9月12日(月)
月かげのいたらぬ里はなけれども
眺むる人の心にぞすむ
これは、親鸞聖人の師匠 法然聖人の詠まれた歌。
今宵は中秋の名月。
すべての人に届いている月の光。
それでも届いてることに気づかずに過ごしてる人もいる。
すべての人に届いている仏さまの願い。
それでも届いていることに気づかずに過ごしている人もいる。
今日は午後から呉東組聞名講の例会が名田説教所において開かれた。
例会に先立って、今年度の新役員に本願寺からの委嘱状が手渡された。
そして、勤行「正信偈」。
引き続いて、私が御消息を拝読させていただく。
今日の法話は法幢寺御住職。
その後の御示談では、お念仏を申す時に、亡くなった両親のことを思い起こす。そして、浄土でまた会えると信じながらも、それをどのように領解すれば良いのかという質問が出た。
その答えの一例として、ある学生の話が出た。
その学生は、父とは宗教が違う。
それで友人から、あなたのお父さんは宗教が違うから、亡くなった後お浄土で再び会うことはないと指摘されたそう。
でも、その学生は、宗教は違っても、自分を浄土真宗のみ教えに導いてくれたのが父だった。だから父とはきっと会えると答えたのだそう。
すべての人に願いが届いている。
聞名講が終わり、夕方阿賀の宝徳寺にて、呉東組のとある委員会に。
呉東組の寺院、そして地域が活性化するようにと、ひとつのプロジェクトがただいま進行中。
ともにがんばろう
「願」バッジに記したことば。
昨日で東日本大震災からちょうど半年。
ニューヨークの同時多発テロからちょうど10年。
また、改めてその意味を考える。
ひとりでなく、ともに。
帰り道、大きな満月が野呂山から姿を見せた。
眺むる人の心にぞすむ。