専徳寺のぶろぐです。
お寺のこと、地域のことを綴ります。
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9月24日(土)
今日も秋晴れのもと、秋季彼岸会2日目。
お昼の席で、姥捨て山の話をされ、
奥山に 枝折るしおりは 誰がためぞ
親を捨てんと いそぐ子のため
の歌を紹介された。
この話は、真宗大谷派の僧 近角常観氏が日本を訪れたアインシュタインの
仏さまとはどんなお方ですか?
という問いかけに対して、この姥捨て山の話をされたそう。
《参考》光明寺ホームページ
明日の朝席が御満座。
お誘いあわせておまいりを。
9月23日(金)
今日はお彼岸の中日。
今夜から秋季彼岸会の法座。
天上の扇風機もとまり、涼しい風に、虫の声。
御講師は、蒲刈の浄泉寺 東元孝昭氏。
明後日の朝席まで。
連休中、お誘いあわせてお参りを。
おかげさん
先日、『おかげさま』という絵本を紹介した。
その『おかげさま』と一緒に注文していた『おかげさん』という本がやっと届いた。
実はこの本。
どじょう内閣として有名になった野田総理の引用した相田みつを氏のことばが載っている。
このことばを聞いたとき、金子みすゞさんの有名な「私と小鳥とすずと」がふっと頭に浮かんだ。
ちょっと興味もあって注文したのだが、売り切れ。このたび増版されたものがやっと届く。
どじょうがさ
金魚のまねすることねんだよなあ
の詩は、この本では「みんなほんもの」というタイトルで紹介されている。
お釈迦さまは悟りを開かれた時に、この世に存在しているものは、すべて真理そのもの(一切衆生悉有仏性)としてあるものだ、と説かれております。山も川も、草も木も、河原の石ころ一ツそれぞれにほんもの(諸法実相)としてあるのだ、といわれているのです。つまり、仏さまの眼から見ると、にせものなしということです。
どじょうはどじょうとしてほんもの、金魚は金魚としてほんもの。どじょうが金魚のまねをした時、にせものになるんです。
あなたがあなたであるかぎりほんもの、わたしがわたしであるかぎりほんもの。ほんものより、にせもののほうがカッコいい、と錯覚して、一生をダメにしてしまう人間が多いのではないか、と私は思います。
相田みつを氏は、曹洞宗の禅僧 故武井哲応に師事して仏法を学んだそうだが、この『おかげさん』のなか、「卑屈と傲慢」と、「みんなほんもの」の次に出てくる「にせもの」の二つに親鸞聖人が登場する。
ドジョウの泥臭さばかりが強調されているが、ドジョウはエサを食べるとき、掃除機が何でも吸い取るかのように砂利も一緒に吸い込んで、エラから上手に砂利だけ捨て去る。
除雪車のようにエラから砂利が吹き出てくるのを初めて見たとき、衝撃的だった。
何でも最初から選り好みしないで、まずはすべてを受け入れて、上手に良いところだけを取っていく。ドジョウから学んだことである。
9月22日(木)
暑さ寒さも彼岸まで
台風一過。
今日は久しぶりの青空の下、小坪地区報恩講。
つい先日までの暑さもなくなり、汗もそれほどかくことなくお参りさせていただいた。
今日のお参り先で、白い彼岸花を仏華にお供えしているお宅があった。
仏華には、基本的に毒のある花、悪臭を放つ花、とげのある花は使わないとされる。
でも、この彼岸花には毒があるそう。
もともとは、稲と一緒に大陸より伝来し、田んぼのあぜ道などにモグラやネズミが穴を掘らないように植えられたといわれている。
また、お墓のまわりにも同じような理由で植えられた。
それで、お墓のまわりにお彼岸になると咲くことから、「死人花(しびとはな)」「地獄花(じごくばな)」「幽霊花(ゆうれいばな)」などと、あまり好まれない呼び名で呼ばれることも。
でも、この花の毒は、長時間水にさらせば無害になるそうで、戦時中などの非常時には食用にもなったのだそう。
この彼岸花。
これは江戸時代頃からの呼び名だそうで、別名を「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」という。
曼珠沙華とは、古代インドのことば「サンスクリット語」のmanjusaka(マンジュシャカ)の音写が由来だそうで、『法華経』というお経のなかに、釈尊が多くの菩薩のために教えを説かれたとき、天から
曼陀羅華・摩訶曼陀羅華・曼珠沙華・摩訶曼珠沙華
の四華をふらせて供養したと出てくる。
ここでいう曼珠沙華とは、天上に咲く花で、白くて柔らかく、これを見るものに悪を離れさせるはたらきをもっている花だそう。
どうやら、私たちの知っている曼珠沙華とは違うようだ。
曼陀羅華(まんだらけ)も、チョウセンアサガオの別名で、この花も有毒なのだそう。
でも、葉が薬に用いられるらしい。
曼陀羅華や曼珠沙華の名前が今の花につけられた意味は定かでないが、大切にされた花だからこそ、お経に出てくる名前がつけられたのであろう。
毒花ではあるが、天から降って仏さまを供養した曼珠沙華。
ちょうど彼岸の頃に咲く花。
彼岸。
自らの行く末をこころにいただく大切なご縁。
明日から『秋季彼岸会』。
お誘いあわせて、お参りを。
9月20日(火)
今日から報恩講参りを開始。
「報恩講(ほうおんこう)」とは、今年750回忌の法要を迎えた宗祖親鸞聖人の御遺徳を偲ぶ大切な御法事。
1月16日が御命日で、本願寺では御正忌報恩講がつとまる。
それに先だって、各寺院や各門徒宅で報恩講をつとめ、そして御正忌には御本山へお参りするのが慣わしだったため、各寺院や各門徒宅でつとめるのはお取越の報恩講と呼ばれている。
ただ、なかなか御正忌に京都へお参りすることも出来ないため、お取越の報恩講とは別に「御正忌報恩講」を専徳寺では毎年御正忌におつとめしている。
今年もそのお取越の報恩講が、例年どおり小坪地区からはじまった。
これから12月半ばまで、平日の午前中、住職と菅原法務員の2人でお参りする。
正信偈和讃と『御文章』の聖人一流章。
多いときで1人10数軒お参りするので、1時間に3,4軒。
以前は1軒1軒まわった後、最後にその地区の世話係のお宅にみんなが集まり、そこでみんなでおつとめし、法話をし、その後みんなでお斎をいただいた。
でも、数年前にすべてなくなった。高齢化も進み、なかなか難しくなったこともあって。
そのときの精進料理のお斎につきものだったのが、長浜名物のうどん豆腐。
何とそのうどん豆腐が、NHKの「みんなのきょうの料理」ホームページに紹介されていた。
作者は、専徳寺報恩講のお斎もお手伝いいただいている上野さん。
時代の流れのなかで、いろんなものが移り変わっていく。
小坪小学校には「137年ありがとう さよなら小坪小学校」の横断幕。
来年から長浜小学校と合併し、『広南小学校』に。
姿・形は変わっても、大切なことはしっかりと伝えていきたい。
9月19日(月)
今日は敬老の日。
台風接近のニュースのなか、雨も降ることなく、敬老会が行われた。
本堂に舞台が組まれ、長浜自治会主催の敬老会特設会場に。
長寿、金婚式・銀婚式のお祝いの式典があった後、オープニングを長浜小学校の5・6年生の児童による龍神太鼓が披露され、お祝いに花を添える。
その後はカラオケや舞踊が演じられ、賑やかにみんなでお祝い。
長浜一の長寿は100歳の男性だそう。
御高齢な方もそうかも知れないが、子ども連れにも今の世のなか、なかなか厳しいことがある。
先日、新幹線に乗ったとき、つくづく何て居づらい空間だろうと思ったことか。
そんなとき、こんな言葉を思い出した。
子供しかるな 来た道じゃもの
年寄り笑うな 行く道じゃもの
来た道悔やむな 戻れぬ道じゃ
この言葉は誰の言葉か分からないそうだが、以前法話のなかで聞かせていただいた。
近頃は「おたがいさま」という言葉が消えていっているらしい。
困ったときはおたがいさま。
相手を思うこころ、助けあうこころ、そんな言葉が日本語には存在する。
今日は、地元の子どもたちが地元の先輩たちの前で太鼓の披露。
それを子どもの親たちが見に来たり。
そんなことを通して、いろんな世代の方が顔を合わせ、それぞれにいろんなことを感じるのも大切なことかと。
相手を敬うこころ、思いやるこころを大切に。