広南小学校読み聞かせ(215)

5月13日(月)

雨上がり、今朝は広南小学校読み聞かせ。

担当は1年生。

とりあえず、自己紹介。

そして、読んだ絵本は、

『ぼくのジィちゃん』(くすのきしげのり 作・吉田尚令 絵)

今週末に行われる広南学園運動会。
初めての運動会を迎える1年生に、何度か読み聞かせで読んでいるこの絵本を。

「はやく はしるということは、みぎあしをまえに だしたら、つぎは ひだりあしを まえに だす。それを、だれよりもはやくする。ただ それだけじゃ」

読み終わって、「走るの好きな人!」

と尋ねると、「ハイっ!」と手を挙げる人もいれば、「そうでもないけど。。。」とつぶやく子も。

また、ソーランが楽しみという子も。

 

今のところ天気予報では晴れ。

勝っても負けても、みんながんばって。

 

 

2024年5月13日 | カテゴリー : 絵本 | 投稿者 : sentoku

小坪薬師堂 中止

5月12日(日)

今日は午後から小坪薬師堂での法要が予定されていたけれど、雨のため中止。

自治会長さんがこのたび代わって初めてのご縁だったけれど、昨日電話があり、どの時点で連絡をしたらよろしいでしょうと。
こちらは間際でもいつでも大丈夫ですからと返答。

今日は呉市に大雨注意報が出ていたので、恐らく中止かなぁとは思っていたけれど、案の定。

 

一年に一度のご縁。

薬師堂は導師のみが堂内で、参拝者はみなさん屋外にブルーシートを敷いてのご縁。

おつとめ、法話をしている最中に、木々のざわめき、ウグイスの声やいろいろな鳥の声が反響するご縁はここでしか味わえない。
それと、一年に一度なので、あの時はこんなことがあったなぁ、とその時を思い出すことも。

 

鐘楼脇のノアヤメにつぼみがいくつも見られるようになった。

一年前にここに植えたものの、一年通して見た時、午前中直射日光が当たらないので、ここは育たない?と諦めかけていたけれど、背丈は低いもののつぼみがいくつも。

時間はかかりそうだけれど、他のも含めて成長してくれたらいいな。

 

 

 

2024年5月12日 | カテゴリー : , 行事 | 投稿者 : sentoku

呉東組聞名講 5月例会

5月10日(金)

今日は午後から専徳寺にて呉東組聞名講。

当初教法寺で開催予定だったが、諸事情により会所が変更となり、専徳寺で行うことに。

そして、法話の当番も。

この聞名講で専徳寺で専徳寺住職が法話を担当することはまずない。
だからこそ、いつもと違う形でしようかなと思って準備を。
行き詰まってばっかりだったのが。。。

専徳寺の由来から、この聞名講を設立した大洲順道の話へ。

大洲順道は、明治9年に専徳寺へ入寺し、10年に住職に。
その翌年、聞名講を設立。

そして、明治19年から約10年鹿児島別院。
その間、明治22年に専徳寺本堂新築。

日本一の模範村、広村にも多大なる影響を。

このめまぐるしい活躍の源は何だったのか。

 

2年前に「仁村守三」のことを知りたいと問い合わせがあり、初めてキリスト教の歴史の中に「大洲順道」が存在することを知った。

仁村守三。1800以降~1880以降
本願寺派の僧侶。肥前に生まれる。本名は大州順三。1870年6月長崎において聖公会宣教師G・エンソーから受洗。
72年諜者として日本基督公会の創立に加わる。
73年3月横浜公会堂第一回総会で執事に選ばれる。
同年9月東京築地小田原町新栄橋際に設立された東京日本基督公会に会員として参加し、その後同公会の地方伝道に当たり、島亘と共に武州引股村に出張伝道する。
76年粟津高明が退会した頃長老であったが、やがて教会を離れ、広島県賀茂郡長浜の真宗本願寺派専徳寺の住職となり、香川実玄と名乗ったといわれる。(『キリスト教人名辞典』)

ただ、「仁村守三」のことを調べれば調べるほど矛盾する点が多いのに、「らしい」とか「いわれる」の記述ばかり。
そんなこともあり、「なかなか受け入れがたい」と返答したのに、相手はまったく違う受け取り方をしているのを、とあるサイトで見つけた。

《諜者》であったのは事実かも知れないけれども、どうも合点がいかないので、国会図書館デジタルコレクションでいろいろ調べていると、順道が専徳寺へ入寺する前、「豊田道二(道爾)」「観山順道」を名告っていた時期があると。

六 大洲師の閲歷
 師は藤川逸平翁の長子で天保十四年廣島縣豊田郡竹仁村に生れたのである。幼時より學を好みて十四歳の時に出家得度し、それより縣内所々に遊學し文久元年十九歳の時笈を負ふて豊前中津に至り勸學善護師の門に入り宗乗の學を修むること三年にして帰国し、ますます教典の研鑽を積み、内外の律令史なども涉獵したのである。ところが王政維新に際し、世論漸く廃佛毀釋に傾き、加ふるに外さへ侵入の兆候ありたれば憤慨して止まず、早速本山に上りて宿弊改新の議を建白し続いて長崎に下り、英學研究の傍ら内外の形勢を察して遂に國事に奔走するの念慮を起すに至ったのである。
 そこで明治四年四月には東上して時の太政大臣三條公其他の權門に出入して廢佛毀釋の謂れなきことを論明し、島地默雷大洲鉄然小栗憲一等の有志と提携して、教部省設置のために盡力したのである。そして九年四月に数部省出仕を拝命するに至ったのであるが、間も無く同省が廢止さるゝこととなったので、東京を辞して本山に帰り再び僧形に復したのである。
 師が髪短袖、自ら豊田道爾又は観山順道と呼んで居った時代はこの國事に奔走して居った時のことである。
 かくて明治十年九月本村專徳寺に入り翌十一年九月住職となったのである。
 専徳寺の所在地なる長濱は村の南端にありて戸数八百を算し漁民と農民と相半して之に商賣を交ゆるところであるが、居民多くは頑固曖昧にして渡す可からざるものゝ多かったところである。然るに師は明治十年入寺の當時より、政令を遵守すべきこと、時間を貴ぶべきこと、節約勤倹なるべきこと、斷髪のこと、新暦遵守のこと、就學のこと、悪疫豫防のこと、兵疫應徴のこと、租税完納のこと、林伐の禁制を守ること、賭博喧嘩の取締のこと、訴訟紛議の仲裁等、一々懇諭して、啻に心身の勞を惜しまなかったと云ふばかりでなく、之が矯正を計るためには再三私財を投じたことがあったのである。
 自坊再建のことは多年の宿望であった。それで率先して私嚢を投じて喜捨金を募ったところが、數萬金を得たので明治二十二年二月工事に取りかゝり、八ヶ月の工程を経て同年九月に至り、近郷には比類稀なる荘厳善美の大伽藍を建立するに至ったのである。
 之より先、明治十九年八月から、師は鹿兒島別院を兼職することになつたのであるが、二十九年二月に至るまでの十ヶ年間、一意専心に同地方の布教に盡力して、管下十餘萬の信徒を服せしめたので、別院の再建も成就するに至ったと云ふことである。而も其間に道路開鏧のことのこと、勞役勧誘のこと、實業奨勵のことなどに盡力し、要路の當局者に後援を送ったことが多大であったので、當代縣知事の厚遇を得たと云ふことである。
 師は其後本村に歸住してからも、相も渝らず数化善導のために盡力して居られたのであるが、明治三十五年に至り住職を退いて寺務一切を新住職に一任されたのである。併し教化善導のために盡力することは毫も渝らないのである。ところが新住職が昨年急病にかゝり死去されたそうで、之れには師も餘程當惑して居られると云ふことであった。
 大洲師の歴を調査したことは、端なくも本村の人物について調査して見たいと云ふ考を誘起されたから、藤田村長に其由を語りたれば多少調査したものがあると云って、調査資料を示されたから、之により最近の篤志家、又は善行者を調べて見たら次のやうな人々がある。(『学校中心 自治民育要義』 村田宇一郎著 明治43年)

 諜者との記述はないが、そこから光明の糸口が。

 

 順道は、明治元年に本願寺に入り、原口針水に師事。
 当時、キリスト教を長崎で学び、詳しかった原口針水が本山にて破邪顕正御用掛に任用された。
 そして明治2年、太政官の弾正台が設立。

 こうした経緯で、順道もキリスト教の実情を探るため、所謂「諜者」として潜入したのではないだろうか。

 《豊田道二》は、大隈文書によると、東京での上級諜者の名前として登場。
 《観山順道》は、教務省の名簿に。

その活動記録が、早稲田大学の大隈文書に残っている。

それらを見ると、その頃の「諜者」はキリスト教解禁前の様々な情報を上(太政官)に報告していたよう。

ただ、キリスト教の実情を目の当たりにして、これは太刀打ちできないと思ったのだろうなぁと。

 

キリスト教禁止が解け、廃仏毀釈も徐々に沈静化していくなか、本願寺へと戻った順道は専徳寺に入寺。

そこからのめまぐるしい活躍は、広村に掲げられた「教育第一」。これが一番だったのかなと。

順道と一緒に諜者として知られる安藤劉太郎(関信三)。
大谷派の僧侶で、日本で最初に幼稚園を設立した人。

大隈重信が早稲田大学を創設し、安藤劉太郎が幼稚園を日本で初めて設立し、大洲順道は真徳教社(崇徳教社)、広島学寮などの設立にも名前が出てくるのを見ると、キリスト教から学んだのは、いずれもいずれも「教育第一」だったのかなと。

大洲順道は豊田道爾(道二)。

これは間違いないことだと思う。

ただ、その経験を活かして、隠遁して隠れることもなく、動いている姿に改めて。

 

そのあと、御示談。

今日の問いは、

私は、必ず終わる命を生きていると知りながらも目を背けています。あなたの後生の一大事の解決を教えてください。

導師に法話に御示談と一人でするのはちょっと大変かなと。

それでもこのご縁を通して学んだことが。

ようこそのお参りでした。

 

2024年5月10日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

仏教壮年会 5月例会

5月8日(水)

今朝9時から仏教壮年会による境内清掃。

のはずが。。。

いつも来られる方々がお越しにならない。。。
清掃前に回覧をまわしていたそうだが、今回それがまわらなかったのが原因らしい。

それでも、6名の会員が集まってくださった。

そして、毎月第2水曜日に本堂の清掃に来てくださる婦人会有志の方が6名来てくださったので、本堂と境内、両方を綺麗にしていただけた。

境内は草抜きを中心に。
今年は雨が多いせいか、抜いても抜いても次から次へと。

 

明後日開かれる呉東組聞名講に向けて、1つ準備が整った。

ありがとうございました。

 

そして、夜は仏教壮年会例会。

今夜は『歎異抄』第七条、「念仏者は無碍の一道なり」。

障碍しょうがい障害しょうがいしょうがい」と表記が変わっていった話から、本来の「障碍しょうげ」の意味を伺ってみた。

念仏者は無碍の一道なり。

障りなく、護られて。

ようこそのお参りでした。

例会後、聞名講の時に皆さまに見ていただこうと、広如上人の「旃檀林」を。
本来聞名講では、自坊で住職が講師をつとめる機会はないので、せっかくだから専徳寺のこと、そして聞名講設立者大洲順道の生きざまを。

 

2024年5月8日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

呉東組法中会

5月6日(月)

ゴールデンウィーク、最終日。

ゴールデンウィーク中は、お寺での法事よりご自宅での法事が多かった。
久しぶりに親族が集まるご縁も多かったよう。

この連休中に、シジュウカラの巣がどうやらスズメに。。。
獅子のお尻は間口が広いから、スズメに襲われなければいいなと思っていたけれど。。。
そう思って、境内にシジュウカラ用の巣箱をかけていたけれど、場所が悪いのかな。
また違うところに巣箱をかけ直そう。

 

今日、荷物が届いた。

先月盗られた蓮。
盗られた鉢はその後もガランとしたままで、何も出て来ないその姿を見る度にため息。。。
気持ちを切り替え、何かここで。

青い睡蓮、黄色い睡蓮、赤い睡蓮、白い睡蓮。
青い蓮はないけれど、睡蓮だと青いのがあるみたいなので、どんなものかなと。

そして、同じお店にあったカキツバタも。

とにかく前に。

 

今夜は雨の降るなか、呉東組法中会が浄光寺にて。

令和6年度最初の法中会。
このたびより副組長として司会進行のお役目を。

年度初めとあって、いろいろと。

とにかく前に。

2024年5月6日 | カテゴリー : 呉東組, | 投稿者 : sentoku

呉東組カープ観戦

5月2日(木)

5月は雨でスタート。

昨日、5月1日はすずらんの日。

境内の鈴蘭。これまでで一番花が大きい感じ。

 

午後には雨が上がるのかと思っていたけれど、夕方までずっとパラパラと。

昨夜は呉東組カープ観戦。

マツダスタジアムで、広島×阪神戦。

納涼会が、いつの頃からかカープ観戦と代わり、今年はこれまでで一番早い時期に。

住職だけでなく、小さなお子さま連れで参加される方も。

試合1時間前には雨も上がったけれど、気温が上がらない。。。

風の通りが頗る良く、とにかく寒い。。。

試合も2点先制され、何とか終盤に追いつき延長戦へ。

9時をまわり、さすがに寒かったので、9回終わったところで失礼。

帰宅した頃に延長12回を同点のままゲームセット。

とりあえず、負けなくてよかった。

 

ゆっくり野球を応援しようと思ったら、テレビで観るのが一番かも。
でも、球場観戦だからこそというものがそこに。

イニング間の球場整備もそう。
綺麗に整備されたグランドは美しいし、整備されているからこそいいプレーを観ることが出来る。

そんなことを思いながら、今朝は晴れた境内を清掃。

 

2024年5月2日 | カテゴリー : 呉東組 | 投稿者 : sentoku

二人静

4月29日(月)

ゴールデンウィーク前半の3連休、最終日は雨。。。

今年の4月は雨が多い。

雨が小降りになった頃、ご門徒のTさんが二人静ふたりしずかを2株持って来てくださった。

先日、法事で花にまつわる法話をしたあと、花談義に花が咲き、60年も前からご自身のお庭で育てている二人静を。

咲き始めた二人静。

二人静とは、能の演目「二人静」に由来しているそう。

しづやしづしづの苧環おだまき繰り返し昔を今になすよしもがな

と詠いながら、静御前がのりうつった菜摘女と静御前の亡霊が一緒に舞うという演目だとか。

〈苧環〉とは糸車のこと。そして、これに由来した苧環という花も。

 

名前の由来を尋ねると、いろんなことを学ぶ。

とりあえず鉢に移したけれど、雨が上がったら、これをどんなふうに植えるかな。
元気に育ちますように。

 

2024年4月29日 | カテゴリー : | 投稿者 : sentoku

牡丹崩れる

4月25日(木)

久しぶりに青空。

花まつりコンサートも終わり、残っていた牡丹の花も散った。
牡丹の花が散ることを、「牡丹崩れる」と昔の人は表現。

「梅はこぼれる」
「桜は散る」
「椿は落ちる」
「菊は舞う」
「牡丹は崩れる」

これは、大谷本廟の月々のことば(法話)にも

《参考》大谷本廟2023年4月「桜散る 梅はこぼれる 椿落つ 牡丹くずれる 人は・・・」

確かに「牡丹崩れる」

ダイナミックな終わり方。

始まりがあれば終わりがある。
咲いている時間も終わり方もさまざま。

人間も同じく終わり方はさまざま。
でも、それでその命はおしまいではなく、お浄土へと往生させていただいて、次の命を育んでいく。

 

昨日のお葬式。

先日、花まつりコンサートがあった日の夕方にお亡くなりになった方の。
御正忌やお正月の御供のお餅を作ってくださったり、いろいろとお寺のことをお手伝いいただいた。

花まつりコンサート当日、御主人が一人で来てくださった。
奥さまが亡くなられる数時間前に。

翌朝、訃報の知らせが届いた時には正直驚いたが、奥さまの分までご縁に遇ってくださったのかな。

 
 
 
 
 
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2024年4月25日 | カテゴリー : | 投稿者 : sentoku

花まつりコンサート

4月21日(日)

今日は初めての試み、花まつりコンサート当日。

しかし、昨日から雨。。。

 

出演者の皆さまは、10時に来られてリハーサル。

でも、こちらは午前中法事の予定が入っているので、合間を縫いながら準備。

午後2時開演で、午後1時45分に開場。

これまでの経験から、この時間を決めておくこと、そして人が集まってきたからと言って早めに開場することは、トラブルの元になるので、そこはキッチリと。

思いのほか、このたびスムーズに開場。

 

スタートは、住職がオタマトーンで恩徳讃を奏でながら登場し、挨拶。

オタマトーン、来場者のほとんどが知らず。。。

でも、恩徳讃のあと、拍手をいただけたので、ホッと。

 

そして、サクソフォン・カルテットの演奏。

 
 
 
 
 
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佐藤健人先生とその教え子の皆さまによるカルテット。

次男も先輩方に支えられて一曲披露。

 

サクソフォンの魅力がぎっしりと詰まったバラエティにとんだ楽しい一時。

昨年の1月に初めて開催した「新年お寺でコンサート」。
お内陣修復前で、反響は大きかったけれど、薄暗くて光を感じられず、それが心残りだった。

でも、そのあとお内陣修復、そして照明も新調していただいたことで、明るい中で再び。

それを感じることが出来たという点ではいいご縁だったかも。

 

途中、先生が自家製のパーカッションを会場のみなさんにも配って、一緒に演奏してみんなで盛り上がることも。

用意していたパンフレット100部も、30部ほど余っていたので、70名ほどの方がご来場。

 

「また来たい」「また会いましょうね」。

「一期一会」、生涯一度きりと思うことも大切なことでもあるのだろうが、「またね」と言うのは、浄土真宗のお味わいなのか、こちらの方が好きかも。

 

準備から後片付けまで、大変な数日だったけれど、楽しい一時だった。

今夜はぐっすりと眠れそう。

 

素敵な演奏をありがとうございました。

そして、甘露の雨の降るなか、ようこそお越しくださいました。

2024年4月21日 | カテゴリー : 行事 | 投稿者 : sentoku

大輪の牡丹

4月18日(木)

地震から一夜明けて。

豊後水道を震源地とする愛媛県と高知県で最大震度6弱の地震。呉市も震度4と。

朝、石泉文庫を点検。

見たところ何も異常なし。

そのあとすぐに施工業者、呉市からも点検に。

 

今朝、牡丹が大輪の花を咲かせた。

去年は花をつけなかったのだけれど、今年はみごとに。

左が鎌田藤、右が島根長寿楽。

 
 
 
 
 
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地震のあと、こうして花が咲く姿が見られると、ちょっと心が和む。

甘野老あまどころも急に大きく育ち、可愛らしいつぼみを。

そして、今年は諦めかけていたスズランも、つぼみをつけてニョキニョキと。

翁草は花が終わり、

丁字草はこれから。

花まつりコンサートまで、もう本堂での御法事はないので、少しずつ出来る準備を。

外陣香炉を移動し、席を法座とは違った配置に。

張り切って一気にすると、恐らく足腰が。。。
少しずつ少しずつ、出来る所から。