平和を願う一日

8月6日(土)

今日は広島に原爆が投下されて77年目の8月6日。

原爆投下の午前8時15分より、いつものように鐘楼の鐘を撞き、本堂で家族のみのおつとめ。

そして、今日は3年ぶりにMAZDA Zoom-Zoomスタジアムでピースナイターの折り鶴コーナーのお手伝い。

安芸教区サンガ部会で、カープとコラボしたPEACE折り紙を使って、行ってきたこの行事。
コロナで過去2年、開催出来なかったけど、今年は入場制限がなくなったこともあり、感染症対策をして行うことに。

スタッフ数を減らし、マスク着用の上、フェイスシールド、ゴム手袋を着用。

これが暑いのなんの。。。

佐々岡監督を初め、コロナ前に別院での行事にお越しくださった九里投手、野間選手。

そして、栗林投手、大瀬良投手、坂倉選手。

皆さんに折っていただいた折り鶴を。

その横でお母さんに教えてもらいながら、小さな手で折り鶴を折る子どもの姿。

「久しぶりに折るから、折り方が・・・」

「初めて折るので、教えてください。」

と言われる方に教えるのが今日の仕事。

「この折り紙可愛い~」とか、折った後にカープ親鸞くんのシールをプレゼントされ、「帰ったらお仏壇に貼ろう!」と言う声を聞いたり。

5回終了時に緑に染まり、7回の攻防が終わるまで、折り鶴コーナーに。

オールスター明けの後半戦、ずっと黒星続きの広島。
今日も7回終わるまで5-2で、何とも球場内は静かな展開。。。

そのせいもあってか、折り鶴コーナーは長蛇の列で大賑わい。

 

7回を終わって撤収作業に入り、そのまま帰宅の途に。

駅に向かう時、9時前だったこともあってか、たくさんの方が駅に向かう。。。

 

今日も負けたのかなぁ、、、と思ってたら、何と何と9回に4点。
秋山選手のサヨナラ打!!

 

一人一人の小さな平和への願い。

それが広がると、

こんなにたくさんの願いに変わる。

この願い、届きますように。

仏教壮年会 7月例会

7月8日(金)

今朝、案頭春の2つ目のつぼみがソーッと。

今夜は仏教壮年会の7月例会。

5月・6月と瑞獣を通してお寺に親しんでいただこうと話をしたが、同じものを続けると飽きてくる。

違った話題を取り上げるのも大事かなと、今回はお念仏を大切にされた方の話より。

倉田百三の『念仏と生活』(青空文庫)を紹介。

私の信仰を言いますと、念仏を申さるるように生きるという一語に尽きる。

で始まる比較的短い文章。

倉田百三と言えば、以前仏教壮年会・仏教婦人会共催のビデオと講演の夕べで『出家とその弟子』をビデオ鑑賞(2017)。

あの時、庄原まで倉田百三文学館へ行ったことを思い出しながら。

 

「念仏申さるるように生きる」

自然法爾章、『歎異抄』の第一条を読みながら、「念仏申さるるように生きる」についてお味わい。

終わった後、質問で石泉のことについて聞かれ、石泉の「念仏と生活」を少しだけ。

 

終わると、久しぶりに聞くスマホのアラート!!

呉市に大雨警報(土砂災害)・洪水警報が発令。

 

今夜は安倍晋三元首相のこともあり、いろんなことを考えてしまうけど、

ただ念仏申さるるように生きる。

 

ようこそのお参りでした。

どうぞ、お気をつけて。

専徳寺門信徒会総代・世話係 総会

6月28日(火)

今日は午前10持から専徳寺門信徒会 総代・世話係総会。

改選期ではないので、今年度の退任者・新任者は各1名ずつ。

「いつもお世話になっております」のごあいさつより、今年の話題は石泉文庫のクロガネモチ。。。

そんな中、先日読み始めた『幸福は聞える声の中に』(信仰随筆・中川静村著)に、こんな一節を見つけたので、挨拶で少しだけ紹介。
折角なのでここでは全文を。

 困 る

 困るという字を、もう一度見直してもらいたい。 木は大自然が生んだ生命体である。誰の所有でもなかった。それを自分のものと誤認したのは人間の『妄想』であり、自己の所有として一つの箱にとじこめたのは、迷妄のなせる業であった。一本の木さえ自己の所有にしようとする人間の貪欲は、その貪欲の故に自らを困る地獄に堕したのである。他人の木がほしくなり、あらゆる木がほしくなり、果てしない欲望と独占がそこから生まれた。人間の『困る』原因は『我執がしゅう』がすべてである。自己中心にしかものが考えられず、どう理屈をつけ、どんなに美しいことをいっていても、その根本に『』をすて切れないところに、困る原因がはらんでいる。話し合おうといってみたところで、その話が『自分本位』ならどうにもなるまい。歩みよりどころか、互いのみにくさをさらけだすのが落ちである。名利みょうり愛欲あいよくすべて我執の煩悩である。親鸞はこの我執を血涙けつるいをもって『悲哉かなしきかな』と結んだ。 自己批判の極点に、身動きならぬ『自己本位』を発見し、その故に絶対他力による自己の粉砕を生涯の行とした親鸞は、人間としても見あげたものであろう。

 自己粉砕とは『無我』である。Aの中にBを見出し、Bの中にAを見る。 AB共にない融合と一如の世界を、親鸞は『真実』とよぶ。
 親の中に子を見、子の中に親をみる。 共に自分にとらわれず、相手の中に自分を生かそうとする。縁の領得には『困る』ところがない。一本の木を、共に所有しようというのである。 共有の緑を見直そうというのである。生きている自分でなく、生かされてある自分に気づく。一切とかかわりある生命に目ざめ、すべてのご恩によってここにある自己に合掌し感謝してゆく。相手の生命をわが生命と気づき、わが生命も相手の生命と仰ぐ世界が宗教の世界である。すべてが、絶対者である『仏』の生命の中に生かされていると考える。宗教の世界には対立も我執もなく、まして独占もない。

 木を一つの箱から、もとの大自然に返そうではないか。すると『困る』文字がこの世から消える。どういってみたところで、同じ人間であり、短いつかの間の生涯である。何一つ自分のものなどない。自分のものと考えるのは妄想であり、すべてが『あずかりもの』なのだ。 あずかりものを、めくじら立てて争ってみたところで、時がくれば、みんな返してしまわねばならぬ。何一つ残らないのが『死』である。必然の死を目の前にしている私たちが、偶然の名利愛欲にこだわっているのが大体おかしいのである。

 どうやらまた、国会の選挙が始まるらしい。 我執の一票に血みどろになり、空しい議席の争奪に自己をわすれる人も多かろう。ただ、大切な、国民の生命をあずかる本来の務めを忘れてもらっては困る。なにが一番大切なのか、かけがえのないものはなにか、ちょっと手をやすめ、一歩退いて、もう一度見直し考え直してみたい。老若男女、困っている本体が、案外つまらぬ原因ではないのか。もう一度、この文字をとくとごらん頂きたいと思う。

 

クロガネモチが倒れ、道を塞ぎ、隣家の屋根を崩壊。
そのあとで、この「木」の所有者は一体誰なのかと言う問題になった。

調べてみると、所有者は400名の昔の長浜の方。管理者は専徳寺。

県の史跡だから、このクロガネモチの樹もその一部となるのでは?とか、いろいろと話があっちに行ったりこっちに来たり。

『木』を誰のもの?と、『□』で囲んだ途端に、困った問題となった。

『□』で囲んで、こちらとあちらを分けてしまう。
そして、こちらが私、あちらは他者と。

これは「木」だけの問題でなく、いろんなところで聞く話。

〈愛着〉と〈執着〉。
そこはなかなか難しいけど、それに気づかせていただくのもまたご縁かな。

 

おかげさまで、滞りなく総会も終了。
暑い中をようこそお参りくださいました。

 

今日、中国地方は早くも梅雨明け。
セミの声も聞こえてくるように。

暑い夏になりそうなので、どうぞお気をつけて。

 

 

仏教壮年会 6月例会

6月8日(水)

今夜は仏教壮年会の6月例会が午後7時より。

先月は、襖絵に描かれた《牡丹と唐獅子》、《桐と鳳凰》について。

今月は、それに引き続いて同じく瑞獣の《麒麟》と《獏》について。

唐獅子にしても鳳凰にしても、今日の麒麟や獏にしても、中国の儒教を起源とした瑞獣たち。

それが日本にも伝わり、仏教と混ざり合って今に至っている。

浄土真宗のみ教えをストレートに見ていくと、この瑞獣達の存在はナンセンスなのかも知れないけれど、本堂のあちらこちらに存在するには、それなりの理由があってのこと。

そんな思いでいろいろと調べてみると、何とも結構興味深い。

大河ドラマ『麒麟がくる』やキリンビールでおなじみの麒麟。

そして、悪夢を食べると言われている獏。

悪夢を食べると言うのは日本で生まれた話だそうだが、獏は白居易の『獏屏賛』の詩を読むと、麒麟と同じく平和を願う象徴として。

 

他所のお寺の向拝の木鼻にはこの獏をよく見かけるけれど、〈象〉と間違ってしまいがち。
専徳寺の向拝の木鼻には唐獅子。

すると、どこに獏がいるかと言うと、

 

御本尊の宮殿の木鼻と親鸞聖人の御厨子の木鼻に。

 

「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ」

 

小坪薬師堂

5月15日(日)

今日は午後から広小坪の薬師堂へ。

小坪自治会の薬師堂祭。

祭と言っても、導師一人が入れるほどの小さなお堂に入り、参拝者は外にブルーシートを敷いて、みんなで一緒に正信偈をおつとめして御法話を。

 

コロナ禍で一昨年も昨年も中止となり、3年ぶりのご縁。

薬師堂には、薬師如来の御絵像の前に阿弥陀さまの御木像が安置されている。

その前でおつとめをしている間、ウグイスやシジュウカラ、いろんな鳥の声がよく響くので、『阿弥陀経』に出てくるお浄土の鳥の《和雅の音》を思いながら心地よく。

 

おつとめの後、「自灯明、法灯明」、よりどころとなるものの大切さを法話で。

 

終わった後、方向転換するには、螺山のテレビ塔まで行くのが一番安全なので、テレビ塔に向かう。

すると、

スロットマシーン?

そして、投棄されたゴミ?

3年前はこんなことなかったのに、とうとう螺山も不法投棄??

 

せっかく心地よくお参り出来たのに、何とも寂しい思いをしながら下山。。。

 

平日は工事をしているのでなかなか立ち止まって写真を撮ることは出来ないけれど、今日はお休みなので。
現在の小坪砂防ダム。

長浜の砂防ダムとどちらが早く完成するのだろう。

そう思って調べてみたら、広島県のwebに砂防ダムの進捗状況が。
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/209/saikanshintyoku.html

こちらは《小坪西川》と言うそう。

ちなみに、長浜の砂防ダムは《大盤川支流》と言う名前だそう。

長浜の砂防ダムが44メートルに対し、小坪の砂防ダムは67メートル。

どちらも大きいとは思っていたけれど、そんなに差があるのかぁと改めて。

 

ようこそのお参りでした。

仏教壮年会 境内清掃

5月9日(月)

今日は曇り。

朝9時から仏教壮年会の境内清掃。

境内・庭の草取り、石垣に生えた草取りを中心に。

昨夜の例会で話した鳳凰や唐獅子牡丹を、

向拝を見上げながら、あれが鳳凰で、あれが唐獅子と話をそれぞれにされていたので、これがお寺の姿だなぁと。

 

インドのサンチー仏塔には、お釈迦様の生涯や仏教説話が門に描かれている。

それを解説しながら伝えていく。
絵解きの起源はそこに。

 

今日は10時に法事の予定が入っていたので、途中で失礼して法事に向かった。

そこのお仏壇にも、唐獅子と牡丹。
そして、打敷に隠れてよく見えないのだけれど、そこには「鸞」?

お仏壇もいろいろ。

時々、これは何?と思うような彫刻が施されていたりするのを見かける。

でも、それをちゃんと伝えられたらいいなぁ。
と、一つ楽しみを見つけた。

 

境内の小手毬こでまりが、もう花が終わりに近いからか、ピンク色に染まりだした。

そして、今日から愛鳥週間。

先日届いた新しい合掌ガチャの《匠 鳥拝》を手水鉢に並べて。

 
 
 
 
 
この投稿をInstagramで見る
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

浄土真宗本願寺派 嶺宿山 専徳寺(@sentokunet)がシェアした投稿

 

昨日の例会に引き続き、ようこそのご参加でした。

仏教壮年会 5月例会

5月8日(日)

ゴールデンウィーク最終日。

今夜は仏教壮年会例会。

これまで午後7時30分スタート。
お仕事をされてる方でも参加しやすいようにと、発足以来ずっと変わらず続けて来たけれど、ここ数年そのような方の入会もないので、午後7時からにしませんか?と、先月の総会で意見が出て、このたびより7時スタートに。

コロナ前にしていたことにすぐ戻るのは難しいので、身近なところでご法義を少しずつ味わっていきたいな。
また、ご法義と一緒に自分のお寺のことをもっともっと知っていただきたいなと。

本堂の襖絵に描かれた《唐獅子と牡丹》、《鳳凰と桐》に込められた願いを今回はお味わい。

お寺のあちこちに唐獅子と鳳凰の姿。

それは、単なる装飾ではなく、そこに仏さまの心、このお堂を用意してくださった先達の心をうかがうことが出来る。

特にこの襖絵には、親鸞聖人700回大遠忌の記念に、戦後の日ソ国交回復に尽力した松本俊一氏と、同じく戦後のマツダ発展に尽力した村尾時之助氏、この両名が施主として刻まれている。

そう言った長浜の歴史とともに、大切に伝えていけたら。

 

明日は朝9時より仏教壮年会の境内清掃。
境内をきれいにした後、唐獅子や鳳凰の姿がこれまでと違って見えるといいな。

ようこそのお参りでした。

 

長浜日曜学校 入校式

4月9日(土)

今朝は隣の住蓮寺にて長浜日曜学校の入校式、そして花まつり。

新しく2人の兄妹が入校し、幼稚園児が1人見学。

 

お祝いのことばで、今日は桜の話を。

桜の花は夏につぼみをつけ、秋に葉を散らし、冬の間休眠状態に。

その花は暖かくなってから咲くのではなく、底冷えのするような寒さで目を覚まし、開花に向かう。

これを「休眠打破」と呼ぶそう。

でも、長浜は気候が穏やかなので、他所よりも花が少し遅く咲く。

ただ、目を覚ますのが遅くなっても、眠りっぱなしでなく、花は咲く。

お釈迦さまのことを「ブッダ」(目覚めた人)と呼ぶ。

何ごともなく、穏やかで平穏な日々をついつい求めてしまうけれど、悲しいことや苦しいこと、いろんなことを通して目を覚ますことも。

仏の子としていろんなことを学んで欲しいなと。 

 

コロナ禍と言うことで、甘茶はお釈迦さまにおかけするだけで、飲むのは中止。

ただ、中止で喜ぶ子も多い。

昔ながらの甘茶もいいけど、みんなが喜んで飲む甘露の飲料って他にないのかなぁ?と、ふと。

 

お釈迦さまのご誕生、おめでとう。そして、ありがとう。

 

 

仏教壮年会 総会

4月8日(金)

今日はお釈迦さまの誕生日。
花まつり

ただいま、境内には昨年植えた多年草が次々と芽を出し、桜も葉が青々と。

鐘楼前のハナカイドウも開花。

ただ、その近くにどこからともなくやって来たニラのような草が生い茂り、ちょっと臭いが。。。

手で触ると臭いが取れなくなるので、何とか手で触らないように。

まずは草を取り除き、そのあと土をふるいに掛けて。

草の量より土の中にあった根の量が半端なく、あっという間に45リットルのゴミ袋いっぱい。

せっかくきれいにしたので、ここにも何か。

毎日毎日、これらの植物を見て、たくさんのことを学ぶ。

 

今夜は仏教壮年会の総会。

昨年はコロナで出来なかったけれど、今年は対策を取りながら時短でサクサクと。

このたび1名がお辞めになられ、2名が新しく入ってくださって26名で今年度を開始。

そして、開始時間が夜7時30分から7時へと変更。

今年も、ともに学び、ともに味わえるようなご縁を。

 

春季彼岸会

3月21日(月)

彼岸の中日。

まん延防止等重点措置が解けて初めての連休。
すぐには通常には戻れそうにないので、朝9時から春季彼岸会をおつとめのみ。

おつとめのみと言っても、このたびも『念佛日和』特別号による文書伝道。

来られなかった方にも後日お届け予定。

そして、このたびも花手水。

春らしく、元気になるような、そんな色合いに。

雪柳が自由にあちこち伸びて、桜のつぼみが今日2つも増えていた。

そして、ずっと気になっていた桔梗も新芽が出て来た!

 

暑さ寒さも彼岸まで