10月31日(木)
今日で10月も終わり。
呉東組の行事も親鸞聖人讃仰会、仏壮連盟、聞名講、若婦人連続研修会、ご縁の会・・・など、盛りだくさんの1ヶ月。
締めくくりの今夜は、光明寺にて我聞会の10月例会。
輪読の『蓮如上人御一代記聞書』は(152)(153)。
(151)は「難中之難」、(152)は[信じる]・[謗る]、[信じる]・[疑う]について。
法話では、アンパンマンのマーチ、金子みすゞの『花のたましい』より、葬式の際のご和讃2首のお味わいを聞かせていただく。
輪読・法話を聞かせていただきながら、今日の出来事を思い浮かべた。
今日はお参り先で3名の方の涙に出遇った。
お母さんを亡くされた息子さんの涙。
1ヶ月、兄弟で代わる代わる寝ずの看病。
思い返すと、そこにお母さんの願いを感じたと。
子どもが次々と先立って、一人残った娘も余命わずかで入院中。
自分が亡くなったら、この家は絶えてしまうから、その後のことをどうしたら良いでしょう・・・と80を過ぎたお母さんの涙。
ご主人を亡くされ、一周忌を来春に控えているけれど、それまで納骨は・・・と、寂しそうな涙。
いろんな涙に出遇いながら、ただ[はからう]ことなく、頷いて聞くばかり。
限られた時間の中でもあるが、それしか出来ないなと。
往生ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず、ひとすぢに如来にまかせたてまつるべし。すべて凡夫にかぎらず、補処の弥勒菩薩をはじめとして仏智の不思議をはからふべきにあらず、まして凡夫の浅智をや。(執持鈔)