12月3日(木)
昨日・今日と、長浜沼田地区の通り報恩講。
昨日のお参り先で、今日西山(黄幡山)の防空壕(地下壕)に、長浜郷土史を勉強されている方と一緒に入るんですよと、話を聞かせていただいた。
集合が10時半ということで、報恩講の日程と重なって無理だろうなぁと思っていたけど、今日は数が少なく、お参りを終えて、ちょうど皆さんが行かれるところにご一緒させていただいた。
普段は施錠されて、入ることのできない地下壕。
懐中電灯の明かりだけをたよりに。。。
第2次世界大戦時、戦況が悪化し、国家総動員で動員された学徒、女子挺身隊の若い方たちが、戦闘機の部品をここで組み立てていたのだと。
子どもの頃に中に入って遊んだ方もおられたようだが、危険なために施錠され、立ち入り禁止。
塞がれたこの穴の向こうは、東アジア最大といわれる米軍弾薬庫のひとつ、広弾薬庫。
子どもの頃、よく螺山に登り、砲台跡へは行ったことがあるけれど、今日はひょんなことからご縁をいただいて、戦時中の長浜の知らない一面を。
戦後70年。
来年、公開の決まったアニメ映画『この世界の片隅に』。
それをきっかけに今年読んだこうの史代さんの原作の下巻の最初くらいに出て来る広海軍工廠。
この地図の一番上にある重油タンクも今日の話に出てきたなぁ。。。
今日入ったのはこの下あたりだ。
この映画公開をきっかけに、少しくらい注目されるかな。。。
今日ここに入って、以前沖縄の野戦病院に使われていた真っ暗なガマ(壕)で、ロウソク1本のあかりの中、ガイドさんから説明を受けたことを思い出す。
小学生には難しいかも知れないけれど、学徒動員・女子挺身隊、同じ年頃の中高生対象に平和学習として利用できるといいなと思いながら。
《参考》 学徒動員による戦中体験記 (『呉の戦災』より)