と大乗非仏説論 ―西本願寺の嗣法・法主はなぜアジア広域調査活動を展開したのか―』
大谷探検隊の話をこんなに詳しく聞いたのは初めて。
三原浄念寺の渡辺哲信さんの話は祖母から何となく聞いてはいたけれど、祖母の父 足利瑞義も祖母の叔母 甲斐和里子も探検隊に参加していたとは!
専徳寺の大谷光瑞ご門主お手植えのヒマラヤスギは、明治44年と記録されているので、第二次探検隊からお帰りになった後にお越しになられたのだと。
どれもこれも、いろいろと刺激的なご縁。



