12月4日(火)
雨が上がり、霧。暖かい朝。
昨日に続いて、仏教壮年会・仏教婦人会法座。
朝席では、
「きっとそうだろう」
「きっとそうに違いない」
そんなふうに思い込んで、相手を理解しようとせず、自分勝手な姿で過ごしていませんか?
そんな私だから、阿弥陀さまが願い続けてくださっているとの話より。
昼席では、朝席に続いて、一方的にしか見れない私の姿より。
「阿弥陀さまは寝ずの番」
のお話。
小さな子どもに、「寝ずの番」なんてことを言っても伝わらないかも知れないけれど、このような言葉のない環境に育った人は、その後もご縁にあうこともできない。
「まんまんちゃん」
「ほとけさま」
そして、
「お浄土」
小さな頃からこの名前を聞き、口に出すから、ご縁に出遇ってその意味を。
昼席が終わった後、しばらく青空が広がっていたけれど、夕方にかけてまた雨。
庭の銀杏も紅葉もすっかり散ってしまった。
そして夜席。
杉山平一の『生』という詩を紹介してくださった。
生
ものを取りに部屋へ入って
何を取りにきたかを忘れて
もどることがある
もどる途中で
ハタと思い出すことがあるが
その時はすばらしい身体が先にこの世へ出てきてしまったのである
その用事は何であったか
いつの日か思いあたるときのある人は
幸福である
思いだせぬまま
僕はすごすごあの世へもどる
この世に生まれ、その用事を知らぬまま、迷いの中にいるままなのか、それとも迷いの世界を抜け出すのか。
その用事を知るご縁を。
ようこそのお参りでした。