10月1日(土)
今日から10月。空がすっかり秋空に。
これから数日で朝晩かなり寒くなるそう。
くれぐれも体調には気をつけて。
この10月は、行事が目白押し。
6日は報恩講を控えて仏具をきれいにするおみがき。
11日は呉東組聞名講の報恩講が当山専徳寺で。
13日から15日まで、報恩講法要。
25日が呉東組親鸞聖人鑽仰会の仏教講演会が当山専徳寺で。
そして、11月20日(日)には、笑福亭仁智さんを招いて初めての落語会も。
次々とこの秋は多くのご縁が。
お誘い合わせて、お参りを。
TEL.0823-71-7926
〒737-0136 広島県呉市広長浜3-13-21
9月30日(金)
9月最終日。
今日で小坪地区の報恩講が一段落。(臨海・東小坪を除く。)
初日こそ台風が心配されたが、今日も雨が少しぱらついた程度。
おかげで無事終えることが出来た。
この小坪には、『広小坪地区の褶曲(しゅうきょく)と断層』が、呉市の天然記念物に指定されている。
長浜でも、長浜公園(通称:三角浜)で花崗岩の方状節理というものが見れるのだそう。
ジュラ紀の地層だそうで、大昔アラメの鼻の専徳寺墓地あたりは海の下だったそう。
昨日もそうだったが、昼前の満潮時、海面がすぐそこまで。
1年で一番潮位が高くなる時期だそうが、これまでこんなに高くなることはなかった。
また、古代の海へと戻っていくのだろうか・・・と、ふと思う。
9月29日(木)
今日は16時よりクレイトンベイホテルにて、大田利生先生勧学昇階祝賀会が開かれた。
安芸南組主催の祝賀会。
勧学とは、浄土真宗本願寺派の学階制度の最高位で、現在この安芸教区では霊山勝海和上に次いでの勧学である。
大田先生とは、今から20年ほど前の大学院時代、浅野教信先生(勧学)のゼミ生を中心とした『浄土教思想研究会』の旅行で、タイ旅行へとご一緒させていただいた。
タイのチェンマイからバンコクまでを陸路バスで移動した旅。
行った時期が8月だったので、毎日スコール。
チェンマイで少数民族の村へ行く予定だったが、途中スコールに遭い、道が悪いので希望者のみ行こうということになった。
そこへ向かうための車を待っていると、到着したのは何と幌つきのトラック。
その幌つきトラックの荷台に乗り込んだ希望者は、浅野教信先生と川添泰信先生(司教)、そして大田先生と先輩のK氏と私の5人だけ。
未舗装の悪路を揺られながら行ったのを思い出す。
祝賀会の後、講演を聞かせていただいた。
そのなかで、
対話とは、聞くということからはじまる
という言葉が印象に残った。
今夜は勧学寮頭 普賢晃壽和上にも久しぶりにもお目にかかり、いろんなことを思い出させていただいた。
9月25日(日)
今夜は阿賀の称名寺にて呉東組若手僧侶の勉強会『我聞会』の例会に。
輪読は、『蓮如上人御一代記聞書』(109)(110)。
(109)は、本願寺の現代語版と、他の『聞書』の注釈書の訳し方がまったく違うという。
現代語版にもそのあたりのことが註に書かれているのだが、他の書の訳し方から見ると、蓮悟という人物はどんな人物であったのだろうか。と、そんな話で盛り上がる。
法話は、「自分が願われている」という話を聞かせていただく。
東井義雄(とういよしお)先生のお年玉の話から、親から願われていることに気づかされたという話。
この話を聞かせていただきながら、大晦日に行った『安穏のともしび』のこと、「願」バッジのことがふっと頭に浮かんだ。
願われていることに気づくご縁。
とても大切なご縁である。
この話を聞いて、早速帰宅してAmazonで検索。
「いのち」の教え
在庫が「残り1冊」となっていたので、迷わず購入。
秋の夜長。読書の秋となるだろうか。
その秋の夜長で、ふと思い出した。
我聞会からの帰り、専徳寺までの道筋を車で走っていると、溝に降りて逃げる焦げ茶色の後ろ姿。
どうも、あれはタヌキ。
昨年は10月末に大きなタヌキの夫婦が境内を走り去るところを見かけた。
そして、時々糞があったが、いつの間にか消えて。
今日のは少し小ぶりだったので、その子だろうか?
専徳寺も月夜に誘われタヌキがそろそろ出てくるようになるかな?
ちなみに、童謡『証誠寺の狸ばやし』で知られる証誠寺(千葉県木更津)も、浄土真宗本願寺派のお寺である。
9月25日(日)
今朝の席で秋季彼岸会も御満座。
今朝は大江淳誠和上の六字釈の味わいを。
これは、蒲刈の御門徒さんが亡くなったおじいさんの遺品を整理していたら、大江淳誠和上の六字釈の講義を筆記したものが出てきたそう。
それを百ヶ日の法事のとき、「茶の子」にしてお配りした。
「茶の子」とは、法事の際の供物や、参拝者に対しての配りもの。
「粗供養」という地方もあるようだが、このあたりでは「茶の子」が一般的。
もともとはお茶に添えるちょっとしたお菓子をいったのであろうが、それがちょっとしたものという意味で、来ていただいた方にお礼を込めて「茶の子」としてお渡しするように。
そこから生まれたことばが、「お茶の子さいさい」。
ちょっとしたものであっても、時にはそれが大きなご縁に。
次回の法座は10月の報恩講法要。
お誘いあわせてお参りを。
9月24日(土)
今日も秋晴れのもと、秋季彼岸会2日目。
お昼の席で、姥捨て山の話をされ、
奥山に 枝折るしおりは 誰がためぞ
親を捨てんと いそぐ子のため
の歌を紹介された。
この話は、真宗大谷派の僧 近角常観氏が日本を訪れたアインシュタインの
仏さまとはどんなお方ですか?
という問いかけに対して、この姥捨て山の話をされたそう。
《参考》光明寺ホームページ
明日の朝席が御満座。
お誘いあわせておまいりを。
9月23日(金)
今日はお彼岸の中日。
今夜から秋季彼岸会の法座。
天上の扇風機もとまり、涼しい風に、虫の声。
御講師は、蒲刈の浄泉寺 東元孝昭氏。
明後日の朝席まで。
連休中、お誘いあわせてお参りを。
おかげさん
先日、『おかげさま』という絵本を紹介した。
その『おかげさま』と一緒に注文していた『おかげさん』という本がやっと届いた。
実はこの本。
どじょう内閣として有名になった野田総理の引用した相田みつを氏のことばが載っている。
このことばを聞いたとき、金子みすゞさんの有名な「私と小鳥とすずと」がふっと頭に浮かんだ。
ちょっと興味もあって注文したのだが、売り切れ。このたび増版されたものがやっと届く。
どじょうがさ
金魚のまねすることねんだよなあ
の詩は、この本では「みんなほんもの」というタイトルで紹介されている。
お釈迦さまは悟りを開かれた時に、この世に存在しているものは、すべて真理そのもの(一切衆生悉有仏性)としてあるものだ、と説かれております。山も川も、草も木も、河原の石ころ一ツそれぞれにほんもの(諸法実相)としてあるのだ、といわれているのです。つまり、仏さまの眼から見ると、にせものなしということです。
どじょうはどじょうとしてほんもの、金魚は金魚としてほんもの。どじょうが金魚のまねをした時、にせものになるんです。
あなたがあなたであるかぎりほんもの、わたしがわたしであるかぎりほんもの。ほんものより、にせもののほうがカッコいい、と錯覚して、一生をダメにしてしまう人間が多いのではないか、と私は思います。
相田みつを氏は、曹洞宗の禅僧 故武井哲応に師事して仏法を学んだそうだが、この『おかげさん』のなか、「卑屈と傲慢」と、「みんなほんもの」の次に出てくる「にせもの」の二つに親鸞聖人が登場する。
ドジョウの泥臭さばかりが強調されているが、ドジョウはエサを食べるとき、掃除機が何でも吸い取るかのように砂利も一緒に吸い込んで、エラから上手に砂利だけ捨て去る。
除雪車のようにエラから砂利が吹き出てくるのを初めて見たとき、衝撃的だった。
何でも最初から選り好みしないで、まずはすべてを受け入れて、上手に良いところだけを取っていく。ドジョウから学んだことである。
9月22日(木)
暑さ寒さも彼岸まで
台風一過。
今日は久しぶりの青空の下、小坪地区報恩講。
つい先日までの暑さもなくなり、汗もそれほどかくことなくお参りさせていただいた。
今日のお参り先で、白い彼岸花を仏華にお供えしているお宅があった。
仏華には、基本的に毒のある花、悪臭を放つ花、とげのある花は使わないとされる。
でも、この彼岸花には毒があるそう。
もともとは、稲と一緒に大陸より伝来し、田んぼのあぜ道などにモグラやネズミが穴を掘らないように植えられたといわれている。
また、お墓のまわりにも同じような理由で植えられた。
それで、お墓のまわりにお彼岸になると咲くことから、「死人花(しびとはな)」「地獄花(じごくばな)」「幽霊花(ゆうれいばな)」などと、あまり好まれない呼び名で呼ばれることも。
でも、この花の毒は、長時間水にさらせば無害になるそうで、戦時中などの非常時には食用にもなったのだそう。
この彼岸花。
これは江戸時代頃からの呼び名だそうで、別名を「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」という。
曼珠沙華とは、古代インドのことば「サンスクリット語」のmanjusaka(マンジュシャカ)の音写が由来だそうで、『法華経』というお経のなかに、釈尊が多くの菩薩のために教えを説かれたとき、天から
曼陀羅華・摩訶曼陀羅華・曼珠沙華・摩訶曼珠沙華
の四華をふらせて供養したと出てくる。
ここでいう曼珠沙華とは、天上に咲く花で、白くて柔らかく、これを見るものに悪を離れさせるはたらきをもっている花だそう。
どうやら、私たちの知っている曼珠沙華とは違うようだ。
曼陀羅華(まんだらけ)も、チョウセンアサガオの別名で、この花も有毒なのだそう。
でも、葉が薬に用いられるらしい。
曼陀羅華や曼珠沙華の名前が今の花につけられた意味は定かでないが、大切にされた花だからこそ、お経に出てくる名前がつけられたのであろう。
毒花ではあるが、天から降って仏さまを供養した曼珠沙華。
ちょうど彼岸の頃に咲く花。
彼岸。
自らの行く末をこころにいただく大切なご縁。
明日から『秋季彼岸会』。
お誘いあわせて、お参りを。
9月20日(火)
今日から報恩講参りを開始。
「報恩講(ほうおんこう)」とは、今年750回忌の法要を迎えた宗祖親鸞聖人の御遺徳を偲ぶ大切な御法事。
1月16日が御命日で、本願寺では御正忌報恩講がつとまる。
それに先だって、各寺院や各門徒宅で報恩講をつとめ、そして御正忌には御本山へお参りするのが慣わしだったため、各寺院や各門徒宅でつとめるのはお取越の報恩講と呼ばれている。
ただ、なかなか御正忌に京都へお参りすることも出来ないため、お取越の報恩講とは別に「御正忌報恩講」を専徳寺では毎年御正忌におつとめしている。
今年もそのお取越の報恩講が、例年どおり小坪地区からはじまった。
これから12月半ばまで、平日の午前中、住職と菅原法務員の2人でお参りする。
正信偈和讃と『御文章』の聖人一流章。
多いときで1人10数軒お参りするので、1時間に3,4軒。
以前は1軒1軒まわった後、最後にその地区の世話係のお宅にみんなが集まり、そこでみんなでおつとめし、法話をし、その後みんなでお斎をいただいた。
でも、数年前にすべてなくなった。高齢化も進み、なかなか難しくなったこともあって。
そのときの精進料理のお斎につきものだったのが、長浜名物のうどん豆腐。
何とそのうどん豆腐が、NHKの「みんなのきょうの料理」ホームページに紹介されていた。
作者は、専徳寺報恩講のお斎もお手伝いいただいている上野さん。
時代の流れのなかで、いろんなものが移り変わっていく。
小坪小学校には「137年ありがとう さよなら小坪小学校」の横断幕。
来年から長浜小学校と合併し、『広南小学校』に。
姿・形は変わっても、大切なことはしっかりと伝えていきたい。
9月19日(月)
今日は敬老の日。
台風接近のニュースのなか、雨も降ることなく、敬老会が行われた。
本堂に舞台が組まれ、長浜自治会主催の敬老会特設会場に。
長寿、金婚式・銀婚式のお祝いの式典があった後、オープニングを長浜小学校の5・6年生の児童による龍神太鼓が披露され、お祝いに花を添える。
その後はカラオケや舞踊が演じられ、賑やかにみんなでお祝い。
長浜一の長寿は100歳の男性だそう。
御高齢な方もそうかも知れないが、子ども連れにも今の世のなか、なかなか厳しいことがある。
先日、新幹線に乗ったとき、つくづく何て居づらい空間だろうと思ったことか。
そんなとき、こんな言葉を思い出した。
子供しかるな 来た道じゃもの
年寄り笑うな 行く道じゃもの
来た道悔やむな 戻れぬ道じゃ
この言葉は誰の言葉か分からないそうだが、以前法話のなかで聞かせていただいた。
近頃は「おたがいさま」という言葉が消えていっているらしい。
困ったときはおたがいさま。
相手を思うこころ、助けあうこころ、そんな言葉が日本語には存在する。
今日は、地元の子どもたちが地元の先輩たちの前で太鼓の披露。
それを子どもの親たちが見に来たり。
そんなことを通して、いろんな世代の方が顔を合わせ、それぞれにいろんなことを感じるのも大切なことかと。
相手を敬うこころ、思いやるこころを大切に。