10月24日(金)
今週まわった広白石、広両谷地区の報恩講参りが終了。
今夜は西光寺にて我聞会の例会。
『蓮如上人御一代記聞書』の輪読は(172)(173)。
(172)は、「信心さえあれば、どんなこともつらいとは思わないものである。信心をいただいた上は、すべてを仏恩報謝と心得るのであるから・・・」との話。
昨日、たまたまテレビでNHKのお昼の番組、『スタジオパークからこんにちは』をちょっとだけ。
そのなかでゲストのベッキーさんが、テレビを見ることが好きという話をしていて、好きだから見るのであって、仕事として見るのはホンの少しと。
それを聞いた司会の戸田恵子さんが、好きだから見れるのよねぇ・・・という話を。
好きだから見れる。
ちょっと今日の話を聞きながら、ふとそんなことを思い出す。
法話は生老病死の話。
「老苦」「病苦」「死苦」は伝えやすいけど、「生苦」はどのように伝えてますか?ということでそれぞれの「生苦」を。
「生きる苦しみ」「生まれる苦しみ」
帰って調べてみても、さまざま。
「生まれることの苦しみ」
「生命ができて、生まれるまでの苦しみ」
「思いどおりの環境に生まれてこれない苦しみ」
生まれることはすべての苦しみのスタートではあるけれど、何も苦しいことばかりでない。
生まれたからこそ遇える世界があり、生まれたからこそよろこびも。