専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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7月14日(土)
今日は朝から大雨・洪水警報が呉市でも発令。
そのため、長浜こども連合会主催のイベントも中止に。
このあたりでは雨はそれほど降っていないが、これまでの雨の影響が心配。
九州地方では、「これまでに経験したことのないような大雨」により、大変な状況になっていると聞く。
このたびの九州地方の被災されたみなさまには、こころよりお見舞い申し上げます。
こんな状況が続くと、いつになったらやむのだろう。本当にやむのだろうか。
と、いろいろと心配がひろがる。
そんななか、今朝境内で、今年初めてセミの声を聞く。
私たちはいろいろと心配しているが、セミの世界ではもう大丈夫と土の中から出てきている。
長い土のなかでの生活から出てきたセミは、限られた時間を精一杯生きる。
そのセミが正しいものと思いたい。
梅雨明けもそろそろかなと。
7月10日(火)
青空のもと、午後から広の浄円寺にて、呉東組聞名講の7月例会。
たくさんの講員の方がお聴聞に来られた。
正信偈のお勤め。
浄円寺御住職による聞名講宛の御消息拝読。
西光寺御住職による法話。
そして、御示談。
今日出た質問は3つ。
まずは、「御示談(ごじだん)」とはどういう意味でしょう?という質問。
蓮如上人の頃、僧侶の説く教えを一方的に聞くだけでなく、それを聞いた後、お互いの領解を語り合い、誤りを正していく方法が取られるようになったことにはじまる。
今、「示談」といえば、裁判をしなくても良いように、双方が話し合って解決する方法という意味で使われているが、もともとはそんな意味。
次の質問は、「聴聞」。
どちらも「きく」という字が使われているが、「聞」でなく「問」でないのはどうしてでしょう?
この質問は、問いを持って聞くのでは?という思いから起こった質問。
問いを持って聞くには、そこに自らのはからいがはたらく。
親鸞聖人は『御本典(顕浄土真実教行証文類)』の「聴聞」という字に、「ゆるされてきく、信じてきく」という意味を添えられた。
この「聴聞」、法を聞くことからお寺に参ることもすべて「お聴聞」と呼ぶようになった。
そして、「お聴聞」を通していただいたこころを「お味わい」と表現するようになる。
自分がしているのに、させていただいている。
お味わいの世界である。
そして、最後は聖典に載っているお経。
いつ、何のお経を読むと決まっているのでしょうか?という質問。
別に決まりはないのだが、多くの方がいつも家で読んでいるのは、正信偈か、重誓偈・讃仏偈と答えられた。
重誓偈や讃仏偈を読む理由で多いのは、「短いので」という答え。
お経を読むのは、仏徳讃嘆。
ほとけさまの徳をほめたたえること。
「忙しいから短いのを」という気持ちは分かるのだが、その場合ほめたたえるよりも、時間がないのでごめんなさい!という気持ちになりがちではないだろうか。
たとえ短くても、こころをゆったりと。
今日はそんな御示談で閉じる。
ようこそのお参りでした。
7月9日(月)
昨夜、仏教壮年会の例会中、専徳寺の講師部屋の天上に穴が開いて、そこから雨水が漏れているのが見つかった。
例会が終わった後、例会に参加していた総代さん方にそれを見ていただく。
先月、庫裏の降り棟が崩れ、修復の目処は立ったが、今度は・・・。
今朝、広南小学校の読み聞かせが終わって寺に戻ると、仏教壮年会の副会長Sさんが屋根に上がって状況を見てくださった。
何と、木が倒れ、おとなが一人入れるほどの大きな穴が開いていると。
それで、急遽総代さん方に連絡し、手伝っていただき、それを撤去することに。
応急処置として、倒れた木、壊れた瓦、屋根裏に散らばった瓦や木などを取り除いていく。
倒れた木は、2本。
いつ、どういう形で倒れたのか分からないが、大きな木が瓦の上に落ちてきたものだ。
畳や絨毯、いろんなところに被害があったが、それでも、不幸中の幸いというか、誰も怪我がなくてよかったと一安心。
ひとまず、これで水曜日からの雨に備えることが出来る。
総代さんや、お手伝いいただいた方に感謝。
7月9日(月)
今日は広南小学校の読み聞かせ。
今日の担当は4年生。
今日読んだ本は、ドン・フリーマンの『野はらの音楽家 マヌエロ』。
音楽が大好きなひとりぼっちのカマキリ“マヌエロ”。
コオロギやキリギリスのように羽をこすっても音が出ない。
ガマでフルートを作っても音が出ない。
花でトランペットを作っても、イチジクの小枝と蜘蛛の糸を使ってハープを作っても。
「やっぱり、ぼくには、むりなんだ・・・・・・・」
と、あきらめかけたとき、
「どんな気もちか、よくわかるわ。わたしも、音楽をかなでることが、できないから」
と、頭の上にぶらさがっていた小さなクモ“デビー・ウェブスター”。
ふたりは力を合わせてチェロを作った。
クルミの殻と先がくるっと丸まっている棒、そしてアオツグミの羽で作った弓。
そしてデビー・ウェブスターの糸でできた弦。
マヌエロは、なんとも美しい音色を奏でた。
その音楽に合わせて、相手にしてくれなかった虫たちが集まってきて、素晴らしい大合奏が。
読み終わった後、カマキリの鳴き声、クモの鳴き声って聞いたことがある?と尋ねたら、みんな首を横に振った。
一人でできなかったことが、友だちと一緒になら出来ることもある。
そんな話を聞いてもらった。
大津市でいじめを苦にしての自殺の問題がいろいろと聞こえてくる。
「いのち」、「こころ」。
いろいろと考えて、4年生には「ともだち」をテーマに選んでみた。
1学期最後の読み聞かせ。
当初1学期のみ参加ということでお願いしていたが、2学期からも行ける時は参加してみようかなと。
7月8日(日)
金曜日の激しい雷雨。
いろいろと心配されたが、昨日・今日と広の真光寺において、『第38回 ほとけのこども一泊研修会』が開かれた。
呉東組日校連盟の各団体より、小学校3年から6年生までの参加で、長男 碧流も初参加。
全員で35名が参加。そのうち長浜日曜学校から15名。
昼過ぎに、「楽しかった」と帰ってきた。
そして、今夜、専徳寺では仏教壮年会の7月例会。
7月は座談会としているが、早速息子から聞いた研修会の話をさせていただいた。
昨夜、研修会場の本堂に小さなムカデが出たのだそう。
みんな大騒ぎになっていると、住職さんが素手で捕まえて外に逃がしたと。
ムカデには何度か大変な目にあっているので、「何で逃がしたの?」と聞いてしまう。
「だって、ちょうど『蜘蛛の糸』のビデオを見たあとだったから」と。
犍陀多(カンダタ)という極悪人が、たった一つだけ善いことをした。
それは、小さな蜘蛛を踏み殺そうとしたが、
いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗にとるという事は、いくら何でも可哀そうだ。
と助けた。
地獄に堕ちた犍陀多に、そのことからお釈迦さまは蜘蛛を糸を垂らした。
芥川龍之介の有名な物語。
蜘蛛の糸でなく、ムカデに助けられる?
そんなことを考えると、・・・。
それでも、その物語から、みんな「いのち」を学んだようだ。
明日は1学期最後の読み聞かせ。