10月13日(火)
明日から専徳寺の報恩講法要。
今朝はお内陣のお荘厳をし、御絵伝を余間に掛ける。
そのあと、広横路地区へお参りに行った帰り、黒瀬川(旧広大川)の側を車で通っていると、川に浮かぶ黒い鳥の群れ。
思わず車を駐めてパチリ。
カワウ。
夏にテレビで太田川で鮎釣りをしても釣れなくなったとニュースで観たことを思い出した。
体重が2~3キロなのに、食べる魚は1日500グラム!
このカワウが鮎を食べ尽くしてしまうんだと。
昔はこの川には1羽も見ることがなかったのに。。。
川が綺麗になってエサが豊富になったと見るのか、それともこれまで住んでいたところが破壊されて、仕方なくここに住み着いてしまったと見るのか。
見方によって全然違う。。。
午後から川尻光明寺にて呉東組聞名講10月例会。
10月の例会は例年どおり報恩講。
お揃いの聞名講の色衣・五条をつけておつとめ。
ご法話に続いて、御示談。
今回も役員のみなさんが考えたアンケートを最初に。
今日のアンケートは、
あなたのご家族での念仏相続はどうなっていますか?どうしたらいい?
(1) お聴聞も、私ひとりだけ。
(2) 子、孫までも私を見てくれている。聞かせてもいるが、後は本人のご縁です。
(3) 相続したいが、伝える自信がない。
(4) その他の意見。
一番多かったのが(2)。
(1)と(3)が同数で、(2)の半数くらい。
まだまだ、子や孫に見せる姿があるのが多数。
お念仏に遇えたことをよろこぶ姿が、いちばん伝わる姿かな。
その他の質問では、
親鸞聖人が「往生を不定におぼしめさんひと」「往生一定とおぼしめさんひと」と異なった文意を示しておられるけれど、私たちは「往生一定のもの」「往生不定のもの」、どちらとして考えるのでしょう。
との質問。
このことばは、親鸞聖人御消息25に出て来る、「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」の御文の前に出て来るおことば。
この「一定」「不定」は、『徒然草』に、法然聖人のことばとして、
「往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なり」と言はれけり。これも尊し。
と出て来るそう。
自らの身をかえりみると、往生不定(地獄必定)であるだろう。でも、そんな私を阿弥陀さまが願いをかけてくださっている(往生一定)。
どこを見るかで、こちらも違う。
終わってから、組の役員会。。。
明日からは報恩講法要。
お天気はよさそうなので、どうぞお誘いあわせてお参りを。
ようこそのお参りでした。